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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)


20221218  
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2022.12.18  遅ればせのヘルメットデビュー!  
 
 2022年4月27日に、~自転車の運転者は、乗車用ヘルメットをかぶるよう努めなければならない~といって、道路交通法の一部を改正する法律が公布され、1年以内に施行されることとなった。それまでは、対象者が児童又は幼児だったものが、年齢を問わず、すべての自転車利用者となったわけである。ただし、あくまでも努力義務なので、罰則規定はない。
 この法律改正を受けてというわけではないが、サイクリングを始めて15年、ずっと野球帽だった僕がヘルメットを被るようになった。先月のことである。
 
 いきさつはこうである。酷暑の7月頃、熱中症対策にモンベルのサンブロックアンブレラという晴雨兼用の軽量傘が欲しくなった。ところが、人気の商品らしく、売り切れてしまっていて、在庫がないという状態が続いた。で、先月になって、在庫があるという情報を入手したので、今のうちだと思い、さっそくモンベルの店へ出かけて行ったのである。あくまでも目的はこの傘だった。
 
 そして、「やっと入手したぞ」といって、サンブロックアンブレラを買い物かごに入れ、ふとサイクリングのコーナーに顔を向けたとき、黒いヘルメットの展示品と目が合ってしまった。まさに出会いの瞬間のような感覚だった。こっちへ来いと言っている。で、手に取ってじっくり見てみた。シンプルなデザインで、なかなかいいではないか。
 「おお、これなら被っていいかも・・・」
 
 商品名はアーバンサイクルヘルメットである。被ってみると、軽くてフィット感もいい。迷わず買い物かごに入れた。後にモンベルのサイトで見たのだが、この商品の解説文に~クロスバイクや小径車に乗る方でも抵抗のないシンプルなデザイン~とあった。そのとおりである。小径車に乗る僕にとって、ロードバイク用の派手なデザインに抵抗感があったことは否めない。
 
 というわけで、自分の好みにぴったりと合うヘルメットを見つけたことで、これまでお世話になった野球帽とはお別れとなった。次の日、天気が良かったので、さっそくヘルメットデビューである。ヘルメットは窮屈なものだと思っていたが、意外と快適なのだ。が、ひとつ問題が発生した。ヘルメットの前部に通気口があって、寒い日はおでこから脳天にかけて、すごく冷えるのだ。
 
 これは何とかしなくちゃ。防寒としてではなく、バンダナのように薄い布で頭を何とか覆うことができないかと思い、ホームセンターに出かけると、あった。工事用ヘルメットの下に被る吸汗インナー帽である。いわば頭の下着だな。インナー帽を被り、ヘルメットを被り、さらに耳あてをつける。これでバッチリ。
 
 話を戻す。すべての自転車利用者にヘルメット着用が努力義務となったが、法律としては今後もこの努力義務で止めておいてほしいな。だって、ちょっとそこのコンビニまで、というときもいちいち被らないといけないのかってことになる。勘弁してください、である。あ、あくまでも個人的な意見ですよ。
 
 
 
20221120  
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2022.11.20  ささやかな筋トレがいいかも!  
 
 あおっている。昨今の新聞では、高齢者向けの健康がどうのこうのといった、サプリメントや健康食品の広告がやたらと多い。と、感じているのは僕だけだろうか。たしかに高齢者のみなさんは意外とお金を持っていて、健康不安の心理に付け入り、あの手この手でそのお金を出さそうという魂胆に見えるのだが、さすがにこれはちょっと勘ぐりすぎかな。
 
 私見というか僕の持論だが、健康について考えること自体が健康によくないと思っている。よく体を動かし、腹が減ったらご飯を食べて、眠くなったら眠る。つまり、普通の生活をしていれば、おのずと健康でいられるのではないかと・・・。ま、ただのへそ曲がりなのかもしれない。少し恥ずかしくなった。
 
 ところで、年を重ねるにつれて、体力がだんだんと落ちてくるのはたしかにそうだなと実感しているところだ。筋力を維持させなければ・・・、維持が無理なら衰えるスピードを鈍化させなければ・・・と考え、ささやかではあるが、筋トレを毎日するようになった。始めてからちょうど2年になる。自分に合った無理のないメニューである。どんなことをしているのか、少ししゃべってみる。
 
