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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)
20061223  
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2006.12.23  男が惚れてしまう、いい男!  
 
 俳優、タレント、歌手など、ルックスのいい男性スターを見てキャーキャーとお騒ぎになる女性の皆さんには失礼だが、うーん、あの男のどこがそんなにいいのかねえと首を傾げることが多い昨今、男の僕から見ても、たしかに彼はカッコいいなあと思った男がいる。
 福山雅治さんだ。(もちろん私見である)
 
 彼のいい人柄というか好漢ぶりに出会ったのは、何年か前に放送されていた「福山エンヂニヤリング」という深夜のバラエティ番組でした。
 福山雅治さんが工場長で、テリー伊藤さんが従業員というキャスティングのトーク番組でしたが、この番組は面白いなあと思いましたね。たしか初めて見た日の番組内容は、福山さんが某女子大のキャンパスで浜田省吾さんの「もうひとつの土曜日」という歌をいかにして福山だとバレずに最後まで歌うことができるか?というものでしたが、真剣に考えている姿を見て笑っちゃいました。
 
 で、顔が隠れるほどの深い帽子をかぶってギターを弾きながら歌い始めたのですが、何のことはない、すぐにバレてしまいました。女子大のキャンパスはもう大混乱状態。あはっ・・・
 とにかくこの番組を見てて、彼は少年の心を失わない人なんだなという第一印象を受けました。それから毎週楽しみにしてたけど、番組自体は長続きせず、すぐ終わっちゃったなあ。(いい番組だったのに・・・)
 
 そして先般、1998年の「LIKE A HURRICANE」というライブツアーのDVDを観る機会があった。写真家のハービー・山口さんが福山雅治のライブツアーに同行するライブ&ドキュメント映像である。ライブ映像の合間にツアー移動中のドキュメント映像が流れるのですが、これが面白い。
 楽屋での会話、リハーサルの様子、移動中の飛行機やバスの中、ドライブインでの食事などなど、普段の福山さんが冗談を言ったりずっこけたりするシーンが盛りだくさんである。彼は飾らない人で、もう自然体そのものですね。
 
 ハービーさんも彼を撮るのがすごく嬉しそうでした。ファインダーを通して彼の素直な人柄が伝わってくるのでしょうね。ハービーさんによると、福山さんは写真を撮られるときはいっさい要求や注文をしないらしい。それを裏付けるように語っていた福山さんの言葉が印象的でした。
 「何に対しても、力んで登場するとだめだね」
 うん、そうかもしれない・・・、人間、構えすぎるとろくなことがないですね。ありのままの自然体がいちばんいいのだと思う。
 ああ、ますます彼のことが好きになってしまいました。応援するぞ。
 
 それにしても、背が高くてハンサムで、いい曲をたくさん作って、しかも歌がうまくて、女性にモテモテで男性からも慕われ愛されているなんて・・・
 うーん・・・、このヤロめ。(笑)
 
 
 
20061118  
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2006.11.18  悲しいときにこそ音楽を聴く!  
 
 沈み行く夕陽を眺めるのが好きである。
 僕が夕陽を意識するようになったのはまだ小さな子供の頃でした。家族で潮干狩りに出かけたとき、海辺の工場の煙突に吸い込まれるように沈んでいく真っ赤な夕陽を見て、早く家に帰りたいと泣いたことがありました。あのときの夕陽は今でもよく憶えています。
 
 燦々と降り注いでいた昼間の陽光とは違って、空を茜色に染めて沈んでいく夕陽はまことに美しく、その壮大な自然の造形美にいつも惹かれてしまいます。でも同時に、まるで力尽きたかのように沈む姿を見て、なぜか寂寥感に襲われてしまうのです。たとえ傍に人がいても精神は孤独になっている。
 そんなとき、僕は思わず心の中でギターを奏で始めるのです。もちろん即興演奏でしかもフレーズはブルース。そのうちベースが加わってドラムがリズムを刻んでいる。夕陽を見て寂しくなった気持ちを音楽で埋めようとしているのかもしれない・・・
 
