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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)


20161223  
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2016.12.23  ご飯粒を残すと目がつぶれる?  
 
 先日、とある食堂で昼食を取ったときのことである。いわゆる飯屋(めしや)と呼ばれるもので、陳列ケースから好きなおかずを選んで、ご飯とみそ汁を注文するスタイルの店である。その日はあいにく店が混んでいて、4人掛けのテーブルに、20歳代後半?のお父さんと5歳くらいの男の子との相席になった。お父さんは足を組んで、スマートフォンをいじりながらパクパク。男の子は湯飲みを両手で持って、お茶をズーズー。何気ない場面である。
 
 しばらく経ってから、お父さんが男の子に言った。
 「じゃあ、そろそろ出ようか?」
 すると男の子が、お父さんの茶碗の中を覗き込みながら返した。
 「お父さん、ご飯がまだいっぱい残ってるよ」
 うん?といって、ちらっと見ると、たしかに残っている。が、男の子がご飯と言ったのは、たくさんのご飯粒のことだったのだ。お父さんは子供に大きな声で言われたものだから、ばつが悪そうに、「ホントだなあ」といってご飯粒を残さず食べていた。思わず心の中で呟いてしまった。「坊主、やるではないか」
 
 ご飯粒を残すと目がつぶれる。子供の頃によく親から言われたものである。ご飯粒を残したからといって、本当に目がつぶれるなんて誰も思ってはいない。ただ、想像してみるとやはり怖いので、親の言うことを聞いておこうとなる。お百姓さんが苦労して育てたお米だから、一粒たりとも無駄にしてはいけない。そんな戒めの言葉ということだろう。これは、どの地方にでもある昔からの言い伝えだが、なぜこのように言われるようになったのかについては諸説あるようだ。米には神様が宿っているからとか、米は貴重なものだからとか・・・
 
 前述の男の子はおそらく、お母さんから「最後まできちんと食べなさい」としつけられて育ったに違いない。お父さんを責めているわけではない。子供の頃にしつけられていなかったのなら、それはそれで仕方がない。子供と一緒に学べばいいのである。いやあ、本当に微笑ましい光景だった。よく見ると、かわいらしい男の子だ。この子は、物を大切にするいい大人になるだろう。
 
 食事の作法について、日本では“残さずに食べる”というのが定着しているが、外国では“すべて食べずに少し残す”のが礼儀とされている国があるらしい。もう十分ご馳走になったというサインだとか・・・、まあ文化の違いなのだろうけど、自分としては、日本での“残さずに食べる”の方が好きだなあ。食べ物を粗末にしてはいけない。これが心に刻み込まれているからかもしれない。
 
 何日か経ったある日、今度は年配のおじさんと相席することになった。おじさんは勘定を済ませて席を立たれたが、茶碗の中にご飯粒をいっぱい残しまくり、である。あれまあ、なんと・・・と思ったが、よそ様に「目がつぶれますよ」なんて言えるはずもなく、「まあ、いいか」といって、こちらが目をつぶった・・・
 
 
 
20161121  
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2016.11.21  あれ?同じ本をまた買った?  
 
 あちゃー、またやっちまった、である。古書店で文庫本を買って家に帰ったら、以前に同じ本をすでに買っていたのだ。ああ、何という不覚。長い人生こんなこともある、なのだが、「あちゃー、やっちまった」に、「また」が付いたのが悔しい。実は2年ほど前にも同じことをやっていたのだ。といっても、読み終えた本と同じものを買ったわけではない。漫才師の大木こだま・ひびきさんではないが、
 「そんな奴はおらんやろ~」
 
 毎日、通勤時間を利用して読書を楽しんでいるのだが、一冊を読み終えたときに途切れるのがいやなので、「あ、この本は今日読み終えそうだな」と思ったら、次に読む本を鞄に忍ばせておく。そして、読み終えたときには、すかさず次の本にブックカバーを掛け替えるのだ。このブックカバーは本革製で、手に持つ感触がすごくいいので愛用している。あ、これはどうでもいいことだな。
 
 そこで、家には常時5~6冊程度、これから読もうとしている本のストックがあるのだが、このストックされている本と同じものを買ってしまった、ということなのだ。以前に一度やってしまったときから、古書店に行くときは必ずこのストックを確認するようにしていたのだが、2年くらい経った今、少し油断してしまったということだろう。
 まさに、~喉元過ぎれば熱さ忘れる~みたいな話である。
 