 まず、指立て伏せを15回。形は腕立て伏せだが、バスケットボールの練習でやっていたので、この方が慣れている。次に腹筋運動を30回。足の先を軽く固定させ、ひざは曲げている。背中をべったりと床に付けるのではなく、途中で止めて繰り返す。続いて背筋運動を30回。床にうつ伏せになって、上半身をゆっくり起こす。初めのころは辛かったが、そのうちに慣れる。腰痛を起こさないためには、この背筋運動が最も重要ではないだろうか。
 
 ここで鉄アレイ(5kg×2個)の登場である。いまはダンベルと呼ばれるのが多いようだが、鉄の塊なので鉄アレイと呼ぶ方がしっくりくる。で、直立の姿勢になり、まず大胸筋。真下からではなく横から持ち上げるのを、左右交互に計30回。次に上腕三頭筋。肘を固定させたまま後ろへ持ち上げるのを、左右10回ずつ。上腕二頭筋は日常生活で常に使う筋肉なので意識していない。
 
 次は左右の手を背中側へ回し、肩甲骨を閉じたり開いたり、これを10回。もちろん鉄アレイはずっと持ったままである。続いて腰の回転運動を左右交互に計10回。そのあと立位体前屈。浅く8回、深く8回。測定すればマイナス十数センチはいくだろう。
 あともう少しである。太ももの屈伸を50回。いっきにするのが目標だが、20回、20回、10回のインターバルでもかまわない。次にふくらはぎで、かかとを上げるのを30回。最後に、四股を踏んだ後の姿勢で屈伸運動を4回×4回。これはお尻の筋肉だな。とまあ、こんな感じなのである。
 
 所要時間は10分くらいかな。たいしたことないと思われるかもしれないが、たいしたことないから続けられるのである。
 もしかしたら、お薦めメニューかも。
 
 
 
20221022  
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2022.10.22  脳の不思議なメカニズム?  
 
 休日になり、「さて、次は何の話題について書こうかな」と考えるのだが、その日が降水確率0%の快晴だと、「それより、こんなにいい天気なら自転車に乗ろう」といって、つい出かけてしまう。そして、サイクリングをしながら考えればいいじゃないかといつも思うのだが、これがまた不思議なことに、話題のことはすっかり忘れてしまっているのである。
 
 自転車に乗っているとき、何も考えていないというわけではない。やや登り勾配の道になると「ギアを一段落とした方がいいかな?」とか、前方にバンプがあると「あ、腰を上げなくちゃ」とかいろいろ考えながら走っている。それと、目に入る情景で「今日は空が青いなあ」とか、「きれいな景色だなあ」とか、あるいは散歩している犬を見て「あ、かわいいワンちゃんだ」とかいって感動したりもする。つまり、サイクリングをすることに集中しているのである。
 
 似たような状況として、マラソンで走るときも同じといえるのではないだろうか。中学生のときに経験している。マラソンではないが、駅伝大会に出場したときのことである。走っていてへとへとになってきたとき、「自分ひとりだけなら棄権できるのに。いや何を言っている。次のランナーに襷を渡さなきゃダメだろ。がんばれ」とか、「スピードが落ちてきた、もうあかん。そういえばピッチが遅くなっているぞ。練習を思い出せ。ピッチピッチ」とかいって、ネガティブな感情とポジティブな感情を行ったり来たりである。つまり、走ることに集中していて、無事にゴールする(襷をつなぐ)ことしか考えていなかった。
 
 さらに似たような状況として、園芸を楽しんでいるときも同じだといえるのではないかと思う。土をいじっているとき、雑草を引いているとき、花の切り戻しをしているときや水やりをしているときは、やはり他のことは考えていない。
 それと、実は、先月に根こそぎで伐採したウバメガシの切り株を素材にして、いまオブジェ制作を試みている。罪滅ぼしというわけではないが、いい姿にして残してやろうと思ったのである。ところが半分腐ったような状態なので、うまくいくかどうかはわからない。本来ならばノミと金槌で削るのがいいのかもしれないが、そんな高価なものには手が出ないので、文房具屋さんで買った彫刻刀で削っている。時間がものすごくかかるだろうけど、仕方がない。で、ひたすら削っているときは、やはり他のことは何も考えていないのである。
 
 これがいわゆる無心の状態というものなのだろう。言い換えれば、雑念や邪念が入るすきがない状態ともいえる。人間の脳は、何事かに集中しているときは他のことが考えられないようにできているのだろうか。不思議なメカニズムだなと思うが、当たり前のこととも思える。
 というわけで、今回はなんだかんだといろいろ書いたが、話題については何も思いつかなかったというのが真相である。ご容赦を・・・
 
 
 
20220925  
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2022.09.25  木の伐採・根こそぎ奮闘記!  
 