 人生では楽しいことばかりが続くなんてことはあり得ないですよね。好きな人に思いを告白して振られてしまったとか、大好きだった友人と別れなければならなくなったとか、この世に生きているかぎり様々な悲しみに遭遇します。
 何らかの悲しみに堕ちたとき、僕はいつも好きな音楽を聴いて過ごしました。もちろん聴きながらいろいろな思いが頭をよぎるのですが、心の平静を取り戻すために音楽に助けてもらったような気もするのです。
 
 反対に創作者側にも同じことが言えるかもしれませんね。寂しい思い、悲しい思いをたくさん経験している人の方がいい作品を作っているような気がするのですが考え違いだろうか。
 たとえば僕の好きなエリック・クラプトンも5歳の愛する息子さんを亡くしたときに、名曲「tears in heaven」が生まれています。彼も悲しい出来事だったけれども素直にその事実を認め、愛する心を歌うことによって息子さんの安らかな永眠を祈り、自分自身も悲しみを乗り越えようとしたのではないでしょうか。
 
 人は誰でも人生は楽しい方がいいに決まっている。でも、必ず悲しみや苦しみはいつかやって来ます。それを一つ一つ乗り越えてこそ次の楽しみも倍増するのではないだろうか。
 楽しいときにみんなで乗りのいい音楽で踊るのもいいですが、悲しいときにこそじっくりと音楽を聴くのがいいと僕は思うのです。音楽が悲しみを解決してくれることはありませんが、悲しみを乗り越えるお手伝いをしてくれているのだと信じています。
 僕の場合、音楽の他にお酒も必要なんだけどね・・・(これは余分かな?)
 
 
 
20061014  
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2006.10.14  なぜCDが売れないのだろう?  
 
 新聞や雑誌などでCDの売れ行きが悪くなっているという記事を何度も目にします。レコード会社などの音楽業界ではかなり深刻な問題となっているようですね。CDが売れなくなった理由として、邦楽の逆輸入盤が廉価で売られているからどうのこうのと言われているようですが、僕はちょっと違うような気がするんだけどなあ・・・(日本盤CDの価格が高すぎるのはあきらかだが)
 
 僕の場合は好きなアーティスト(邦楽か洋楽かは問わず)のCDが欲しくなったときで、日本盤のCDと輸入盤CDがある場合、たとえ輸入盤の方が半額であったとしても間違いなく日本盤を購入します。理由は単純で、日本語で書かれた解説文や歌詞を読みたいからです。値段が高いか低いかは選択肢にないのである。
 
 また、CDが売れなくなった別の理由として、海賊盤など違法コピーの問題が挙げられていますね。それに対抗する手段としてコピー防止機能の方法が研究されているようですが、これは消費者にとっては大迷惑な話です。レンタルCDをCD-RにコピーあるいはMDにダビングしている人などにとっては大打撃であるし、新品のCDを購入しても個人的にコピーできないのであれば、商品そのものが見向きもされなくなるのではないでしょうか。
 
 パソコンが普及して音楽もネット配信の時代になり、消費者がレコード(CD)ではなく音楽ソフト(ファイル)そのものを求めるようになったからだという意見もありますね。モバイル用であれば圧縮ファイルで十分だと思いますが、真の音楽ファンなら気に入ったアーティストの作品は当然ジャケット付オリジナルCDが欲しいものである。ま、理由のひとつではあるかもしれない。
 
 僕は最近、中古CDを求めることの方が多くなった。もちろん試聴をして絶賛するほどの作品なら別であるが、ちょっと聴いてみようかなあというだけでは値段の高い新品のCDを買う勇気がない。
 で、これはあくまでも僕の個人的な意見ですが、問題の本質はCDが売れないのではなくて、CDが売れるアーティストが少なくなっているところにあるのではないでしょうか。(CDの値段に見合う作品が少なくなったとも言える)
 
 次々と新しいアーティストが出現しているが、真に応援したくなるような魅力的なアーティストがいない。レコード会社の宣伝文句や音楽雑誌の評価を参考にいざ試聴してみても、いつもがっかりさせられている。どれもスタイルばかりが先行していて、楽曲からセンスが感じられないのである。
 
 でも、CDが売れなくなった本当の理由はそんな表面的なことではなくて、もっと深いところにあるような気もしますね。たとえば、今の日本人のほとんどが物質文明に心を侵されて感性が失われてしまっているからとか・・・?
 