 さて、余った一冊をどうするか。なんとなくだが、返品する気はなかった。
 前回は、職場の休憩室の本棚に、「読みたい人に進呈します。何某」と書いた付箋を貼って、さりげなく置いてみた。すると2~3日後になくなっていたのだ。嬉しかったですね。幕末の著名人のことを描いた小説だったのだが、当時はテレビでも話題になっていたので、タイムリーだったのかもしれない。
 今回は少しマイナーな内容だし、どうしようかなあ。まあ、また作戦を考えることにしよう。何百円のことだけど、やっぱり勿体ないですからねえ。
 
 ところで僕の場合、読みたい本を探す方法というのは、書店や古書店に行って、題名で気になるものをピックアップし、裏面の紹介文を読んで決めることが多い。ときには中身をパラパラっとめくることもあります。もちろん文庫本に限ります。電車の中で新刊本を読むのはちょっとしんどいですから・・・
 
 新聞や雑誌の広告欄などを見て、この本を読みたいなあと思ったことは稀にしかない。また、いろんな人のお薦めの記事を読んで思ったことも稀にしかない。やはり、自分で書店や古書店に足を運んで探し当てたいものである。
 が、先般、その稀にしかないことが起こった。櫻井よしこさんが、週刊新潮の連載コラムで本を紹介されていて、それは磯田道史氏の「無私の日本人」(文春文庫)という本だった。江戸時代に生きた、ひたむきな日本人の物語で、しかも実話だという。で、実際に読んでみた。いやあ、すごく感動しましたねえ。
 いい本と出会うためには、お薦めの記事を読むのもいい。のかも・・・
 
 
 
20161017  
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2016.10.17  意外だったノーベル文学賞!  
 
 びっくりしました。2016年のノーベル文学賞がボブ・ディラン氏とは・・・
 率直な感想としては、「ミュージシャンが文学賞なんて貰っちゃっていいの?」でした。でも何か意味があるはずだ。ノーベル文学賞選考委員会のスウェーデン・アカデミーの発表によると、授賞理由は「偉大なる米国の歌謡の伝統の上に立って、新しい詩的な表現を創造してきたから」ということらしい。
 うん、たしかにそのとおりではあるが、だからといって文学賞とはねえ。
 
 そもそもノーベル文学賞とは何なのか。ここから始めないと理解できないのかもしれない。まずノーベル賞の創始者であるアルフレッド・ノーベル氏は、「理想的な方向性の文学を表彰の対象とする」と遺言を残しているようである。また、この賞はあくまでも作家の作品と活動の全体に対して与えるものであって、作品そのものに与えられるものではないとされているらしい。それと特筆すべきなのは、同氏が少年時代から文学に関心があり、自分で詩を書いたこともあるということだ。
 ということは、文学賞の文学には詩も入るという解釈?
 
 となると、ボブ・ディラン氏の、社会の矛盾を糾弾し、平和を追求する歌詞であり、比喩や抽象表現が多く、幅広い解釈を可能とする独創的な歌詞は詩であるといえるし、れっきとした作品でもある。そして、音楽を通して発信を続けてきたその活動は、全世界の人々に多大な影響を及ぼしている。ベトナム戦争を背景にした反戦の歌詞もあるが、彼は反戦活動家ではない。平和を追求する詩人なのである。彼の過去の発言にもあるように、そんな連中とは一線を画している。それに、ダイナマイトを発明したものの、そのダイナマイトによって多くの人の命を奪うことになってしまったことを憂えていたノーベル氏の心情に通ずるものがあるといえなくもない。
 うん、なんとなく納得に近づいてきた。
 
 選考会のメンバーがどのような思惑でボブ・ディラン氏を選んだのかはさておいて、当の本人はどう思っているのだろうか。気になるところではある。
 これは予想だが、ボブ・ディラン氏の過去の言動に鑑みると、受賞したことについてどう思うかと問われても、おそらく答えは「えっ?何が?」であり、「あ、そう、じゃあジャケットのポケットにでも入れておいてくれ」という程度ではないだろうか。賞がどうのこうのと浮かれるような人ではない。また、けんかを売ることに何の意味もないから辞退することはないだろう。とまあ、そんな気がするのだが。
 
 それより残念に思うのは、「ディランのどこに文学作品があるのか、この決定は作家をばかにしている」と語った作家がいることだ。これは、ノーベル氏が作家をばかにしていると語っているのに等しい。文学賞の意義をまったく理解しようとしていないのではないだろうか。また、「ボブ・ディランは歌手だ、文学じゃない」なんていう輩もいる。ああ、なんと人間の小さいことか・・・。ノーベル文学賞は文学作品が対象じゃない。人物に与えられるものなのだ。
 納得!
 
