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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)


20221218  
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2023.12.22  強烈寒波、日本を襲う?  
 
 連日、豪雪のニュースが流れている。強烈な寒波が日本を襲っているのだ。地球が温暖化しているといいながら、これはどういうことか。本州の日本海側に大雪が降るのは毎年のことだが、九州の北部も豪雪に見舞われているというから驚きだ。テレビで、横殴りの雪の中を人が歩いているシーンを見ると、心が痛む。僕も、日本海側のある町で働いていたときに経験したことがあるからだ。防寒着を着て、傘を深くさしているのに、雪が顔に当たるのである。
 
 僕が住んでいる地方は、雪が積もってもせいぜい10センチくらいまでで、豪雪に見舞われたというのは記憶にない。雪が降る、雪が舞うというのはあっても雪に殴られることはないのである。それと雪だけではなく、雨も比較的少ないほうで、災害の少ない地方といえるかもしれない。だから、豪雪のニュースを見るたびに、僕はここに住んでいてよかったと思ってしまうのだ。
 
 ただ単に雪が積もるだけならまだしも、怖いのは、自動車のスリップ事故や雪の重みによる倒木などで交通網が遮断され、物流がストップすることである。さらには、倒木による電線の破損などで停電になると日常生活に重大な影響を及ぼす。しかも大雪の中では復旧に時間を要し、長期化する恐れもある。テレビのニュースで、停電した家のおばあさんが「電子ジャーが使えなくて困っている」とコメントしているのを見て、少し涙ぐんだな。
 
 テレビを見ていると、「顕著な大雪に関する気象情報」という耳慣れない言葉があった。定義は、短時間に顕著な降雪が観測され、その後も強い降雪が続くと見込まれる場合に、一層の警戒を呼びかけるもの、ということらしい。
 これは、平成30年に新潟、富山、石川、福井県で試験運用が開始され、令和元年に4県のほか山形、福島県で正式に運用開始されたもので、初の発表となったのは令和3年の富山県だというから、歴史は新しい。その後、滋賀、京都、兵庫、岡山、鳥取、島根、広島県にも拡大されている。気象庁が発表する特別警報(積雪)とは性質が異なるもので、よくわからないが降雪量を基準としていて、地方の気象台が発表するので耳慣れなかったはずである。
 とにかく、豪雪地域に住むみなさんがご無事でいられますように・・・
 
 ここで個人的な話に変わるが、今年の2月頃に、長く歩き続けていると右の太ももが痛くなることがあった。軽い肉離れを起こしたのかな?と思っていたのだが、新聞の広告記事を見て驚いた。どうやら坐骨神経痛のようなのである。書かれている症状がぴったりとあてはまるからだ。負けてたまるかといいながら、軽く筋トレとストレッチを粘り強く続けたところ、2ケ月ほどで治った。まだ潜在しているかどうかはわからないが、その後は何ともない。記事を読んでひとつ救われたのは、坐骨神経痛は症状であって病気ではないということだ。
 年を取るといろいろとガタがきますねえ。いやいや、負けてたまるか。
 
 
 
20231123  
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2023.11.23  花や野菜には暑すぎた夏?  
 
 ツワブキの花が咲いた。ツワブキはキク科ツワブキ属の常緑多年草で、初冬になると可愛らしい黄色の花が咲く。我が家の庭の片隅に植わっていて、あまり日当たりのよくない場所だが、よく育つ。毒性があるので植えるのはよくないという話も聞くが、それは食べる場合の話であって、観賞用としてなら何ら問題はない。そして、この花が咲くと、季節はいよいよ冬になったのだなと実感するのである。
 
 それにしても、今年の夏は暑かった。いや、暑すぎたというべきだろう。気象庁も観測史上でいちばん暑かった夏だと発表している。農家の人が、野菜が育たないといって、悲鳴を上げていたことからも異常な夏であったことがうかがえる。我が家では、ミニトマト、ししとう、万願寺とうがらしの3種類の野菜を鉢に植えた。ミニトマトは背の高さまでは順調に実をつけてくれたが、その後はピタリと生育が止まってしまった。花が咲いてもすぐに落ちてしまうのである。
 
 ししとうと万願寺とうがらしは、初めのうちは、ところどころにしか実がならなかった。なかなか花が咲かないのである。酒の肴にと楽しみにしているのに・・・。ところが、ミニトマトとは違い、少し暑さがやわらいだ頃から、いっせいに葉をつけて、花が咲き、たくさんの実がなりだした。猛暑の中をひたすら我慢していたのだろうか。いやあ、ほっとしたなあ。
 