 
 
20060916  
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2006.09.16  おじさんたちが帰ってくる!  
 
 自分の音楽作品をたくさんの人に聴いてもらうために個人のホームページを開設している人は、いまのところ圧倒的に若い人が多いですね。しかしながら、あと2〜3年すると年配の人たちのホームページが急増するのではないかという、そんな予感がしています。なぜなら、おじさんたちが帰ってくるからだ。
 
 おじさんたちって、誰のことなのか?
 それは、団塊の世代と呼ばれる、戦後のベビーブームの時代に生まれた人たちのことです。そのおじさんたちの青春時代にベンチャーズやビートルズが流行りました。そして、それに憧れたたくさんの若者がギターを手に入れ、数多くのロックバンドやフォークグループができたようです。
 そのころ僕はまだ小学生でしたが、ロングヘアーにジーンズ姿のギターケースを抱えたお兄ちゃんたちを街や公園でよく見かけました。
 
 でも、スターダムにのし上がるのはほんの一握りの人たちだけでしたから、大半の人は音楽の才能やセンスがありながらもスターになる夢をあきらめて、家族を養うために高度成長期の企業戦士となって働くことを選び、不完全燃焼のまま音楽シーンから遠ざかることになってしまったのではないでしょうか。
 
 ところが、そのおじさんたちが続々と定年を迎え、自分の時間を取り戻すときがやってきたのです。そして、定年という第二の人生の出発点に立ったいまでも、当時の夢を忘れているはずがない。
 「よし、もう一度チャレンジしてみないか?」と言って、再びバンドを結成するおじさんたちが日本中のあちこちに絶対いらっしゃるはずだ。
 
 いまの若い人たちも油断はできません。団塊の世代というのは人口がすごく多く底辺も広いので実力のある人がいっぱいいるし、しかも人生経験が豊富なので表現力は間違いなく若い人に勝るだろう。
 ライブハウスやインターネットの世界で数多くのおじさんたちが登場するのも、もはや時間の問題ではないかと僕は思っています。(すでに始まっている?)
 若い人たちにとっては手強いライバルの出現かもしれませんね。
 
 実を言うと僕は、おじさんたちの再登場には密かな期待を寄せています。いま流行りの音楽はビジュアル的なものが多く、うまく言えないけど、昔に感じたレコードに針を置く瞬間のあのドキドキ感みたいなものがない。おじさんバンドならビジュアル系はまずないだろうし(笑)、音楽そのもので勝負するはず。それに、僕の好みの音楽もたくさん聴けるようになるのではないかと思うのです。
 
 「うん?ちょっと待てよ。おじさん、おじさんって連発したけど・・・、もしかして、俺ももうおじさん?」
 いや、まだお兄さんに違いない・・・(拳)
 
 
 
20060812  
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2006.08.12  プロの録音風景を観て、感動した!  
 
 SION & 森重樹一の「場所 -Studio Live & Documentary-」というタイトルのDVDを観ました。このDVDはプロモーションビデオでもライブ映像のビデオでもなく、アーティストの録音風景を撮影したドキュメンタリービデオです。
 ドラムやベースといったビート系のパートは無く、アコースティックギターと二人のボーカルだけのシンプルな構成ではあるが、素人がなかなか見ることのできない貴重な映像だなという印象を受けました。
 
 僕はSIONというアーティストが好きだ。彼の作る歌に、ものすごく愛情というか優しさを感じる。詞を読んでいて胸にジーンとくるものがありますね。日々暮らしている中で感じるやるせない気持ちややりきれない気持ちなんかを巧く詞に表現していると思います。
 結局行き着く先は、「俺は俺でしかない、ありのままでいい」と、そんな感じかな?
 