 
 
20160919  
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2016.09.19  映画の名演説シーンを振り返る!  
 
 1940年に公開された「独裁者」というタイトルの映画がある。チャールズ・チャップリンが監督・主演で、当時のドイツ・ナチス政権のユダヤ人迫害を痛烈に批判した映画である。喜劇王のチャップリンらしく、ストーリー全体はコメディカルに仕上げられているが、最後の演説シーンだけは空気が変わり、観ている者にとっても考えさせられる場面となるのだ。チャップリンにとって、初のトーキー作品らしいが、もしかすると、この演説が目的の映画なのかもしれない。
 
 あらすじを要約すると、~第一次世界大戦で敗戦したトメニア国で反乱がおこり、ヒンケルが権力を握り、独裁者となっていく。戦地から帰還したユダヤ人の床屋は営業を再開し、同じユダヤ人街に住む女性ハンナとお互いに惹かれあう。そのころ、ユダヤ人迫害に反対する将校のシュルツ(大戦中、床屋に救われた将校)がヒンケルの怒りを買い、収容所に送られる。やがて突撃隊によるユダヤ人街への襲撃が始まり、床屋は捕らえられて収容所に送られ、ハンナは近所の人たちと隣国オスタリッチに逃げる。その後、床屋とシュルツは軍服を奪って収容所を脱走し、床屋と瓜二つだったヒンケルが狩猟中に間違われて捕まってしまう。軍服を着ていた床屋はオスタリッチ国境でヒンケルと間違われ、そのまま彼になりすます。そして、侵攻したオスタリッチで偽者のまま全世界に向かって演説することになる~、とまあ、こんなストーリーである。
 
 演説シーンは5分くらいだろうか。要点だけを引用させていただくが、前半は世界の人々に訴えている。~人類とはお互い助け合うものだ。他人の不幸よりも幸福を望み、憎しみあうべきではない。機械により貧富の差が生まれ、知識を得た人類は優しさをなくし、感情のない思想が人間性を失わせた。知識より大事なのは思いやりと優しさである。人々よ、絶望してはならない~
 後半は兵士たちに訴えている。~兵士よ、良心を失うな。独裁者に惑わされるな。君達は支配され、まるで家畜のごとく扱われている。君たちは機械ではなく人間なのだ。人を愛することを知ろう。雇用や福祉が保障された、自由で希望に満ちた世界のために戦おう。民主主義のために団結しよう~
 最後はハンナに呼びかけているが、これはストーリーのまとめなのであろう。
 
 何度観ても名演説だと思いますね。現代になっても、この演説シーンは生き生きとしています。ということは、いまだにチャップリンが望んだ世界にはなっていないということでしょうか。制作当時はヒトラーも存命中で、ドイツ系アメリカ人たちからも、いろいろと妨害があったようですね。そんな中でも敢えて公開に踏み切ったチャップリン氏こそ、本当に勇敢な人なのではないでしょうか。
 
 それと、英語が堪能な人がこの映画を観ると、また少し違った印象を受けるのかもしれませんね。どうしても字幕スーパーに頼ってしまうのですが、翻訳家によって日本語の文も違ってきます。そんなときは、意訳をさらに意訳する?
 
 
 
20160823  
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2016.08.23  第150話、リオ・オリンピック!  
 
 日本チーム堂々の銀メダル。おめでとうございます。リオ・オリンピックの陸上男子4×100mリレーのことである。いやあ、感動しましたね。そもそも、9秒台の記録を誰も持たず、男子100mの決勝に誰も進出していないのである。その日本が、あのアメリカを破っての銀メダルなのだ。優勝したジャマイカにも遜色がない。これが感動せずにいられようか。日本チームはこれまでの経験を生かし、独特のバトンパスを採用したらしいが、それにしてもすごい。天晴。
 後にアメリカが失格処分となったが、これは残念である。リザルトの3位にアメリカの名前がないと、日本がアメリカに勝ったことが薄れてしまうのでは?・・・
 
 さて、リオ・オリンピックでは、日本の選手に多くの快挙が生まれたのであるが、それはそれとして、個人的に印象に残ったシーンを並べておきたい。
 まず、卓球男子シングルスの準決勝、水谷隼選手と中国の馬龍選手との対戦である。3ゲームを先行されはしたものの、4ゲーム目からの追い上げがすごかった。世界王者の馬龍選手に対して果敢に攻め、その後の2ゲームを勝ち取るのである。息も詰まるようなラリー戦の連続に、観衆も大喜びだった。残念ながら敗れはしたが、この勝利への執念が、その後の銅メダル、団体戦での銀メダルを導いたともいえるだろう。試合後のインタビューがとても印象的でした。
 「メダルを獲得するために来ている。ここで終わりじゃない」
 