 万願寺とうがらしは、今年初めて植えたのだが、これは本当に甘くて美味しい。酒の肴としてはぴったりかもしれない。ししとうはときどき舌がヒリヒリするほど辛い当たり?があるが、万願寺とうがらしにはそれがない。来年からもずっと植えてみたいと思った。もちろん、酒の肴にするのが目的である。
 
 花はマリーゴールド、ペチュニア、ベゴニア、日日草と朝顔を植えた。白のベゴニアと白の日日草は早いうちに枯れてしまった。マリーゴールドは初めのうちはスローペースだったが、背が伸びて茎が倒れかけてからいっせいに咲きだした。朝顔は青い花を植えたはずなのに白い花ばかり咲いた。が、涼しくなってからようやく青い色がつきだした。これも暑さと関係があるのかな。
 
 で、最後まで残ったのが、赤い日日草(少し前までだが)、ピンクのベゴニアとペチュニアである。よくがんばってくれた。ありがとう・・・である。どうやら花にも強い子と弱い子がいるようだ。いつも思うのだが、こうやって花や野菜を育てていると、慈しみの心が芽生え、健気に咲いている花に癒される。コロナ禍で始まった園芸の趣味だが、いい機会となったことに感謝している。
 
 さて、ツワブキの花も咲いたことだし、そろそろビオラや葉牡丹を植えようかな。ん?ということは、もうすぐ正月がやって来る?・・・はやっ。
 
 
 
20231020  
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2023.10.20  CS制度って必要なのか?  
 
 今月18日にCSが始まった。プロ野球のクライマックス・シリーズである。今シーズン、セントラルリーグは阪神タイガース、パシフィックリーグはオリックスバファローズがリーグ優勝を果たしたが、各リーグで2位と3位のチームが加わり、日本シリーズへの出場権を賭けて戦うのである。たとえリーグ3位でも日本シリーズに出場できるかもしれないので、下剋上シリーズともいえる。
 
 まずファーストステージ。2位と3位のチームが2位チームの本拠地で3試合行い、2勝したチームが勝ちとなる。引き分けの試合は上位チームの勝ち。
 そしてファイナルステージ。リーグ優勝チームに1勝のアドバンテージが与えられ、リーグ優勝チームの本拠地で、ファーストステージで勝ったチームと6試合行い、4勝したチームが日本シリーズへの出場権を獲得する。引き分けの試合はファーストステージと同様に上位チームの勝ちである。
 
 このシリーズは両リーグに2007年から導入された。なぜこんなシリーズが導入されたのか。目的はペナントレース終盤の消化試合を減らすことだとされている。優勝チームが早く決定しても2位、3位争いがあるので最後まで盛り上がるのだとか・・・。つまり、最後まで球場にたくさんのお客さんが足を運んでくれるようにとの方策なのであろう。よって金儲けのための制度といえる。
 
 クライマックス・シリーズは本当に必要なのか?といって、論議されることがあるが、個人的には必要ないと思っている。理由は単純で、セ・リーグの優勝チームとパ・リーグの優勝チームが日本シリーズで対戦するのが当たり前だと考えるからだ。仮に、セ・リーグ2位のチームとパ・リーグ3位のチームが日本シリーズで対戦して、勝ったチームが日本一だと?、「笑わせるな」である。
 
 プロ野球チームは、リーグ優勝を目指して年に143試合(2023年)を戦っている。長丁場のなか、監督やコーチなどの首脳陣をはじめ、選手たちの努力によってリーグ優勝を勝ち取るのである。いわば血と汗と涙の結晶なのだ。それをわずか3試合や7試合の短期決戦で報われないことが起こりうるということに対して抵抗感がある。つまり、143試合のペナントレースはいったい何だったのだということになり、その意義が薄れてしまうのではないか、ということなのだ。ま、すでに制度化されてしまったので、仕方がないとは思うが。
 
 ついでに、プロ野球で不要だと思うのは、投手の先発予告だ。右投げでも左投げでも対応できるオーダーを組めばいいではないか。あ、そうか、○○選手が投げる試合を観たいというファンのことを考えればこれは微妙だな。じゃあ、DH制はどうか。野球は9人でやるものだろ。あ、これも古い考えか?
 と、ブツブツいっている間に、本日、セ・リーグは阪神の日本シリーズ出場が決まった。おめでとう。パ・リーグはオリックスの3勝1敗となった。金儲けのためのCS制度のなか、本来の姿の日本シリーズをはやく観たいものだ。うん。
 
 
 
20230923  
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2023.09.23  動画配信の何が問題なのか?  
 