 さて、DVDを観て感じたことですが、ドキュメンタリーにはブルース曲がよく似合いますねぇ。二人が新幹線で京都に移動するときに流れるBGM、松田文さんのスライドギターがとてもかっこいい。
 それと、僕は初めて森重樹一という人を知ったのですが、人柄もよさそうで好感が持てますね。彼がいろいろと語るシーンを見てそう感じました。SIONが一緒にやろうと思ったのも、なんとなく頷ける。
 
 そのあと、次々とスタジオでの録音シーンが続くのですが、ボーカルの録音といえども何度も何度もテイクを録っていくのですね。僕はずうっと一発録りだと思っていました。ボーカル二人のハモる曲だとバランスも大事ですから、なおさら多くのテイクを録ることになるのかもしれない・・・
 そして、スタッフとともに一体となって、息が合ってはじめていいものができるのだということが、観ている側にもひしひしと伝わってきます。制作中のみんなの顔、とてもいい顔をしていますね。それに、楽しそうだ。
 
 歌というものは、ただ単に音符どおり歌えばいいってものじゃないのもよくわかりました。やっぱりプロの人たちって、歌い方が全然違いますねえ。
 これからの僕の歌にも影響するかもしれない。(いや、逆にますます自信が無くなってしまいました)
 
 DVDではSIONと森重樹一が普通の居酒屋で楽しんでいる光景も収められていますが、こういった映像も新鮮でなかなかいい。また、レコーディングが終わった後の打上げで、コロナビールで乾杯するあたりは「一仕事終えたぞ〜っ!」って感じで、思わず僕も一緒に乾杯したい気分になりました。
 
 実はケイ・キンもコロナビール、大好きなんです。ぬははっ(笑)
 
 
 
20060715  
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2006.07.15  どんなギターを持っているのか?  
 
 20歳前のころ、中学生のときに親に買ってもらったヤマハのフォークギターを、アルバイト先の社員の方に廉価で譲ってしまいました。その人の弟がギターを欲しがっているという話を聞いて、僕はあまりギターを弾かなくなっていたし、「じゃあ、僕のを譲ってあげましょうか?」という感じで・・・
 ギターを譲ってしまったこと、とても後悔しています。手放さずにずっと弾き続けていれば、今頃はすごくいい音が出るギターになっていたかもしれない。
 
 それから何年か経ったある日、同じ職場の先輩が「フォークギターがあるんだけど、いらないか?」と言うので、ただで貰いました。通信販売で購入したトムソンのギターらしい。このロゴが面白い。「Tomson」って書いてあるのだが、Tの文字がGみたいに見えて、次のoという文字の左の線は細く、mのいちばん左の縦線がなぜか長く、真ん中の線はやたら細い。何のことはない、ブランドの「Gibson」のロゴのデザインに似せてあるんです。
 「ただで貰ったものだし、まっ、いいか」
 
 しかしながら、お世辞にもいい音だとは言えなかった。1オクターブ上のフレットではチューニングが合わなくなるし・・・。それでも贅沢は言わず、ずっとそのギターを愛用していましたね。ときどきしか弾かなかったですけど・・・
 
 そんな僕が、趣味の範囲でいいからギターを弾き続けようと真剣に思ったのは、35〜6歳のころでした。その頃に買ったのがモーリスの「トルネード Z2」というエレアコのギターです。トムソンのギターは処分しました。ネックも反りまくっていたし、とても人に譲れる代物ではない。
 モーリスのギターはよく弾きましたねえ。いまでもこのギターを作曲用に使っています。しかも、チョーキングがしやすいようにエレキ用の弦を張って・・・
 
 次に、ブルースに憧れてフェンダージャパンのストラトキャスターを買いました。ゴールドのボディにローズウッドの指板が美しい。これはギター屋さんで全く同じ型の中古と新品とがあって、試しに弾いてみたら中古の方がいい音がしたのでそちらを買いました。CDを聴きながら、このギターで演奏に参加しています。(笑)
 
 そして2年ほど前、憧れのマーチン(OOO-28EC)を買いました。いわゆる「一生もの」が欲しかったんです。本当にいい音がします。
 このギターは主に弾き語り用に使っていて、将来はフィンガーピッキングで自由自在にブルースが弾けるようになりたいですねえ。
 
 というわけで現在、アコギ・エレアコ・エレキを一本ずつの、3本のギターを持っています。どのギターもみんな愛着があって、それぞれに「可愛い〜っ♪」です。
 
 
 
20060616   
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2006.06.16  携帯オーディオって、どうかなあ?  
 