 次は、テニス男子シングルスの準々決勝、錦織圭選手とフランスのガエル・モンフィス選手との対戦である。ゲームはフルセットとなり、第3セットはどう見ても錦織選手の方が劣勢で、モンフィス選手のマッチポイントとなった。そのときのモンフィス選手のセカンドサーブ。なんと、確実に入れるのではなくサービスエースを狙ってきたのだ。結果はダブルフォルト。ここから錦織選手は粘ってタイブレイクに持ち込むのである。そして6対3とリードされた後、5連続得点で逆転勝利を収めるのだ。なんという執念。なんという精神力。その後、錦織選手は銅メダルを獲得することになる。いま思えば、モンフィス選手のダブルフォルトがターニングポイントだったのではないだろうか。
 
 最後に、トライアスロン女子の決勝を挙げたい。この種目はスイム(水泳)1、5km、バイク(自転車ロードレース)40km、ラン(長距離走)10kmを連続して行う過酷な競技である。体力と気力を極限まで使い果たし、次々とゴールする選手の中には、倒れ込む選手もたくさんいた。
 日本の佐藤優香選手が15位でゴールした。印象的だったのは、そのときの彼女の表情である。無事にゴールできて安堵の表情に変わる選手が多い中、彼女だけは表情を緩めなかった。まるで、「これは私のゴールじゃない」とでも言いたげな顔だ。つまり、まだ終わっていないのだ・・・と。きっと、今後も彼女はあきらめずに、メダルをめざして闘い続けるのだろうな。東京オリンピックに向かって、がんばれ~。
 
 というわけで、さりげなく150話目でした。お疲れさま。(誰に?)
 
 
 
20160717  
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2016.07.17  左手で字を書く人ってすごいね!  
 
 日本語の文字は、漢字、ひらがな、カタカナのいずれもが、基本的に左上から右下に向かう筆順となっている。これは、筆を右手で持つということが前提になっているようだ。なぜなら、太古から文字を書くというのは、墨を付けた毛筆を持って、筆と紙面の角度の鋭角側に引く作業だったからである。鈍角側に押すことはまずない。だから昔の人々にとって、~文字は右手で書くものである~という定義は揺るがないものであったと想像できる。
 
 ところが現代では、左手で文字を書く人が増えているようだ。これは、日常生活で毛筆を持つことはあまりなく、鉛筆やボールペンを使うことが多くなったからではないだろうか。これらは鈍角側に押すことが可能だからである。が、右手で書くのが前提となっている筆順の文字を左手で書くと、書いた後の線が手に隠れてしまって、文字のバランスをとるのが難しいはずなのに、さりげなく流麗に書いている人を見ると、「うわあ、すごいなあ」と思ったりします。
 
 縦書きの文章はさておいて、前述は横書きの文章を左から書くときのことをいっているのだが、疑問がある。戦前の日本では横書きの文章が右から書かれていました。どうしてこんな書きにくい方法を採用したのかなあ。推測だが、もともと日本語の文章は、漢文と同じように縦書きで左に向かって改行されていましたから、横書きでも起点は紙面の右上からということだったのかもしれない。つまり、本文が縦書きであろうと横書きであろうと、冊子にすると同じ右綴じになりますからね。あ、それと、アラビア語の文章も横書きで右側から書かれますね。大抵の人は右手で書くのだそうですが・・・、う~ん、まあいいか。
 
 食事のときに左手でお箸を使う人がいるが、これはどうでもいい話である。自由にやればいいだろう。ただ、小さな子供から「右手って、どちらなの?」と聞かれたときに、「お箸を持つ方でしょ?」とはいえなくなった。このフレーズは死語に近く、左手に茶碗、右手に箸という定義はもうないに等しいだろう。
 
 左利きがカッコいいなと思ったのは、ギタリストのジミ・ヘンドリックス(1970没)だ。彼は右利き用のストラト・キャスターのギターを逆さまにして、1~6弦を6~1弦に張り替えて演奏していました。本来は右利き?の彼がなぜ左利きで弾いていたのかについては様々な説があるようですが・・・。また、左利きのギタリストのなかには、弦を張り替えずに右利き用のギターを逆さまにしたままで弾く人もいますね。1弦側が上にくるなんて、もう素人では考えられない。
 
 僕は右利きだが、トランプのカードを配るときは左手を使います。反時計回りに配っていて「おまえ、逆だろ」と指摘されたことがあった。これこそどうでもいい話ですね。まあ、とにかく、左手で字を書いている人を見ていて、すごいなあと思った話でした。僕も左手で字を書く練習をしようかな・・・、やめとこ。
 
 
 
20160619  
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2016.06.19  支払った額は告げなきゃダメ?  
 
