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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)


20191221  
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2019.12.21  庭の草木を見て思うこと!  
 
 ツワブキの黄色い花が咲いた。先月のことである。あまり日当たりのよくない庭の片隅に植わっているのだが、よく見るときれいな花だ。じーっと見ていると、「おまえ、いまごろ気が付いたのか?」と花が呟いている。そんな気がした。
 常緑多年草で、花は11~12月頃に咲くのだが、この季節になると、朝の暗いうちから家を出て、とっくに日が暮れた頃に戻るので気が付かなかったのだろう。休日にたまたま庭の雑草をひこうとしたら、咲いていたのである。
 
 何年も前に、誰かがお土産にといって持ってきてくれたものを植えたのだが、いつのまにかどんどんと増えていった。地面に広がる大きな葉っぱも、それはそれで美しい。よく考えてみると、花が咲いたことに気が付かなかったというのは正確ではない。毎年この季節に咲く花である。気が付かないはずがないではないか。表現としては、気に留めていなかったというべきかもしれない。
 
 年を取ったせいか(年配の方から見るとまだ若造だが)、庭に植わっている草木に関心を持つようになった。若いころは、葉がぼうぼうになっても、剪定するのが面倒くさくて、両手で持つタイプの剪定バサミで上っ面だけを刈っていた。はっきりいってこれは駄目である。またすぐに葉がどんどん伸びてくる。
 このごろは違う。いい姿にするために、片手で持つタイプの剪定バサミで無駄な枝を取り除いてやるのである。で、美しくなった木を見て微笑むのだ。
 
 庭の木といえば思い出した。昔、樫の木があったのだが、家の屋根の庇を突き破らんばかりにどんどん大きくなってしまったので、「そのうち手に負えなくなるぞ」と思い、まるごと伐採することを決心した。ところが、鋸でいざ切ろうとするともう堅いのなんのって・・・、どうりで木へんに堅いという字なわけである。
 脚立で高い場所の枝から少しずつ切って、最後は周りの土を掘り、地面の下10cmくらいのところの幹を切った。直径は20cmくらいだったろうか。根の部分は諦めて、土を被せてしっかりと固めた。建築用語でいう埋め殺しである。
 つまり、庭で木を育てるのはいいが、やはり人間の手の届く範囲で止めておくのがいいと思ったのだ。猫の額ほどの庭に大きな木はいらない。
 
 最近は、よく庭の草木に目をやるようになった。天気のいい休日に、木の枝ぶりをチェックし、落ち葉を拾い、雑草をひくのだ。雑草を見ていていつも思う。何という生命力。コンクリートに少しでも隙間があると、そこから生えてくる。一所懸命に生きているのはよくわかるが、うちの庭には生えなくてよろしい。自然の野原でがんばりなさい。木は木で、「大きくなりたいのに剪定とは、何ということをしやがる」といっていると思えなくもないが、犬がトリミングをして喜ぶように、木も喜んでくれているのだと信じよう。剪定に意味があるのはいうまでもない。
 
 ウバメガシ、ツゲ、ツツジ、槙、アオキ、金木犀たちよ、一緒にがんばろうな。
 (ん?何をがんばるのだ)
 
 
 
20191123  
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2019.11.23  防災訓練に参加してみた!  
 
 日本は地震の多い国である。おそらく世界でもトップクラスだろう。関東地方の真下にはユーラシアプレート、北アメリカプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートと、なんと4つのプレートが重なり合っている。メカニズムについては省くが、このプレートの境界で発生する地震が多い。近年の代表的なものは北アメリカプレートと太平洋プレートの境界で発生した東日本大震災である。そして専門家の話では、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界、いわゆる南海トラフにおいても、いつ大地震が発生してもおかしくないのだとか。
 
 プレート型の地震だけではない。日本の国土にはおびただしい数の活断層があって、これを震源地とする地震の発生も非常に多い。しかもプレート型に比べて震源地が浅いので、被害が甚大になることもある。近年の代表的なものでは阪神淡路大震災と熊本地震であろうか。我が家も真上ではないが、活断層に挟まれたような場所に建っているので、とても心配だ。
 