 先日、新聞のトップ記事を見て驚いた。見出しに「過激動画で再生数稼ぐ」とある。しかも、C国による日本の安全保障を脅かす事件の記事を押しのけて、である。内容は、過激で極端な情報やフェイクニュースがあふれ、デジタル空間がカオスと化している(引用)ことへの問題提起だ。記事は人気ユーチューバーへの取材から始まり、別の紙面で大学教授による解説へと続く。
 
 動画投稿サイトでは、動画を投稿すると視聴回数に応じて収益を得られる仕組みとなっている。いわゆる広告収入であるが、これが曲者である。収益を増やすためには再生回数を増やす必要がある。再生回数を増やすためには人々の関心を集める必要がある。人々の関心を集めるためには刺激が強いものが必要である。といって挙句の果てには迷惑行為や違法行為に手を出してしまう。つまり、順序が逆になっているのではないか。
 
 記事の全文からは、法令を無視した過激な動画を発信し続けると、いずれは社会を敵に回すことになり、我が身が破滅することになるぞという警告と、動画の投稿自体は否定しないが、コンプライアンスの精神は持たないといけないという啓発が読み取れる。動画の投稿というのは、はじめに収益ありきではなく、まず質のよい動画を制作してみんなに観てもらおうというのが本来の姿ではないだろうか。なぜこの記事がトップなのか、意味があると思ったな。
 
 実は最近、ユーチューブをよく利用している。きっかけはヤフーの動画配信サービス「GYAO!」が終了したことだった。韓流ドラマを観るのが好きでGYAO!を利用していたのだが、非常に残念である。業界の事情は知らないし知りたくもないが、収益状況の悪化が背景にあるようだ。やはり世の中はお金に振り回されているのだなと思った。
 
 ユーチューブは刺激を求めて利用しているわけではない。そもそも刺激を求めて動画を観るという発想はない。よく観るのは阪神タイガースに関するチャンネル。見逃した試合をはじめ、選手のエピソードを観るのが楽しい。ワンちゃん(犬)の動画を観るのも好き。狂犬病の予防注射を打つシーンには笑える。ギターの弾き方を解説している動画を観ることもある。ボケ防止というわけではないが、脳トレ関連の動画もときどき観ている。住んでいる地方の低山ハイキングの紹介動画では、あ、この山は少し前に登ったなとか、え?この山はこんなにきついコースなのか?じゃあ、やめといた方がいいなとか。
 
 過激な動画がどうのこうのというが、全般的には極めて常識的に制作された動画がほとんどである。迷惑行為や違法行為の動画を観てしまったときは、嫌悪感に襲われるので即パスである。
 もしかしたら、今回の記事は、人に迷惑をかけないという日本人の心を忘れるな、と言いたいのかもしれないな。
 
 
 
20230819  
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2023.08.19  ハンドルの遊び、心にゆとり!  
 
 車のハンドルには遊びというものがある。これは、ハンドルを少し操作しただけではタイヤの角度が変わらないようにゆとりが設けられているのである。車をまっすぐに走らせているとき、バンピーな路面ではタイヤの角度が変わるが、ハンドル操作には影響がない。もしかしたらその範囲のことなのかもしれない。もっとも、今の車はサスペンションなどの足回りの技術がどんどん進歩しているから、昔の車と比べて遊びの部分は小さくなっているかもしれないな。
 
 では、遊びがないとどうなるのか。たとえばレーシングカーはハンドルの遊びがほとんど無いといわれている。1000分の1秒を争うスポーツであるから、ハンドル操作ですぐに車体が反応するようにできているのだろう。オンボードカメラの映像を見ていると、時速300km超のスピードでまっすぐに走行しているときでも絶えずハンドル操作を行っているのがわかる。高速になるほどまっすぐに走らせるのが難しくなるのだろうか。インディ500のレースで、まっすぐ走っていて、他車との接触もないのに単独でスピンし、クラッシュしたシーンを見たことがある。きっと一瞬のミスも許されない緊張の連続なのだろうな。
 