 ホントにどうでもいい取るに足らない話で、些細なことだといえば些細なことなのであるが、それでも敢えて、体験談のひとつとしてしゃべってみたい。
 ある朝、通勤途中でコンビニに立ち寄ったときの話である。よく利用する店で、その日は570円の買い物をしたのだが、財布の小銭入れを覗き、硬貨がいくらあるのかを確かめた。450円入っていた。その内訳は100円玉が4枚、10円玉が5枚の合計9枚である。僕はできるだけ硬貨を少なくしたかった。
 
 まず硬貨だけでは支払えないことはあきらかである。1,000円札で支払うと100円玉4枚と10円玉3枚のお釣りとなり、硬貨が7枚増えるだけなので話にならない。硬貨をできるだけ少なくするための支払い方法の定番としては1,000円札と50円玉と10円玉2枚の1,070円を支払い、500円玉のお釣りをもらうこと(硬貨が2枚減る)だが、あいにく50円玉がなかった。ここが肝心。50円玉がなかったことに間違いはない。1,000円札と100円玉で1,100円支払うと500円玉と10円玉3枚のお釣りとなり、硬貨が3枚増える。1,000円札と100円玉と10円玉2枚で1,120円支払うと、500円玉と50円玉のお釣りとなり、硬貨が1枚減る。よし、これでいこう。
 (説明するまでもなく、当たり前の話だが)
 
 結局、僕は570円の買い物をして1,120円を支払った。レジを担当しているのは若い女性の方で、ベテランなのかスピーディーである。そのとき、不覚といえば不覚なのだが、僕は一瞬よそ見をしてしまった。で、女性の声、
 「はい、お釣り500円とレシートです」
 そのときは何も思わず店を出ようとしたのだが、ちょっと待てよ・・・である。
 「あの、俺、1,120円出したよな?」
 「いいえ、1,070円でした」
 「え?50円玉だった?」
 「はい」
 レジの女性は、この人は何を言っているの?みたいにキョトンとした顔をしている。この瞬間、僕は自分の負けだということを悟った。なぜなら、レジの女性が断言しているのに対して、僕は疑問符をつけて答えている。レシートには1,070円の支払いと記録されているし、1,120円を支払ったという証拠は何もないのである。現金がトレイにあるうちに指摘をしなかった自分に落ち度があるのだ。客観的にこの会話を聞いた人は誰でも、あなた(僕のこと)が勘違いしてるんじゃないの?となるだろう。もう、真相はどうでもいいのである。
 
 だがしかし、たかが50円されど50円だ。1円を笑う者は1円に泣くということわざがある。嘉門達夫さんは1円を笑う者は100円で100回笑えるといったが、僕は50回泣きたくなった。いや、そうじゃない。今後の対策を考えよう。
 それ以降、コンビニに行ってレジで支払うときは声を出すようにしている。
 「はい、1,120円!」・・・(どや)
 
 
 
20160516  
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2016.05.16  思い出の公園へ行ってみた!  
 
 あれから40年、というのは綾小路きみまろさんの名言集のことだが、あれから40数年、である。先のゴールデンウィーク中に、小学生のときに体験した衝撃的なシーンの現場、あの公園へ行ってみた。たまたま近くまで来たので、立ち寄ったのである。感傷に浸るためには、もちろん一人で訪れるのがいい。
 この体験については、いつまでも忘れないようにと、10年ほど前に書き留めておいた。このサイトのSTORYページに、「薄氷~ありがとう、お兄ちゃん~」という題で掲載している。物語と称してはいるが、実話そのものである。
 
 この体験というのは要約すると、~小学生の子供三人が真冬の公園でボール遊びをしていたら、そのボールが堀に落ちてしまった。堀には薄い氷が張っていて、対岸まで転がっていったボールを取りに行くことができない。たまたま通りかかった青年二人に事情を説明したら、そのうちの一人が氷を割って堀の中に入り、腰まである冷たい水の中を、氷を割りながら対岸にあるボールを取ってきてくれた。~とまあ、こんな話である。
 