 街の中を歩いているときや電車に乗っているときなどに、さりげなくイヤホンをして音楽を楽しんでいる人をよく見かけます。iPodやウォークマンといった携帯オーディオのことです。
 最近の機種はハードディスクが内臓されているので、カセットテープやCD・MDなどのディスクを併せて持つ必要が無くなり、また本体のサイズもコンパクトになったので、以前よりは手軽に持ち歩くことができるようになりました。
 さらに、連続再生時間が大幅に長くなり、音質もかなり進歩し、圧縮形式のファイルで保存するので非常にたくさんの曲を取り込むことができます。デザインもおしゃれでなかなか美しい。
 いいことずくめですねえ。
 
 僕も、いつでもどこでも音楽を気軽に楽しむことができるということに魅力を感じて、電器屋さんでもらったカタログや、雑誌の特集記事などを眺めては、「欲しいなあ。どの機種がいいのかなあ」と呟いたものです。
 しかしながら、心の中にいるもうひとりの僕が囁いています。
 「持たない方がいいんじゃない?」
 どうも、欲しいという気持ちと要らないという気持ちが闘っているようだ。
 
 人間の持つ感覚には、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる、の五つの感覚がありますね。いわゆる五感と呼ばれるものです。普段の何気ない生活でも、絶えずいずれかを感じながら暮らしています。なかでも、外出するときなどは五感のうち、見る・聞く、の感覚が重要ですね。
 道行く人々や同じ電車に乗り合わせた人々とのさりげないコミュニケーション、カフェやレストランでのBGMや人々の会話、公園や街路樹などの木々の緑や風の囁き、見るもの聞くもの、どれもが新しい出会いですね。
 
 このように、外出したときはたくさんの新しい出会いが待っています。その出会いの中でまた新しい自分を発見することもあるだろう。だから、携帯オーディオのイヤホンで新しい出会いの入口である耳を塞いでしまうのが勿体ないと思うようになりました。
 それに僕は昔から音楽などを聞きながら何かをするというのが苦手でした。友人たちはよく深夜ラジオを聞きながら勉強したと言いますが、僕にはできなかった。聞くのではなくて、聴いてしまうんですよね。真剣に・・・
 
 と言いながら、いつでも好きな音楽を聴ける魅力も捨てがたいですね。近い将来、どこかのカフェで携帯オーディオに耳を傾けながら雑誌を読んでいる僕がいるかもしれない。そして、みんなにこう言われるだろうな。
 「おまえ、言ってることとしてること、バラバラじゃない?」
 
 
 
20060513  
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2006.05.13  憧れのギター、マーチン!  
 
 僕のような者が持つギターじゃないって、ずっと思い続けていました。それは、ギターを弾く人なら誰でも知っている超有名ブランド「マーチン」のアコースティックギターのことです。MTVのアンプラグドに出演したエリック・クラプトンが「マーチン」をさりげなく抱えて歌っている映像を観ても、「マーチン」というギターはああいう人のために作られたものなんだと納得していました。いや、納得なんかじゃない、もう固定観念ですね。
 
 なぜ僕が持っちゃいけないと思っていたかというと、その理由は単純だ。「マーチン」に悪いからである。全然上達もしていない僕では弾きこなせないし、「マーチン」の能力を十分生かすことができない。つまり、宝の持ち腐れになってしまうんじゃないかという不安がずっとありましたね。
 逆に言うと、ギターの上級者になって初めて「マーチン」を持つ資格ができるんじゃないかと・・・
 
 ところが、である。2年ほど前、楽器店で起こったある日の出来事と書店で出会った一冊の本が、僕の心をついに動かしたのです。
 
 僕が楽器店でギターの弦を買っていたとき、すぐ横にハードケースに収まったギターが運ばれてきました。若い女性が初めてギターを手にしたらしい。そのケースの蓋が開けられたとき、僕の心臓が破裂しそうになりました。
 「マーチンじゃないか。えーっ、そんなに簡単に買っていいのか?」
 ショックだった。憧れ続けたマーチンを初心者の若い女性がいとも簡単に買っていく。この瞬間、僕の固定観念がもろくも崩れ去ったのです。
 そのとき思いました。(ようし、俺も買おうかな?)
 