 さて、人生においても同じようなことがいえるのではないだろうか。仕事においても、社会生活においても、がんじがらめの規則やルールに縛られてばかりいると、ハンドルの遊びがない車のように緊張の連続となってしまい、心身がもたなくなってしまう。人生は長い道のりであるから、これを乗り切るためには、ハンドルの遊びのように、心にゆとりというものが必要なのではないだろうか。
 
 個人的に思っていることだが、昭和の時代から平成・令和と移り変わり、世の中がだんだんと窮屈になってきた感がある。それくらいのことで騒がなくてもいいじゃないかとか、そんな細かいことどうでもいいじゃないかとかいった話が多くなったような気がする。まさに「重箱の隅をつつく」という状態である。そんな風潮の中で、自分としては心にゆとりを持って大らかに生きていたい。
 
 僕の好きな言葉に「重箱の隅は杓子で払え」がある。これは四角い重箱の隅を丸い杓子ですくうと、隅に残る部分があることから、ささいなことまで干渉しないで大目に見るべきであるというたとえだが、考え方にゆとりを持つべきだという意味にもとれると思う。世の中には白か黒かではなく、白ではないが黒でもないということがいっぱいあるのだ。
 
 最近では、横断歩道で信号無視をする人がいても(子供が見ている前ではやっちゃいけない)、スマホをいじりながら歩いている人がいても(僕はひたすらよけている)何とも思わなくなった。安全確認を十分した上で、かつ事故になったら全責任を背負うということならば、じゃあ、どうぞ・・・なのである。
 あ、法令違反を容認するという話ではありませんよ。念のため。
 
 
 
20230722  
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2023.07.22  汗をかいて夏を乗り切ろう!  
 
 気象庁による梅雨明け宣言がなされ、本格的な夏を迎えることとなった。週間天気予報では、最高気温33~5度の日が続くとされている。あいまいな記憶ではあるが、昭和の夏は気温がだいたい28~9度くらいで、30度を超えるとびっくりし、木陰にいると涼しいというのが定番だった。が、それはもう昔の話で、近年はこれがあたりまえの夏となってしまった感がある。
 
 僕はよく汗をかく。もともとの体質なのか、若いころにバスケをして汗腺が太くなったのか、まあそれはどうでもいいが、汗かきの人にとってはつらい夏といえるかもしれない。夏の季節が嫌いというわけではない。海水浴が好きだったから、冬の季節は「はやく夏にならないかな」と思っていたし、着膨れの冬より薄着の夏の方が、開放感があるし・・・。ただ、「夏は汗をかくから好きです」という人はあまりいないだろう。ということである。
 
 気温が30度を超える日は、ハンドタオルを持っていてもすぐびしょびしょになる。汗をいくら拭いてもすぐに乾く魔法のタオルがあったらいいのに。
 それより、今年から、真昼の炎天下では、ときどき折りたたみの日傘(晴雨兼用)をさすようになった。これが意外といいのである。直射日光を浴びないから、暑さがやわらぐし、汗の量も減る。「男が日傘なんて」と思われるかもしれないが、まったく気にしない。むしろ、熱中症対策としてもお薦めである。
 
 汗といえばいやな思い出がある。もうずいぶん前のことだが、腕時計の針がときどき止まってしまうので、購入した時計屋さんに見てもらった。店主のおじさんがいうには、「開けてみたら少し腐食しているところがある。汗が原因かもしれない」って・・・。無償の修理で済んだものの、俺の汗は腕時計を腐らせるほどの特殊な汗なのか?と、さすがにあのときは少し落ち込んだな。
 
 もうひとつある。僕は近眼なので眼鏡をかけているが、フレームの耳に架かる部分の金属が腐食してしまい、いつポキっと折れてしまうのか気が気でないことがあった。汗が付くと丹念に水洗いをしていたにもかかわらず、である。あと、カレーライスやキムチなど、辛い物を食べると必ず汗が吹き出る。どうして俺はこんなに汗かきなのだろうと、よく嘆いたものだ。
 
 では、汗は悪者なのか?というと、そうじゃない。ネットで検索すると、汗をかくことは、老廃物や余計な水分を排出することで新陳代謝が上がり、免疫力・体力アップが期待できるとあった。それと、重要な役割は体温調節機能で、汗の水分が皮膚の上で蒸発し、熱が奪われることによって体温を下げているのだとか・・・。だから熱中症対策として水分を補給しろといっているのだな。
 
 そうか、汗をかくことはいいことなのだ。よし、これからもどんどん汗をかいて、猛暑の夏を乗り切ってやるぞ。おーっ!
 