 中学二年生まで住んでいた町の近くにある公園なのだが、物語にも書いているように、20歳代のころに一度ここを訪れている。このたび立ち寄ったのも、そのときの再現ともいえるだろう。まずは、よく登って遊んだ木に寄ってみた。幹は当時の面影を残していたが、上の方の枝ぶりは少し違うような気がした。たぶんおそらく、何度も剪定をしているうちに姿が変わったのだろう。
 それと、人間と同じように年を取ったようにも見えた。木の表面はかさかさだし、苔が生えている部分もある。昔はもっと艶があって弾力的な枝ぶりだったような気がするのだが・・・、なんだか自分の姿を見ているようで可笑しかった。
 
 次はボールが落ちた堀へと向かった。さほど遠くはない。「あれ?」といって立ち止まる。ボールを蹴って遊んだ場所は広場だったのに、たくさんの木が植えられていた。木の大きさからみて、まだ何年も経っていないようだが、まあいいだろう。そして堀に近づき、再び「あれ?」である。堀の手前にロープを張った柵があるではないか。たしか当時はなかったはずだ。柵があったらボールも落ちなかったのに、と思ったりもしたが、もしボールが落ちなかったら、あの衝撃的なシーンも生まれなかったことになる。歴史を変えてはいけない。
 堀の水はやはり濁っていて、底は見えなかった。そのとき、熟年男性がそばを通り過ぎた。「俺はこの堀の深さを知っているんだぜ」と心の中で自慢・・・、いや、やめとこ。あのときのお兄ちゃんに比べて、俺はなんて小さいのだろう。
 というわけで、たっぷりと感傷に浸り、思い出の公園を後にしたのだった。
 
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 何年か前に、物語に出てくる卓也(仮称)と同窓会で再会したのだが、「小学生のときに公園でこんなことがあったよな」と話すと、「そんなこと、あったっけ?」と返された。あの衝撃的なシーンを憶えていないなんて・・・、ううっ。
 まあいいや、俺は今後も、あのお兄ちゃんの後姿を追いかけるのだ。
 
 
 
20160418  
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2016.04.18  同じ景色は二度と見られない?  
 
 何の予定もない休日の朝は、まず天気予報を確認している。たとえ曇りのち雨という予報のときであっても、気象レーダーの画面で雨雲の動きをチェックし、「うん、これなら正午までに戻れば雨にあわなくて済むな」といっては、サイクリングに出かけていく。とにかく体を動かさないと気色が悪いのである。
 頬に触れる風は、春はやさしく撫でてくれるが夏は焦がすように汗をさらっていき、秋は爽やかにさすってくれるが冬は痛いほどの冷たさを容赦なく突き刺していく。そんなふうに季節の変化を感じながら、四季折々の景色を眺めるのが楽しい。もしかすると、これがサイクリングの醍醐味なのかもしれない。
 
 それはさておき、写真の話である。サイクリングをしているときは、カメラに収めたくなるようなものがないかを常に意識している。もちろん、安全走行をしながらである。対象物は何でもいい。というか、対象物そのものを探すのではなく、構図を探しているといった方が妥当かもしれない。写真を撮る人や絵を描く人が、両手の親指と人差し指で四角形を作って構図を決めているポーズがあるが、あの感じですね。写真はやはり構図が大事だと思うのだ。
 
 そして、それは瞬間的にやってくる。「ん?」といって、これは絵(構図)になるなと思った物や景色があれば、迷わず自転車を止めてカメラに収める。ときには10メートルほど進んでから、引き返すこともある。角度が少し違ってくると、絵(構図)もまた変わるからだ。
 写真の撮り方についてはまったくの素人なので、いまのところは自動モードに頼っていて、何を撮るかに専念している。
 
 こんなことを繰り返しているうちに、あることに気がついた。それは、同じ景色というものは二度と見ることができないということだ。たとえばサイクリングをしていて、「あ、ここは以前に写真を撮った場所だな」といって自転車を止めるのだが、美しいと思ったはずの景色がいまはただの景色でしかない、といったことがよくある。「何が違うのだろう。光の角度?空の色?季節?・・・」といろいろ思いを巡らせ、つまりは「あのときに撮っておいてよかったあ」なのである。
 
 この経験を人生に当てはめて少し考えてみた。時機を失する、という言葉がある。チャンスを逃す、ともいう。人は誰でも、ある行動をいま起こすべきかどうか、という判断を迫られる場面があるが、あのときああすればよかったと思っても、その時間はもう戻ってこないのである。だから、熟慮の末に、いまこうすべきじゃないかとひらめいたときは、まずは行動に移すべきだと思う。
 ただ人生においては、判断を誤る、ということもあるからややこしい。判断を誤ったこと自体は仕方のないことである。そんなときは、次に何をすべきかを考えようではないか。それと、誰かが言ったから、あるいは専門家が言ったからというだけで判断はしない方がいいだろう。人の意見を参考にはするが、あくまでも自分で決める、である。自分で決めたことに後悔はしないから・・・ね。
 
 
 
20160313  
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2016.03.13  ホントにやっちゃっていいの?  
 