 ようやく決心がついた。たいそうなことではない。庭に植わっているウバメガシの伐採である。いや、その場所にはまた何か新しいものを植えたいので、いっそのこと根こそぎにしよう。実はこのウバメガシ、地面のすぐ上の幹が枯れてしまい、半分くらいがなくなってしまったのである。枯れるというより、腐っているという感じだったな。その部分に触れると、いとも簡単に剥がれ落ちた。
 
 いままでに兆候はあった。先端の葉がたくさん枯れたので、目の高さのところの幹を切ったことがある。その後、枝のひとつが枯れだしたので、これも切った。最終的に枝は三つになってしまったが、全体の姿は悪くなかった。丁寧に剪定を続けたつもりであるが、とても残念だ。上部の幹は何ともないので、根に問題があるのだろうが、環境が悪いのか病気なのかはわからない。
 樹齢は不明だが、木の全体が朽ち果てるのは見るに忍びない。だから、かろうじてではあるが、美しい姿のまま記憶に留めたいと思った。よし、切るぞ。と、その前に、塩を少し盛って手を合わせた。木の神様、ごめんなさい。
 
 まずは枝葉である。ためらいの気持ちがなくもないが、決心は揺るがない。剪定バサミで、三つの枝の葉をすべて刈り取ったあと、枝を鋸で切り取った。そして、枝の細いところは剪定バサミで、太いところは鋸で切って、できるだけ細かくしてからゴミ袋に詰め込んだ。
 次に幹である。地面からすぐ上の部分を鋸で切った。切り口を見ると、たしかに半分しかなかった。こんな細い体で支えていたのかと思うと、何だか申し訳ない気持ちになった。そのあと、ゴミ袋に入るようにと、鋸で4等分に切った。これで伐採は終了である。今日はこのくらいにしておこう。
 
 次の日。さあ、根こそぎにするぞ。まずはつるはしの出番だ。園芸用の小さなものだが便利な代物である。地面をほぐしていくと根にあたった。できるだけ幹に近いところを鋸で切る。手で持って根を引き抜こうとするが抜けない。そりゃそうだなといって、移植ごてを使い、根をとことん追いかけていく。これで抜けたときはラッキーだがごく稀である。深いところの根が細くなった部分を剪定バサミでちょきん。この作業を、幹の周りで何度も何度も繰り返した。
 
 幹はまだびくともしない。土をシャベルで取り除きながら、まだ根はないかと鍬で探っていくと・・・、あった。そうやって根を見つけるたびに、鋸や剪定バサミで切っていく。こうなるともう闘いである。お、幹がぐらつきだしたぞ。あと少しだ。そして、最後はバキバキッと、力任せに幹を倒した。よっしゃあ。
 もう汗だくである。この日は曇り空だったので少しは助かったが・・・
 
 以上、剪定バサミ、鋸、つるはし、移植ごて、シャベルと鍬の総動員によるウバメガシ伐採・根こそぎ奮闘記でした。
 ウバメガシよ、さようなら。それといままでありがとう。
 あたた、腰が・・・
 
 
 
20220821  
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2022.08.21  夢を見たという夢を見たのか?  
 
 真夜中の住宅街を、俺は走っている。自動車も走らず、通行人もなく、シーンと静まり返った住宅街を走っている。いや、走っているというより、何かから逃げているのだ。全力疾走とまではいかない。駆け足程度の速さである。それにしても、いったい何から逃げているのか、なぜ逃げているのかが分からない。ときどき振り返るが、誰もいないし、追いかけてくるものは何もない。
 
 自分でもわけが分からないが、恐怖感といったものはなく、とにかく逃げている。ちょっと待てよ。ほの暗い街灯だけでよく見えなかったが、ここは俺が小さい頃に住んでいた町ではないか。それなら、もう少し行くと右側に小路があるはずだ。あった。俺はその小路を駆け抜けて、隣の通りに出た。
 すると、左側から何かがやってきた。自動車とかではなく、もっとバカでかいものだ。そのバカでかいもの、それはなんと、蒸気機関車だったのだ。客車はない。機関車と炭水車だけである。え?この住宅街を蒸気機関車が走ってきたのか?レールもないのに?
 