 さて先日、自治会が主催する防災訓練に参加した。何年か前にも参加したことがあったから、久しぶりの参加である。前回、物干し竿と毛布を使った簡単な担架の作り方を教えてもらったが、とっくに忘れてしまっている。
 まず避難である。町内放送が流れ、指定場所の公園に行ったが、案の定、極めて低い参加率だった。もともと災害の少ない地域だから、住民の意識が低いのかもしれない。久しぶりに参加した自分も偉そうなことは言えない。
 
 公園に避難した後は集会所に移動して、自治会全体が集まって、熊本地震のドキュメント映像、消化器の使い方、AEDの使い方について、消防署員による指導を受けた。
 印象に残ったことを少し振り返ってみる。
 
 熊本地震のドキュメント映像では、建物が崩れている光景はもちろんショッキングだったが、人々が口を揃えて、普段から非常用品を備えておくなど、もっと防災について考えなければならないと言っていたことだった。 
 消化器の使い方は、職場で何度も訓練しているのでよくわかった。大事な点としては、炎を狙うのではなくて、炎の根元に向けて掃くようにホースを振ることだろう。それと、5年くらいに一度は消火器の点検をする必要があるらしい。 
 AEDの使い方では、自分が誤解していたことがわかった。AEDというのは自動体外式除細動器のことで、けいれんを起こしている心臓の、けいれんそのものを取り除くのが目的であって、AEDによって心肺を蘇生するのではないということだ。心肺蘇生の基本はやはり、胸の心臓あたりを両手でポンプのように押し続けることらしい。「そうだったのかあ」である。それと、AEDの自動音声による指示を聞いていて、これならだれでも使えるなと思った。
 
 防災訓練を終えて我が家に帰り、さっそく消火器の点検をした。
 「あかん、とっくに賞味期限が切れとるやないか」
 ん?賞味期限?・・・
 
 
 
20191020  
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2019.10.20  台風と秋祭りとラグビーと!  
 
 史上最大級の台風がやってくるだと~、えらいこっちゃ、といいながらスマホで予想進路を何度もチェックした。10月12日、伊豆半島に上陸した台風19号のことである。関西地方にある我が家では、強風が吹き荒れたものの雨は少なく被害はなかったが、長野県をはじめ関東地方や東北地方では、あちこちの河川が堤防の決壊や越水などで氾濫して、甚大な被害をもたらした。町が海のようになっているテレビ映像を見ていて、少し涙ぐんだ。
 
 今回の被害は100年に1度の豪雨に襲われたからとされているが、専門家の話では、地球の温暖化で海水温が高くなっているので、今後は毎年こういった台風が発生してもおかしくはないという。それを聞いてまた、えらいこっちゃ、である。我が家は屋根が瓦葺なので、台風が直撃して風速50メートル級の暴風が吹くとやられるかもしれない。そうならないように祈るしかないのか。
 
 さて、我が町(村)の秋祭りである。今年は10月12~13日の予定で、屋台の周りでシデ棒を振る役で参加することになり、楽しみにしていたのだがこの台風である。案の定、台風が最も接近する12日は強風と雨のため中止となり、14日に延期となった。13日は本宮で八ケ村の屋台が集合し、練り合わせが予定されているから、宵宮の屋台の運行だけが後回しとなったのだ。ちょっと変わった延期の仕方ではあるが、無事に行われることはありがたい。
 
 屋台と呼んではいるが、屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)と呼ばれるもので、見た目は神輿と同じである。ただ子供が4人乗って太鼓を叩くので、神輿ではなく屋台ということになるらしい。屋台の運行は4本の足にキャスターをはめ込んで曳いていく。要所になるとそれをはずして担いで練るのである。もちろんシデ棒の出番でもある。特に屋台どうしの練り合わせは感動ものである。
 ほぼ一日中、屋台と一緒に歩くので結構しんどい。が、心地よい疲労といえるだろう。同年代の友人たちでは、いまだにまわしをしめて屋台を担いでいる者もいる。必死になって担いでいるその姿を見ていて、少し涙ぐんだ。
 