 某自動車製造会社のCMで、運転者は腕組みをしていて、自動車が自動運転しているシーンがある。この世の中から交通事故をなくすために、技術を開発していこうという考え方に異論はないが、このシーンを観ていて、これは少し違うんじゃないかと思った。自動運転技術の開発のことをいっている。キャッチコピーを眺めながら、ホントにやっちゃっていいの?・・・なのである。
 
 レールの上を走る電車と違って、自動車は公道であればどこでも走行することができるし、運転免許証さえ取得すれば、誰でもその自動車を運転することができる。そして、運転するにあたっては、周囲の状況を見ながら常に安全確認を行い、ドライバー自らが責任を持ってハンドル、アクセル、ブレーキ操作を行うのが基本ではないかと思うのだ。
 
 そもそも、なぜ交通事故が起こるのか。人間は目や耳で危険を認知してから、脳で判断したあと実際に手や足を動かすまでに、最速でも0、4秒くらいはかかるといわれている。これは、人間が時速4kmで歩く動物なので、そのスピードに合わせてあるからだ、ともいわれている。そういえば、時速40~50kmで飛んでいるツバメは互いに衝突することがないし、ツバメが時速40~50kmで走行する自動車に衝突したという話も聞いたことがない。
 
 ということは、人間だけが人間の能力を超えたスピードの乗り物を操っているということに成りはしないか。つまり、人間の能力だけでは防げない事故が発生するということなのではないか。すでに、人間の視野の狭さや反応スピードの遅さを補うために、アラウンドビューとかエマージェンシーブレーキとかいった技術は開発され、実用化に至っている。これはもう大歓迎である。
 
 話を整理しよう。要するに、自動車を運転する人間の補助を行う技術の開発は大いにけっこうなことだが、自動車の運転を代行する技術は本当に必要なのかということである。人間がやるべきことを放棄していいのか。それがあたりまえになってしまって怠惰につながりはしないか。そんな心配をしている。
 
 先般、自動車の運転中に突然の病気で意識を失い、アクセルを踏んだまま暴走して、運転者や歩行中の人たちが死傷するという悲しい事故があった。
 あ、そうか。もしかしたら、僕は思い違いをしているのかも・・・。冒頭のCMは、自動車の将来像ではなく、あくまでも自動運転の技術を宣伝しているだけなのかもしれない。運転者が気を失っても、車載システムがそれを察知し、運転者に代わって、周囲の状況を確認しながら自動運転を行い、安全な場所に停止させる。そのための自動運転技術なのだと・・・。それなら納得がいく。
 
 いずれにしても、自動車を運転するのは人間である。人間が責任を持って操作を行う。この基本だけは絶対に外してはならない・・・と、思うのである。
 
 
 
20160214  
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2016.02.14  冬は熱燗が特に美味しい!  
 
 冬は熱燗が特に美味しい季節である。特にと敢えてことわったのは、僕の場合、年がら年中熱燗を飲んでいるからだ。仕事帰りに酒屋さんに寄って、まず生ビールで喉から胃腸にかけて洗い流す。これは、その日に起こったわだかまりを洗い流しているともいえる。そして熱燗を注文し、ひと口飲んでは「ああ、今日まで生きて本当によかった」といって、神様に感謝を捧げるのである。
 余談。実はこのフレーズ、矢沢永吉さんのアルバム「ドアを開けろ」に収録されている曲「そっと、おやすみ」の歌詞の一部で、とても気に入っている。
 
 初めての酒屋さんで真夏の暑い日に熱燗を注文すると、常連客のおじさんから「えっ、お兄さん、このクソ暑い日に熱燗ですか?」と言われたことがあった。僕は真夏でも喫茶店でホットコーヒーを飲む。放っておいてくれ、である。
 というわけで、熱燗の話題になったので、僕がこれまでに美味しいと思った日本酒について少ししゃべってみる。経験値はたかが知れているのだが・・・
 
 まず、神戸の新開地にある立ち呑み屋で出会った清酒「福寿」がとても気に入っている。これは神戸灘五郷の酒心館という酒蔵が製造しているもので、先年ノーベル賞授賞式の晩餐会で「福寿純米吟醸」が振る舞われたことでも話題になった。もっとも僕は熱燗を楽しむので、普通の清酒で十分である。お酒のプロに言わせると、人肌燗で飲むのがいちばん美味しいらしい。
 