 蒸気機関車が目の前で止まった。そして、機関室の窓から男が顔を出した。あ、親父じゃないか。親父は数年前に他界したはずだ。なぜ親父が?と思って見つめていると、何やら機関室のドアの下を指さしている。早くつかまれと言っているようだった。俺は迷わず足掛に飛び乗り、手すりにしがみついた。蒸気機関車が動き出した。煙も蒸気も出ないのに動き出した。どんどんスピードが増して、思わず目をつぶった・・・
 
 そっと目を開けると、朝だった。そう、これは、ん十年前に見た夢の話である。いまでもそのシチュエーションをはっきりと憶えている。なぜこんな夢を見たのだろう。当時は大きなトラブルもなく、平穏な毎日を送っていたはずだ。仕事での悩みもなかったとは言えないが、しょせん些細なことである。では、俺は何から逃げていたのだろう。誰から逃げていたのだろう。
 それと、よく分からないが、他界したはずの親父が、何かから逃げている俺を助けてくれたのはどういうことか。もしかしたら、あの世から、俺のことをいつでも見守ってくれているということなのか。うーん、分からないな。
 
 そのとき、ガタンと音がした。ん?といって目が覚めた。真夏のある日、居間でうたた寝をしていた自分に気が付いた。先ほどの音は、高齢の母がよろけてガラス戸に当たった音らしい。なんということか。俺は、ん十年前の夢はいったい何だったのだろうと、回想している自分の夢を見ていたのだった。つまり、こんな夢を見たことがあったと思い出している夢を見たことになる。へえ、珍しいこともあるのだなと思って、書き留めた次第である。
 
 夢の内容が意味するものとか、深層心理とかは、どうでもいいのだ・・・
 
 
 
20220724  
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2022.07.24  頂点を目指すアスリートたち!  
 
 子供の頃は、かけっこが好きだった。いわゆる徒競走というものである。かけっこは漢字で駆けっこ、または駈けっこと書くらしい。これは知らなかったなあ。で、かけっこといえば運動会である。小学校の運動会では何メートルの競争だったのか憶えていないが、50メートルくらいだったのかな。上位に入賞して賞品の鉛筆を貰ったのはいまでもよく憶えている。
 
 特に得意だったというわけではない。なぜなら、一位でゴールした記憶がないのである。クラス対抗のリレー選手にはいつも選ばれていたから、相対的に速く走る方だったとはいえるが、絶対的な速さはなかった。次は一等賞を取ってやるぞといって、腕の振り方とか太ももの上げ方とかいろいろ工夫を重ねてみるのだが、それでも自分より速い奴が必ずいたな。
 
 中学生になると、陸上部の部員が少なかったので、バスケットボール部に在籍していながら、助っ人として、参加校が40くらいの駅伝大会に出場したことがある。7区のうちの第4走者で、「よっしゃあ」と意気込んだものの、3人に抜かれてしまい、1人を抜き返すが精一杯だった。第1走者は15位で、最終結果は33位だ。惨敗である。悔しくて涙を流したが、自分より速い奴が、この世の中には無尽蔵のようにいると実感した瞬間でもあった。
 
 さて、7月15日から本日(24日)まで、2022年世界陸上競技選手権大会が、アメリカのオレゴンで開催された。通常は都市名で表記されるのに、今回は都市名のユージーンではなく、なぜか州名のオレゴンである。が、どうでもいい。
 世界陸上は、無尽蔵のようにいるアスリートたちの中から、世界一の座を競う究極のかけっこ大会である。時間の許す限りテレビで観戦していたのだが、フィールド競技を含めて、どの種目も感動を与えてくれる。金メダルはたったひとつだが、みんながんばれ、である。
 
 で、観戦していてあることに気が付いた。それは、選手たちはそれぞれ目標設定が違うのだな・・・と。選手は自己記録というものを持っていて、当然、自分がどのレベルにあるのかを知っている。例えば、トラック競技の決勝で3位になった選手では、うなだれて悔しがる選手と体中で喜ぶ選手とに分かれる。前者は金メダルを目標にしていて、後者はメダリストになることを目標にしていたのだと思う。心中を察すると、一緒に悔しがったり喜んだりと、忙しい。
 
 女子やり投の決勝で、北口榛花選手が銅メダルを獲得した。まずはおめでとう。その北口選手のコメントにそれがよく表れていると思った。「入賞を目標にしていたので、・・・他の選手も強い選手ばかりとわかっていたので、・・・メダルが取れてうれしい」、そして最後に「これから金を目標にがんばりたい」、目標設定がアップした瞬間だ。それより、このメダル獲得は、投てき種目では日本女子初の快挙だそうである。そうだったのかあ。もう一度、おめでとう。
 
 
 
20220619  
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2022.06.19  IEが終わりエッジの時代へ!  
 