 
 
20230624  
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2023.06.24  人の考え方は変わるもの?  
 
 通勤時間を利用して文庫本を読む。このスタイルが定着してから、ん十年が経った。そこで、最近思い立ったのが、一度読んだ本をもう一度読む、である。明治時代以降の創業者物語もいいが、やはり中心となるのは戦国時代の武将の物語だ。同じ本をまた読むなんて・・・、と思われるかもしれないが、実際にやってみると、意外と新鮮なのだ。
 
 戦国時代といえば、その中心人物が織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と移り変わっていったのは間違いのないところだ。それぞれが主人公となる物語を読んで、信長のこんなところがカッコイイな、でも後年になるとそれはやりすぎだろとか。秀吉は情け深い人だな、でも途中からは人が変わっちゃったなとか。家康は苦労ばかりして我慢強かったんだな、でも年取ってからは狡いことをするなあとか。天下統一をめざす過程において、彼らは考え方がどんどん変わっていったのだなあと、思いを馳せたものである。
 
 江戸時代の中期から後期に詠まれたという有名な3首がある。鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、というのがあって、信長、秀吉、家康の順に詠んだとされているが、本人がこんな句を詠むはずはなく、あくまでも狂歌のひとつであろう。はじめは三人の性格の違いをよく表しているなあと思ったが、そんな単純なことではなくて、三人の生き様を総括した表現なのではないか。
 
 では、それぞれの家臣や家来たち、あるいは全国に散らばるライバルの武将たちは、この三人にどう関わったのだろうと気になった。そして、いろんな武将たち(家臣や家来を含む)の物語を読んでみると、武将たちは三人に従順を示したり、裏切ったりして、考え方がどんどん変化していることに気がつく。ただ共通しているのは、みんなお家安泰のために状況を見て判断していることなのだ。つまり、状況が変われば考え方も変化して当たり前なのである。
 
 こうして、いろんな背景を知ることによって、三人に対する思いや考え方が変わっていった。それと合わせて、個人的なことだが、自分自身も年を重ね、体力がだんだんと落ちていくという環境の変化とともに、ものの考え方も変化している。だから冒頭で述べたように、一度読んだ本をもう一度読んでみると、新鮮に感じたのかもしれない。
 
 何年か前の国会中継を思い出した。野党の女性議員が女性大臣に対する質問で「あなたは10年前にこう発言されている。考え方が変わったということですか」って、時代は変わっていくし、状況も当時とは違っているだろう。もっと建設的な質問はないのかと思ったな。
 まとめ。考え方というものは変わるものである。
 
 
 
20230520  
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2023.05.20  ミエちゃんを応援するぞ!  
 
 ミエちゃんがかわいい。女の子ではない。身長185センチ、体重120キロの堂々たる体躯。プロ野球、阪神タイガースのミエセス選手のことである。6番ライトのレギュラーの座をめざし、一所懸命にプレーをしていて、喜んだり悔しがったり・・・。天真爛漫というか、自然体の彼は間違いなくみんなから愛されるタイプだと思う。今風に言えば、いじられやすいタイプ?
 
 名前はヨハン・ミエセス。ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ出身で、1995年生まれの27歳である。地元の高校を卒業した後、2013年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、傘下のチームで5年間プレー。2018年にセントルイス・カージナルスにトレードとなり、傘下のチームで2年間プレー。2019年にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだが、2020年はコロナ禍でマイナーリーグのシーズンが中止となり1年間プレーなし。で、2021年から2年間プレーをして、そのオフにFA(フリーエージェント)となった。
 
 よって、アメリカでは3A止まりで、メジャーでの経験はない。が、驚いたことに、東京オリンピックのときには、ドミニカ代表で来日していて、韓国との3位決定戦では、元阪神の投手だった呉昇桓(オ・スンファン)からツーランホームランを打つなどして、銅メダル獲得に貢献している。では、阪神はなぜ彼の獲得に動いたのか。以前から右打者の大砲を探していて、彼はメジャー経験がないとはいえ、マイナーリーグで通算140本塁打を打っている。反面、三振も多く、守備にも不安なところがある荒削りの選手のようだが、打撃のパワーの魅力は捨てがたく、日本の野球では彼に伸びしろがあると見たようだ。
 