 次に、兵庫県の但馬地方で働いていた頃に、よく通っていた店で飲んだ清酒「竹泉」がいまでも忘れられない。初めて飲んだとき、すかさず「あ、美味しい!」と口にしたのを憶えている。これは朝来市山東町にある田治米合名会社が製造しているもので、創業来300年だそうである。大吟醸酒では何度も受賞しているようだが、熱燗を楽しむ僕としては、上撰の清酒で十分である。
 
 また、高知県の本格辛口「土佐鶴」が面白い。たまにしか通わなかった立ち呑み屋だったが、そこのご主人が「このお酒は常温で飲むと少し物足りないけど、熱燗にすると変身しますよ」というので、常温と熱燗を飲み比べてみたら本当だった。熱燗にすると喉越しにキレがあって美味しくなった。地元の高知県では土佐鶴の良等酒が愛されているらしいが、いちど飲んでみたいものだ。
 
 休日に家で飲むのは生酛辛口「菊正宗」の上撰酒だ。菊正宗は辛口の代表格で、美味しいのはもちろんのこと、値段も安くて入手しやすいので愛飲している。僕がお酒を飲むのに理由はない。敢えていうなら、今日も生かされていることに感謝するため、とでもいおうか。それと、酔えればお酒は何でもいいというのは僕には当てはまらない。日本酒、しかも熱燗が好きなのである。
 そして今後も、ひと口のお酒にしがみつきながらこう言い続けるだろう。
 「今日まで生きて本当によかった」
 
 
 
20160117  
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2016.01.17  森を見てから木を見よう!  
 
 昨今は物騒な事件のニュースが多くなった。些細なことが原因で子供が親を云々。別れ話のもつれから男性が女性を云々。人生に失望した人が刃物で見知らぬ人を云々。言葉にするのもおぞましいので、何が起こったかは云々の表現でぼかした。いずれの事件も、共通して思い浮かぶ言葉は短慮あるいは短絡的という言葉である。なぜ、そんなに結論を急ごうとするのか。起こった物事を表面的に捉えるだけで、物事の本質は何なのか、またそれに至った経緯を考察することもなく、気に入らないからという理由だけで排除しようとする。そんなことをして解決する話じゃないのに、といっていつも悲しくなる。
 
 こういった出来事がなぜ増えているのだろうと考えたとき、教育という言葉が頭をよぎった。問題を出して解答を求め、偏差値がどうのこうのといっている学校教育のことではない。家庭教育のことをいっている。親または保護者は、子供が幼児のときから、言っていいことと悪いこと、やっていいことと悪いこと、触っていいものと悪いものを、それがなぜいいのか、なぜ悪いのか、またそれをやってしまうとどんな結果になるのかを説明しながら教える。つまり思考力をつけさせる必要があると思うのだ。もちろん愛情を注ぎながら・・・、である。私見ではあるが、原点はこういったところにあるのではないだろうかと思っている。
 
 短絡的思考といえば、イコールではないが似たような言葉で「木を見て森を見ず」という言葉がある。これは「物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失う」ことを意味することわざであるが、社会問題や政治問題などで、専門家や評論家の人たちが議論しているとき、どちらが木を見て、どちらが森を見ているのかを観察していると面白い。週刊誌などで、ある人の発言に対して他の人が糾弾しているケースでもよく見られる現象だ。ある人の発言というものが、何が背景でそう考察するに至ったのかというその発言の本質を無視し、部分的な言葉尻だけを捉えて非難して、挙句の果ては人間性までを否定する誹謗の嵐である。木だけを見て、森が見えていないのは明らかといえる。
 
 昨年にあった、安全保障に関する法案の議論でも同じことがいえるのではないだろうか。まず、戦争か平和かという問題提起には疑問を持っている。戦争という行為と平和という状態が、同じ土俵の選択肢となること自体がナンセンスである。仮に戦争が戦時という状態を表しているとしても同じだ。誰もが平和を選ぶのに決まっているではないか。で、投票した人がこう言った。
 「私は戦争に反対だから、この法案に反対しました」
 「私は戦争に反対だから、この法案に賛成しました」
 さあ、どっちがどっちだ?双方、主張の発言としてはどちらも間違ってはいないと思う。ただ戦争に反対だからというだけでは理由にならないことは明らかだ。いまの国際情勢に鑑みて、日本の平和を維持するために、戦争の抑止力を高める方法とそれに伴うリスクとのバランスが問われたということだろう。
 よし、僕もこれからは、まずは森を見てから木を見よう・・・、と思った。
 
 
 
 
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