 ちょうど同じころ、書店の新刊コーナーで一冊の本が目に入りました。それは「僕のマーチン君」(竢o版社 著者:田村十七男)という題名の文庫本だったのですが、パラパラとめくってすぐ購入する気になった。なぜなら、その本にはなんと、僕と全く同じ思いが書かれていたからです。
 ギターが好きで、「マーチン」に思いを馳せている人には、絶対お薦めの本だと思います。内容が専門的でないところがなかなかいい。ギターとの出会い、「マーチン」への思い、「マーチン」を手にしたときの感動話など著者の気持ちが伝わってきて、読んでいてとても楽しいです。
 この本を読んで、なおさら思った。(ようし、俺も絶対に買うぞ!)
 
 というわけで、憧れのギター「マーチン」をとうとう購入しました。モデルはOOO-28ECです。エリック・クラプトンのサインロゴがすごくかっこいい。
 で、弾いてみた。
 「きゃほ〜っ、すげえいい音〜っ・・・ルン♪」
 
 
 
20060415  
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2006.04.15  二曲を追うものは一曲をも得ず!  
 
 人はそれぞれ感情表現こそ違え、喜怒哀楽の間を彷徨いながら日々を暮らしています。長い人生、楽しいときもあれば哀しいときもあるでしょう。同じように聴きたい音楽というものも、そのときの心のコンディションによっていろいろ変わってきます。
 ものすごくいいことがあってハッピーな気分のとき、悩み事や心配事があってブルーな気分のとき、テンションが低くなってボーっとしている無気力状態のとき、などなど・・・
 
 さて、僕の作曲活動ですが、自分のオリジナル曲を作ろうと思い立ったときは、とりあえず10曲入りのCDを2枚作ることが目標でした。そして、コツコツと作曲を続けて2003年10月に全20曲が完成しました。ところが今は、その頃に比べて非常にスローなペースになっています。(どころか、ほぼ停滞状態)
 20曲が完成した後はホームページを作成することにまず専念し、また2年間ほど地域的なある社会活動に参加していたこともあって、自由になる時間が大幅に減ってしまったので、しばらく作曲活動から遠ざかっていました。
 
 それで昨年の夏ごろからだったと思うけど、少しずつではありますが作曲活動を再開しています。そこで、限りある時間を有効に使おうと思い、違うタイプの曲を3〜4曲同時進行で作曲することを試みました。前述のとおり、聴きたい音楽が気分によって変わるのと同じように、メロディやフレーズも気分によっていろいろ思い浮かぶのではないかと考えたからです。
 
 ところが、実際にやってみると集中力がまったく無くなり、全然はかどらなくなってしまいました。「やっぱり間違っているな」と思いましたね。何でもそうだと思いますけど、一度にたくさんのことをしようとすると全てが中途半端になってしまう。まさに「二兎を追うものは一兎をも得ず」の心境だ。
 まっ、単に僕が不器用なだけかもしれないですけど・・・
 
 他の人たちが次々に「新曲です」って、発表されているのを見るとすごいなあと思いますねえ。でも僕は僕のペースでやるのだ〜っ。
 そこで、どこかのサイトである人が言っていた言葉を思い出しました。「趣味を長続きさせる秘訣はなんですか?」の問いに対する答えが「急がず、焦らず、頑張らず」だって。
 目からうろこじゃないけれど、いい言葉だと思いましたねえ。
 
 スローペースではありますが、これからもコツコツと作曲を続けたいと思っています。欲張らずに一つずつ、一つずつ・・・
 ただ最近、のどの調子が悪くて、声がだんだんかすれてきました。
 「やばい、大事にしないと・・・」
 
 
 
20060318  
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2006.03.18  酒と泪と、音楽と・・・!  
 