 6月15日に、マイクロソフト社のインターネットエクスプローラー(IE)のサポートが終了となった。2004年にパソコンを初めて手にして以来の使い慣れたブラウザだったので、いざ無くなってしまうとなると少し寂しい。同社はWindows10から導入されたマイクロソフトエッジというブラウザを推奨している。素人ながらに、この流れはいったい何なのだろうと疑問に思った。
 
 インターネットエクスプローラーとエッジの違いについて、いろんなサイトを少し探ってみた。まず、全体的なデザインとしてフラットデザイン、つまり平面的なデザインに変わってアイコンやボタンが大きくなっている。これはタッチパネル操作でボタンを押しやすくするためのようである。
 次に、右クリックをしたときの表示メニューが、必要最小限と称してかなり少なくなっていて、しかも行間隔が広くなっている。これもタッチパネル操作を意識したものかもしれない。
 
 あと、印刷画面で印刷プレビューと印刷設定をひとつの画面にまとめたとか、ブラウザの設定で、IEではツールからインターネットオプションを選んでダイアログボックスで操作していたものを、ボタンひとつで設定項目を表示させるようにしたとかがある。
 これらはいずれも、デスクトップでマウス操作している者にとってはどうでもいいことのような気がするのだが・・・
 
 さらには、エッジの独自機能として、Webページの文章に線を引いたりコメントを書き込んだりする「Webノート」とか、Webページのレイアウトとは関係なく文章と画像を読みやすく表示する「読み取りビュー」とかが追加されているらしいが、これって必要なのか?と思ってしまう。我がサイトもエッジで開くとレイアウトが勝手に変わったことがあるが、この機能のせいなのかな。なんだか勝手にいじられているという感が否めない。
 
 おそらくこれが最も重要なことだと思うが、ブラウザエンジンにChromiumベースの「Blink」が採用され、高速で安全性が高まったとされていることだ。デスクトップだけならIEで十分だったのだろうが、スマホやiPadとの共有など、パソコンの使い方が時代とともにどんどん変化している。たぶん、将来を見据えての転換なのだろうと推測する。がしかし、IEはシンプルでよかったのになあ、というのが素人ながらの個人的な感想だ。ま、慣れていくしかない。
 
 それより厄介なのが、Windows11の問題だ。パソコンを開いていると、しきりに10から11への移行を促す場面が出てくる。いくつかのソフトがまだ11に対応していないから、移行したくてもできないのが現状なのだ。
 なぜそんなに急がすのか。ゆっくりやろうよ、ゆっくり・・・
 
 
 
20220522  
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2022.05.22  冬の花たちよ、ありがとう!  
 
 いよいよお別れのときである。~ありがとう~と感謝の気持ちを込めながら、ハサミでちょきん、ちょきん・・・と、冬の花のパンジー、ビオラ、ノースポールたちの茎を切っていった。今年は春になっても肌寒い日が続いたせいか、ゴールデンウィークが過ぎても元気いっぱいに花を咲かせてくれた。そんな花たちを見ていて、本当に嬉しくなった。可愛い・・・(うまい表現が見つからない)
 
 がしかし、ここ数日の間で元気がなくなり、見る見るうちに弱っていった。やはり気温が高くなったせいだろう。それでも次々と蕾を膨らませ、懸命に咲こうとしていた。そんな姿を見て少し切るのをためらったが、心を鬼にして踏み切ったのである。夏の花を植えるのに土を養生させるためでもある。
 
 冬の間に休ませていたプランターや植木鉢があって、ゴールデンウィークにはミニトマトやししとう、それに朝顔、マリーゴールド、ベゴニア、サルビアなどの夏の花をすでに植えている。朝顔はまだ葉だけだが、いずれも順調に育っていて、二週間ほど冬の花と夏の花が混在する形となった。まさに花たちのバトンタッチの季節といえるだろう。
 