 岡田監督は、「彼はうまくなる。だって本当の野球をしたことないだろ。ちゃんと教えたら大化けする可能性はある」(要約)とコメントしている。キャンプではレフトの守備だったが、「俺はライトの方が得意や」と監督に直訴し、「レフト守っとったんやんかおまえ、何がライトの方がや」と返されたらしい。監督は、レフトにノイジー選手がおるからだと思ったらしいが、これは少し誤解があって、オリンピックではレフトだったが、3Aのときはずっとライトだったのである。
 
 ミエセス選手は、4月に身内の不幸により一時帰国していて、5月5日の広島戦で遅ればせのデビューとなった。そして、第三打席で超特大のホームランを放った。初ヒットがホームランである。ライトの守備でもスーパープレーを披露。やっぱり何かを持っているぞ。試合後のヒーローインタビューでは、記念ボールを持ちながら、「ドミニカに持って帰りたい。父にあげようかなと思う。亡くなってしまったけど、きっと父は天国で見てくれていたと思う」と語っていた。これには少し泣けたな。真面目で純真でやさしいミエちゃん、応援するぞ。
 
 最後に、ミエちゃんは背番号55がよく似合う。で、彼のグラブには刺繍が施されている。「55ミエちゃん」・・・て、わろた。
 
 
 
20230422  
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2023.04.22  僕だけの小さな「こだわり」?  
 
 コロナ禍で家飲みがすっかり定着したが、そういえばといって、立ち飲みに通っていた頃のある「こだわり」を思い出した。それは、代金を支払うときに一万円札は絶対に出さない、である。通い始めたときから決めていたわけではない。昔の話であるが、隣にいた初老のおじさんが、ポケットからくしゃくしゃの千円札と小銭を取り出して支払うのを見たとき、「ああ、立ち飲みというのは、なけなしの金で飲む店なのだな」と、勝手に定義づけしてしまった。
 
 その後はかならず財布の中を見て、千円札があるのを確かめてから店に行くようになった。世の中にはいろんな人がいて、自分が飲んだ分を支払うだけのことだからどうでもいいじゃないかと言われればそれまでだが、なんとなく、で始めたことである。それがいつしか、「こだわり」に変わっていった。
 
 別の「こだわり」もあった。スーツ姿で飲み会に参加したとき、ネクタイは絶対にゆるめない、である。これも最初から自分で決めていたことではない。あるスナックでのことだったと記憶しているが、友人が僕に向かって言った。「〇〇ちゃんは、飲むときでも絶対にネクタイをゆるめないね」と・・・。このとき、僕の心の中でスイッチが入った。もともとスーツは嫌いじゃないし、着ているときはいつもパリッとしていたい。これもいつしか、「こだわり」に変わっていった。
 
 他にも「こだわり」として、夏でもお酒は熱燗で飲む、である。理由は、熱燗のひと口目が喉を通り、食道をとおり、胃を通って十二指腸の入口をノックする快感を覚えてしまったからである。それと、夏でもコーヒーはホットを飲む、である。真夏に「暑いなあ、ちょっと喫茶店にでも入ろう」といって、注文は汗を拭きながら「ホットコーヒーをください」なのだ。コーヒーはホットで飲むのがいちばん美味しいから、というのが理由だが、まわりからは、よくあきれられたな。
 
 まだある。缶コーヒーはサントリーのBOSSブラックしか飲まない。いろんな缶コーヒーを飲んでみて、これがいちばん美味しいと行きついた。しかも入手が可能な限りHOTを選ぶ。インスタントコーヒーはネスカフェのゴールドブレンド。あっさりとした美味しさで飽きない。でもよく考えてみたら、熱燗やコーヒーの場合は、「こだわり」というよりも、ただの好みの問題なのかもしれないな。
 それに、他人と比較することをやめたときから、これまでの「こだわり」はどうでもよくなったといえる。なぜなら、他人からどう見られるかという概念は消え去って、自分はどうしたいのかという観念だけが残ったからである。
 
 ところで、「こだわり」という言葉は、本来は、些細なことに気持ちがとらわれてそのことに必要以上に気をつかう、といったマイナス評価の言葉だったが、近年では、妥協せずに徹底して追求する、といったプラス思考の意味で使われることが多くなったようである。僕の「こだわり」は両者が混同しているかもしれないが、そんなことにはこだわらなくてよろしい。
 
 
 
20230319  
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2023.03.19  なぬ?セーフティーバント?  
 