 あまり他人には言えないことだが、僕は非常に涙もろい。映画やテレビドラマを観ていて、感動のあまりつい泣いてしまうことが多々あります。だから映画を観るにしても、映画館の大スクリーンで観るのが最高であると認めつつも、家で真夜中に誰にも邪魔されずに涙腺を開きっぱなしにして一人きりで観る方が好きである。涙に濡れた顔を誰にも見られないで済むから・・・
 
 映画やドラマはストーリーがあって音声や音楽とともに映像として目に入るので、共鳴するものがあれば感動を憶えやすい。そして主人公の気持ちを代弁するかのように涙が出ることもたまにあります。もちろん俳優の演技力も大きな要素のひとつではあるが・・・
 じゃあ、音楽ではどうだろうか。旋律の美しさに感動することはあっても、聴いていて涙が出るようなことが起こり得るのだろうか。
 
 自分の記憶をたどっていくと、音楽を聴いていて気がついたら涙が出ていたという経験が今までに2度ありましたねえ。
 どの曲だったかというと、ジョージ・ハリスンの「サー・フランキー・クリスプのバラード」(アルバム:ALL THINGS MUST PASS)と日野皓正の「SWEET LOVE OF MINE」(アルバム:BLUESTRUCK)、の2曲です。
 
 で、久しぶりに聴いてみた。うむ、やっぱりいい曲だなあ・・・うっとり。でも涙は出ませんでした。
 「あれ、何故だろう?」
 
 そこでよく思い出してみたのですが、聴いている曲そのものだけが泣いてしまった要因ではなかったような気がします。何か悲しみに打ちひしがれる出来事があって、気を紛らせるために音楽を聴いていたのだが、その哀しげなメロディがかえって感情を増幅させてしまい、つい涙が出てしまったのでは・・・
 つまり、自分の身に起こった出来事がストーリーであり、心の中で台詞を呟き、聴いていた曲がそのときの感情に溶け合うようなBGMの役割を果たしたのだと言えようか。そう、まるで映画のワンシーンであるかのように・・・
 
 それと、僕は焼酎の「ロック」を軽く飲みながら映画を観たり音楽を聴いたりするのが好きである。冬の寒い日は「お湯割り」のときもありますが・・・、もちろん飲みすぎはいけません。ほろ酔いぐらいがちょうどいい。
 僕にとってお酒は自分をいちばん素直にさせる絶好のアイテムなんです。好きなお酒を飲みながら音楽に浸っているとき、本当に幸せだなあと思う。
 
 こんなふうに、僕はこれからもずうっとセンチメンタリストであり続けたいです。
 「酒と泪と、音楽と・・・そして、わが人生に乾杯!」 
 
 
 
20060219  
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2006.02.19  ミックス作業は迷路なのか?  
 
 以前から、自分のオリジナル曲の仕上がり(ミックス)に釈然としないものを感じていましたが、音楽コミュニティーサイトの「MUZIE」に曲を登録してから、ミックス作業のどこかが根本的に間違っているなあと確信しました。
 他の人の曲と聴き比べてみて何故こんなにも違うのか。音色は悪くないのだが、ひとつひとつの音がクリアでなく分散してしまっているし、ボーカルと伴奏との音量バランスも悪いし、残響音がやたらと多すぎてうるさく感じられる。要するに耳障りなのである。
 
 自分の曲だけを続けて聴いているときはそれほど気にも留めていなかったのですが、他の人の曲を聴いてから自分の曲を聴くとすごく違和感がある。ということは、もし僕の曲をダウンロードされた方がいたら同じように不快感を覚えていらっしゃるはずだ・・・
 「まずい。やっぱり何とかしないと・・・」
 
 今までを振り返って原因を探っていると、いくつか思い当たるふしがある。ギターとベースのトラックをステレオにしてしまったこと。MIDIトラックにエフェクターをかけたままにしていること。重厚サウンドを求めすぎたせいかスコア自体に音数が多すぎることなどである。
 先駆者の方の意見には耳を傾けるべきだということがよく分かりました。そこで、すべての曲についてスコアの見直しを行い、もういちど最初からミックス作業をやり直すことにしました。
 