 で、冬の花とのお別れだが、茎を切っていると、花たちの声が聞こえたような気がした。「まだまだ咲くことができるのに、本当に切っちゃうのか?」いや、そうじゃない。「もうへとへとで苦しかったよ、やっと切ってくれるのかい?」って聞こえるはずもないが、花たちはどう思っているのだろうな。
 
 世の中には、~植物の声が聞こえる~という人がいるらしい。信じられない話だが、信じたい話ではある。自分の場合は園芸の初心者で、いまのところは話しかけるのが精一杯だ。そもそも園芸を始めたのは、コロナ禍の中で、~家で何かできることはないか~というのが出発点なのである。花や野菜を植えて育てるなんて、それまでの生活では考えられなかったことだ。
 
 コロナ禍のせいで生活が云々となってしまったとよくいわれる中で、不謹慎だが、コロナ禍のおかげで花や野菜を育てることの楽しさを知ったといえるだろう。たぶんおそらく、世の中には同じような人がいっぱいいるだろうな。
 園芸の作業は、立ったり座ったりと体を動かすことが多いので健康増進にいいとか、気分転換やストレス発散になるので精神的にもいいとかいわれるが、それはあくまでも副産物であって目的ではない。これはサイクリングも同じだが、自分にとって気持ちのいいことをしたいだけなのである。
 
 日々切り戻しや水やりの作業をしていて、ふと~慈しむ~という言葉が浮かんだ。園芸の真髄はまさにこれではないかな。手塩にかけて育てた花の枯れていく姿は見るに忍びないが、別れの言葉はやはり~ありがとう~だな。
 
 
 
20220424  
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2022.04.24  鉄道の危機は日本の危機?  
 
 先日、新聞記事を見て驚いた。4月11日に、JR西日本が路線維持の難しいローカル線の収支を初めて公表したという記事である。人口の減少や自家用車の普及による鉄道離れが進んでいるので、鉄道業界では経営環境の悪化が深刻な問題となっているらしい。
 この記事の特性としては、100円の収入を得るために人件費や修繕費などのコストがどれだけかかっているか(営業係数)を示していることだ。ただし、路線全体ではなく、一部の区間についてである。公表内容があまりにも具体的すぎる。これは何か意味があるぞ。
 
 JR西日本は、コロナ禍以前からの課題であるとしているが、コロナ禍やそれに伴うリモートワークの普及などが追い打ちをかけているのはあきらかだ。だからといって、赤字区間の沿線自治体を脅してどうする。公共交通機関なのだから、全体の収支で考えなけらばいけないのでは?と思っていたら、そんなことは百も承知で、都市部や新幹線の収益でローカル線の赤字を穴埋めする手法は維持できなくなったとしている。これはかなり深刻だな。
 
 ローカル線の赤字問題は以前からあったことだが・・・。利用する人が減ったので赤字になる。赤字を少しでも解消するために本数を減らす。本数が減るとますます不便になる。不便になると利用する人がさらに減る。もう悪循環である。
 原因は人口減や過疎化もあるだろうが、マイカーの普及による鉄道離れがいちばん大きいのではないだろうか。公共交通機関こそが最も便利な移動手段であるという社会構造にしなければこの問題は解消しないだろう。
 
 採算が合わないからいずれ廃線になるのでは?と考えるのは短絡的な話で、必要か必要でないかで捉えるべきだろう。たとえ利用者が減っても必要であるに決まっている。通学生、帰省する人、旅行客たちのことを考えれば、鉄道というネットワークはとても大事な存在だ。現にJR側も、会見では「廃線を前提に置いていない」としている。要は公共交通機関としての使命を負いつつ、民営会社としての経営努力だけではどうにもならないところまで追いつめられているということだ。むしろ悲鳴を上げているのはJRかもしれない。
 
 国も国である。日本国有鉄道(国鉄)から民営化されたとはいえ、過疎化がどんどん進むような国づくりをしていながら、傍観することは許されないだろう。あ、もしかしたらこれが目的なのかも・・・。
 会見や新聞記事で、「鉄道会社や自治体はこんなにも苦しんでいる」と世間に知らせ、もはや国家的な問題であるとして、国をこの問題の土俵に上げようとしているのではないか。
 
 とにかく、鉄道の歴史が日本の文化であることは否めない。いつまでも存続してほしいと思っているのは僕だけではないだろう。
 ~線路は続くよ、どこまでも♪~の歌がいつまでも愛されるよう、さあ、みんなで考えよう・・・だな。
 
 
 
20220319  
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2022.03.19  ポチ、おまえってすごいなあ!  
 