 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)2023が開催され、日本チームが1次リーグを4勝0敗で突破し、決勝トーナメントに進出した。そして準々決勝ではイタリアチームを9-3で下し、次は準決勝である。いやあ、すごいですね、日本チーム。ぜひ優勝してほしいと、誰もが願っているだろう。
 
 イタリア戦の三回裏で、大谷選手が決めたセーフティーバント。あれには驚かされたと同時に、大谷選手の凄さを垣間見たような気がした。自分がホームランバッターであるという意識はどこにもない。チームが勝つことだけを考えている。1打席目では、内野手を一、二塁間に3人、三遊間は1人というシフトを敷かれ、普通ならセンター前ヒットの当たりだったのに、遊撃手へのライナーに打ち取られてしまった。
 
 イタリアチームは、ランナー一塁の場面で、大谷選手が依然として長打を狙うと思ったのだろう。この打席も前の打席と同じシフトを敷いた。そこに意表を突く三塁線へのセーフティーバントである。ピッチャーが捕ったが、一塁への悪送球となり、ランナー一、三塁とチャンスを広げた。試合後の大谷選手のコメントは、「あの場面、無理に引っ張ってダブルプレーがいちばん良くないと思った」だった。試合に勝つために自分は何をすべきか、ということなのだろう。
 
 そして、吉田選手の内野ゴロでランナーが一人帰って先制点。村上選手の四球の後、岡本選手のスリーランホームランで、この回に4点を取ったのである。この流れを作ったのは、紛れもなく大谷選手である。ホームランバッターでありながら敢えてバントを選んだ大谷選手の、試合に勝つのだという執念が他の選手に伝わったのだと思う。あのバントの後、これまで調子があまり良くなかった村上選手と岡本選手がよく打つようになったのも、それに違いない。
 
 個人的には、数あるスポーツの中で、野球が一番面白いスポーツだと思っている。なぜなら、野球は最後まで何が起こるか分からない、からである。たとえ3点差で負けていても、9回裏2死2ストライクから、安打や四球などで満塁となり、ホームランが出て逆転サヨナラ勝ちとなることがある。つまり、ゲームセットがコールされるまで気が抜けないのだ。このドキドキ感がたまらない。
 
 話を戻す。日本チームはいよいよ準決勝である。あるテレビ番組で、少年野球の子供たちに、優勝を目指すにあたってキーマンとなるのは誰かと質問したところ、1位は大谷選手、2位は村上選手、3位はヌートバー選手だそうである。僕は断然、村上選手だと思っている。彼が本来の調子を取り戻せば、侍ジャパンは間違いなく強力布陣となる。
 何はともあれ、ここまで来たのである。日本チームの選手たちには、持てる力を発揮して、最後まで精一杯のプレーをしてほしい。さすれば、どんな結果になろうとも、日本中のファンは盛大な祝福の拍手を送るだろう。
 
 
 
20230223  
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2023.02.23  マスクと右足とチューリップ!  
 
 3月13日から、マスクを着用すべきかどうかは、個人の判断に委ねると政府が決定した。新型コロナ対策の話である。終息宣言にはほど遠いが、流れが少し変わってきた。ただし、通勤ラッシュ時の混雑した電車やバスに乗るときなどには、マスクの着用を推奨するとした決定も同時にされている。つまり、必要がないからしなくてもよいということではなく、感染対策は依然として重要だということだろう。
 
 これに対する人々の反応もさまざまで、「しばらくは様子を見てマスクは付けようと思う」とか、「息苦しいので外したい。今も外せるタイミングでは外している」とか。中学生の女の子が、「マスクをつけるのは習慣になっているので外して素顔をさらすのは恥ずかしい」と・・・。え、それはちょっと違うだろと思ったが、わからないでもない。コロナ禍になって3年が経っている。年配の人ではそうでもないが、中学生の人にとっての3年は、途方もなく長い時間だといえる。
 まあ、これからは、飛沫感染の仕組みを十分理解した上で、今は付けた方がいいな、今は外してもいいな、でいいような気がするが、どうでしょうか。
 
 それより、個人的な話だが、先月から右足が不調である。長く歩き続けていると太ももが痛くなってくる。骨折の経験はしているから、骨に異常があるとは思えない。杖を使うほどではないし、徐々に悪化しているという感じもない。
 