 それにしてもミックスというのは大変むずかしく困難な作業です。僕の場合は方法も理論もよく分からないままに、ただ試行錯誤を繰り返しているばかりです。そう、まるで迷路の中をさまよっているかのように・・・(たぶん出口は永遠に見つからないだろう)
 その道のプロがいるというのもよく理解できる。やはり餅は餅屋ですねえ。
 
 というわけで、ああでもないこうでもないといろいろ試しながら、すべての曲のリミックスバージョンを完成させました。そして、まず「MUZIE」に登録した曲を先行で再アップロードさせ、そのあと当サイトのMP3、RA、WMAのファイルも全部入れ替えました。
 僕自身の感想としては、音色にやや不満が残るもののクリアなサウンドになっているし、全体としての音量バランスも良くなっていて以前よりたいへん聴きやすくなっていると思います。
 
 いままでにMP3ファイルをダウンロードされた方には非常に申し訳なく思っています。みなさんに楽しんでいただきたく最善を尽くしますので、これからも温かく見守ってやってください。
 
 
 
20060114  
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2006.01.14  音楽サイトの探検は楽しい!  
 
 個人のホームページでオリジナルソングを公開しているアマチュアミュージシャンの方のサイトがたくさんあります。僕も時々ではあるが、いろいろなサイトを訪れてはオリジナル曲を聴かせてもらっています。一人のリスナーとして、埋もれているいい曲に出会うのが楽しみのひとつになってきた。
 最近のプロの音楽業界に不満を感じているわけではありません。ただ世の中はたしかに広く、若い人から年配の方まで様々の人が曲を作り、歌い、音楽を楽しんでいるのも事実です。そんな中にもきっと素晴らしい曲があるに違いない・・・
 
 と思っているのですが、なかなか簡単に巡り会えるものではないですねえ。僕は音楽のカテゴリーとかジャンルにはあまりこだわらない方だと自分では思っているのだが、ブルース系のロックが好きである。純然たるブルースもOKだ。(何のことはない、実はこだわっている)
 オリジナル音楽を制作している人の中で、ブルース系を取り上げる人が少ないように思うのは僕の気のせいだろうか。
 
 さて、音楽サイトを訪問していてオリジナルソングにも様々なスタイルがあるんだなと思いました。バンド活動をしている人たちのライブ音源、あるいはスタジオ録音の曲。ピアノやギターを演奏しながら歌う、いわゆる弾き語りの曲。自分の得意な楽器は自ら演奏し、他のパートはDTMで補う曲。複数の楽器(ギター、ベース、ドラムなど)を自分で演奏し、歌とミックスする多重録音の曲。僕と同じように生は歌のみで、伴奏はすべてDTMの曲・・・
 
 で、実際に聴いてみていちばんいいと感じたのは、やっぱり生演奏を録音したものですね。もちろん歌はあった方がいい。音楽というものはどんなジャンルであれ演奏をしなきゃ話にならないなと思いました。僕もMIDIで実際に演奏しているような感じに打ち込んでいるつもりなのだが、どうしても限界というものがあります。何てたって、響きというか空気そのものが全然違いますよねえ。
 でも僕は僕でいいのである。(無理やり納得・・・)
 
 僕の「いい曲だな」と思う基準は、制作スタイルや音楽カテゴリーに関係なく聴いていて気持ちがいいか悪いかの違いだけです。(単純です・・・)それと、オリジナルソングの詞を読んでいると制作した人の性格や人柄、もっと言えば人生観が滲み出ていて面白いですねえ。新しい出会いが楽しみです。
 
 でも、僕にはそんなにたっぷり時間があるわけでもないしなあ。映画も観たいし、音楽CDも聴きたいし、本も読みたいし、ギターも練習したいし、オリジナル曲も作りたいし、で、いろんな音楽サイトも探検してみたい。
 「ああ、忙しっ・・・」
 
 
 
 
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