 休日の夕方は、隣町の大型スーパーまで買い物に行くのだが、その通り道にある家の大きな庭に一匹の犬がいる。庭といっても囲いはなく、広い敷地といった方がわかりやすいかもしれない。柴犬に似ているが、雑種犬のようだ。家から離れた、道路に近い場所に犬小屋があって、長いリードで繋がれている。たぶん、できるだけ広い範囲を自由に動き回れるようにとの配慮だろう。
 
 いつも自動車でその前を通るのだが、晴れた日はもちろんのこと、雨の日も風の日も、元気よく動き回っているのだ。雨が強い日に通りかかったときは、さすがに今日は小屋の中でじっとしているだろうと思ったら、なんと、泥んこになった足で走り回っているのだ。驚いた。「これしきの雨ぐらい、なんのその」という感じなのである。
 
 体はさほど大きくはない。年齢は4~5歳くらいだろうか。道路はひっきりなしに自動車が通るのだが、怯える様子はまったくない。それと、数えきれないくらい前を通っているのに、吠えているところを一度も見たことがないのだ。いつ見ても悠然としている。いつしかこの犬のファンになり、会うのが楽しみになってきたので、勝手にポチと呼ぶことにした。そして、このポチがすごい犬だなと思えるようになってきたのである。これまでに目撃したシーンを振り返ってみよう。
 
 シーン1。「ん?あの黒いのは何?」といってよく見ると、カラスだった。カラスが至近距離にいるのに、ポチは動じる様子もなく、座ったままカラスを見下ろしている。カラスがポチを見て、「ポチ、おまえの餌を少し分けてくれない?」、「いいよ、カー君は腹が減っているの?」と、そんな感じだった。別の日に2羽のカラスが来たこともあるが、雰囲気は同じだった。
 
 シーン2。「ん?またカラスが来ているのか?」と思ったら、今度は黒い猫だった。てんこ盛りのポチの餌を食べていて、ポチはそれを見守っているかのようだった。まるでお客さんをもてなしているかのように。また別の日は、茶色の猫が来ていて、ポチのそばで座っていた。餌はまだなく、「もう少し待っていてね」と、そんな感じだろうか。ポチはゆっくりと動き回っていたな。
 
 シーン3。「あ、ポチがこっち向いて座っているな」と思ったら、ポチは手前で背中を見せて座っていた。「じゃ、あれは誰?」といって見ると、キツネのようだった。犬ではないことはたしかだ。「うわあ、ポチ、おまえの家にはいろんな奴がやって来るなあ」といって、もうびっくりである。まるで来るもの拒まず、だ。
 
 後からわかったことだが、ポチはどうやら女の子のようである。でもまあ、ザギトワさんが飼っている秋田犬のマサルも女の子だから、ポチでいいだろう。
 誰が来ようと悠然としているポチ。おまえってすごいなあ・・・
 
 
 
20220220  
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2022.02.20  自分だけの至福のときだ!  
 
 寒い日が続いている。が、北京オリンピックで競技する選手たちは氷点下20度の気温の下でがんばっているのに、氷点下1~2度くらいで気が滅入る自分はなんという体たらくか。ただ寒いだけならいいのだが、手足が冷えるのがいやなのだ。人間の体のメカニズムでいうと、寒いときは臓器を保温しようとするので、体の中心部に血液が集まるため、手や足に血液が行きわたりにくくなるらしい。いわゆる血行不良の状態だ。
 
 そこで、冬の寒い季節は、手足が冷えたままの状態で布団の中に入るのがいやなので、就寝の1時間くらい前に入浴するようにしている。入浴前には日課の筋力トレーニングを軽く行っているから、少し疲労状態である。で、お風呂場に行って湯船につかるのだが、冷え切った体では41度のお湯がものすごく熱く感じられる。なので、ゆっくりと、ゆっくりと体を沈めていく。手足の先がじーんとなり、体は弛緩状態となる。あ~気持ちいい。至福のときである。
 
 待てよ。至福のときという表現はどんなときに使うべきなのか、決まりはあるのだろうか。至福という言葉自体は、この上ない幸せとか、きわめて幸せなこととかいった意味であるが、至福のとき(時)となると、辞書などでは「これ以上ないというほど素晴らしい体験をしたとき」とか、「きわめて強い快感が生じたとき」とか説明がなされているが、どうなのだろう。個人的な意見としては、他人と比べるものでもなく、客観的に評価されるものでもないと思っている。そう、本人が至福と感じればいいのだ。よって、決まりはない。
 