 いま思えば、寒い日にサイクリングをしたとき、太ももの筋が一本プチッと切れたような、変な感触のときがあった。運動を始める前は、十分な準備運動が必要なのに、それを怠ったせいかもしれない。運動を終えたときのクールダウンも然りである。これまでの経験で、軽い肉離れを起こしたのではないかと思っている。が、推測の域を出ない話なので、これ以上は何とも言えないな。そのうち治るだろうと様子を見ているところである。自然治癒力を信じよう。
 
 年を取るにつれて、身体に異変が起こるのは仕方のないことである。少しでも筋力が落ちないようにと、毎日10分程度の筋トレを行っているところだが、さらにバランスよく、身体を柔らかくするためのストレッチ運動も必要ではないかと思えてきた。5分程度でいいから、トレーニングメニューに加えてみるか。
 
 話はまた変わるが、昨年の11月、ウバメガシを伐採した後の場所に、花と野菜の土、肥料、石灰を混ぜた後、チューリップの球根20個を植えておいた。ホームセンターで売っていたビギナーズ用の球根10個入を二袋である。説明文に、路地では深さ10センチくらいがいいと書いてあったが、後から思えばちょっと深く植えすぎたかなと心配していたのである。が、なんと、最近になって地面から顔を出し始めてくれたのだ。わあ~、うれしい~。ちょっと幸せ・・・
 というわけで、今回は話がバラバラになってしまったな。ま、いいか。
 
 
 
20230121  
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2023.01.21  日本の伝統行事、とんど焼き!  
 
 本年(令和5年)は、我が隣保が自治会の行事のひとつ、とんど焼きの当番となった。先週の1月14日、土曜日のことである。当番といっても、我が隣保だけではなく、他の3つの隣保との共同作業であるし、代表隣保(仕事が多い)ではなかったので気は楽だった。それに、経験豊富な長老が何人かいて、作業の指示をしてくれるので、人夫としての役割を果たせばいいのだ。
 
 とんど焼きというのは、正月にお迎えした神様を送る、日本の伝統的な行事で、松の内が終わり、正月のしめ飾りなどを集めて焼くのである。そして、この火や煙にあたると、一年を無病息災で過ごせるといわれている。しめ飾りだけでなく、なかには書き初めや鏡餅などを焼きに来る人もいるようだ。
 
 松の内は、関東と関西でその期間が違っていて、関東は1月7日まで、関西は1月15日までとなっている。もともとは全国一律、松の内は15日までで、20日に鏡開きを行っていたようだが、関東では、江戸時代に三代将軍の家光が4月20日に亡くなったので、命日の20日はよくないといって、鏡開きの日を前倒ししたことによって、松の内の期間も短くなったということらしい。
 
 さて、とんど焼きの準備である。午前8時に集合。あいにくの雨天で、合羽に雨靴姿の重装備となった。が、仕方がない。近くにある竹林へ行き、まず支柱用として、太さと長さがほぼ均等な竹を4本切り出す。10メートルは超えているだろう。中が空洞だからといって、侮ってはいけない。けっこう重いのである。その他もろもろの竹を、併せて何本か切り出す。それらは櫓の棚になったり、鏡餅を焼くための柄になったり。竹を運ぶだけで汗だくとなった。
 
 支柱となる4本は、先端から3メートルくらいの葉を残して、枝をはらっていく。葉のすぐ下の部分を縄で縛り、櫓を支えるための長い縄を4本取り付ける。しめ飾りを4つ付けたあと、支柱を四角すいの形に起こすのだが、これが最も緊張感を伴う重要な作業だ。あとは地面から2メートルくらいの高さの棚を作り、地面には薪を置く。枝葉を地面と棚に被せ、各戸から集めたしめ飾りなどを棚に乗せて完成である。午前11時頃だった。再集合は午後4時半。
 
 点火は夕方の5時である。雨は上がったし、風もなかった。御神火を松明に付けたあと、櫓に点火。みるみるうちに燃え広がり、天を焦がす勢いの炎となった。怖いくらいである。が、あっという間だった。10分後に櫓が崩れ、30分後には炎の状態が落ち着いてきた。このころに、家から書き初めや鏡餅を焼きに来る人が集まりだした。で、下火になったころ、我が隣保は解散。あとは代表隣保の方たちに任せよう。よろしくお願いします。で、やれやれ・・・
 
 ところで、とんど焼きの呼び名だが、他にどんど焼き、とんと焼きと呼ばれることはあるようだが、どんと焼きと呼ぶのは聞いたことがないな。
 その答えは、アイどんとノーだ。あっはっは。
 
 
 
 
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