 寒い季節は熱燗が美味しい。コロナ禍の影響もあって、いまでは家飲みの生活となった。仕事を終えて家に帰り、まずはビールである。とりあえずビールという言い方は好きじゃない。ビールに対して失礼である。まずはビールだ。で、口から食道、胃にかけてすっきりさせた後、熱燗をいただく。この熱燗のひと口目がこの上なく美味しいのである。体ではなく精神が弛緩状態になるのだ。あ~美味しい。至福のときである。
 
 まだある。何の予定もない休日の前夜は、目覚まし時計をセットする必要もなく、自然に目覚めるまで寝ていればいい。明日のことは、朝起きてから考えればいいのだ。いまはもう何も考える必要はない。そういって布団の中に入り、まどろみに溶けていくあの感覚が何とも言えない。もう心も体も弛緩状態となる。あ~幸せだ。至福のときである。
 
 おまけにもうひとつ。「今日は歯医者さんに行かなくちゃ」といって、トレッキングパンツを穿き、Tシャツとカジュアルシャツを着て、サーキットで買ったスタッフジャンパーを羽織る。そして、野球帽を被り、ウォーキングシューズを履いて出かけていく。あ~いい天気だ。私服のときである。あ、これは冗談。
 
 
 
20220121  
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2022.01.21  終息どころかオミクロン株?  
 
 コロナ禍が始まってから2年経った。が、いまだに終息する気配はなく、それどころか、コロナウイルスは変異を繰り返し、オミクロン株となって猛威を振るっている。いわゆる第6波への突入だ。昨年の10月頃から感染者数が減少し、このまま徐々に終わってくれたらいいのにと思っていたが、案の定「そうはイカのキンタマ」だった。人類とウイルスの闘い、もう勘弁してください、である。
 
 オミクロン株は、感染スピードは速いけれど、無症状や軽症がほとんどで、重症化率がこれまでと比べて低いとされている。それと、ワクチンを接種していない若い人たちが多く感染しているらしい。そこで政府は、東京や神奈川などの13都県に対して、連日過去最多の感染者数を更新しているにもかかわらず、緊急事態宣言ではなく、まん延防止等重点措置を適用すると発表した。その後、さらにいくつかの府県を追加させる予定のようである。
 
 今回の対策は行動制限のトーンが少し違う。極端な言い方をすると「動くな」ではなく「集まるな」である。それより、対策の中の表現の変化を見つけた。「密の回避(密閉・密集・密接のどれか一つでも回避)」とある。何を言っているのかがわからなかったが、なるほどと思った。初めのころは「密閉・密集・密接の3密を回避する」だったが、3密と書いちゃったものだから、密閉・密集・密接すべての状態を満たした場合と勘違いした人がいたのかもしれない。
 
 それはさておき、「もう以前のようにマスクなしで自由に行動できるときはやってこないのだろうか」という不安の声を耳にすることがある。そんなことはない。コロナが終息し、いつかそんなときがやってくると信じている。人類は絶えずウイルスと闘いながら克服してきたのである。いまはただ我慢するときなのだ。
 
 しかしながら、人類が開発と称して自然を破壊し続けているから、未開の土地に潜んでいたウイルスを次々と誘い出してきたのも事実である。もしかしたら、ウイルスとは闘うのではなく、共存・共生を考えるべきであったのかもしれないが、それさえも、もう遅いのかもしれない。そもそも、人類が地球上のすべてを支配しようとしたことから、ウイルスとの闘いを余儀なくされたといえるだろう。
 
 歴史にイフは禁物だが、大航海時代の先進国たちが、アフリカ・アジア・南アメリカの熱帯雨林地帯を、南極大陸のようにどの国も所有してはならないとか、開発をしてはならないとかの決まりを作っていてくれたら、地球は壊れなかったかもしれないし、ウイルスとの闘いなんてなかったかもしれない。たぶんおそらく、この地域は人類が入ってはいけない場所だったのだ。
 
 今年は良い年になりますようにと祈念した正月早々、出鼻をくじかれたような事態になってしまったが、悲観的になるのではなく、できることをやろう。
 そしてもう一度言おう。今年は良い年になりますように・・・
 
 
 
 
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