 祭りから帰ると、テレビのニュースが騒がしかった。ラグビーワールドカップの予選リーグで日本チームが強豪スコットランドに勝ったのだ。すごいことである。で、史上初の決勝トーナメント進出だ。日本中がもう大騒ぎである。外国人選手が多いからじゃないの?という輩もいるが、何をいっている。ラグビーの代表ルールでは何ら問題はなく、むしろ彼らの方が日本人よりも日本人らしいではないか。真夜中の再放送番組で一部始終を観たが、試合前に外国人選手が君が代を歌っているのを見ていて、少し涙ぐんだ。
 
 というわけで涙ぐむのに忙しい週末となったが、何よりも、台風の被害に遭われた方の一日でも早い復興をお祈りしよう・・・
 
 
 
20190922  
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2019.09.22  新しい時計を買ったぞ!  
 
 腕時計といえば、昔は手巻きの時計だった。子供の頃、大人たちが腕時計のネジをくるくる回しているのをよく見かけた。時計の動力であるゼンマイを手で巻き上げていたのだ。僕が初めて手にしたのは自動巻きの時計だった。自動巻きは腕を振ることによってゼンマイが巻き上がるものだが、時計が止まる度によく振ったのを憶えている。しかも、その度に時刻を合わさなければならなかった。いま思えば面倒くさかったなあ。
 その後、電池で動くクォーツ式の時計が主流となり、近年では、動力がソーラー電池で、時刻は標準電波を受信して自動修正するという、いわゆるソーラー電波時計がたくさん発売されるようになった。つまり、腕時計に対しては何もしなくていいのである。便利な世の中になったものだ。
 
 さて、ビジネス用の腕時計が傷だらけになっていたので、先日、新しいものに買い替えようと時計店に行きました。これまでの時計よりいいのを買おうと、今回の予算は奮発して10万円である。(その程度かと笑われそうだが・・・)目指すタイプはソーラー電波式で、シンプルな3Handsモデルがいい。ベルトは、革製だと汗が染み込んですぐ汚れてしまうし、ゴム式は劣化して破れたことがあったから、やっぱり金属製がいいなと思った。そこで、「ソーラー電波時計といえばCASIOだろ」と勝手に決め込み、CASIOのモデルを物色。すると・・・
 
 「お、いいのがあるじゃないか」といって、その時計から目が離れなくなってしまった。OCEANUS(オシアナス)OCW-S100というモデルである。盤面で微かに輝くブルーが美しい。「うん、これに決めた」といって購入を決意。ところが、である。値段がなんと4万円台だった。これって奮発したことになるのか?
 「よし、予定を変更して、プライベート用にもうひとつ買おう」
 
 いま、プライベート用として、2007年に発売されたCASIOのPRO TREK(プロトレック)PRW-1300を愛用しているのだが、この時計はデジタル表示なのである。デジタル表示は、時刻は瞬間的にわかるのだが、時間の間隔というものがわかりにくい。この時計は気に入っているが、今度は針(Hands)のある時計が欲しいと常に思っていたのである。で、物色。すると・・・
 あった。PRO TREKの2018年モデル、PRW-60Tである。見た途端に、すごく気に入ってしまった。値段も4万円台で、ふたつで10万円以内に収まる。で、この時計も購入を決意。本当に嬉しい一日となりました。「わあ~い」
 
 余談。ずいぶん前のことだが、時間に振り回されるような生活はしたくないといって、秒針のない腕時計を買ったことがある。ところが、電池が切れかけて、動いているのか止まっているのかがわからないときがあったのだ。結局あちこちの時計を見ながらあたふたして、かえって時間に振り回されてしまった。やっぱり秒針はある方がいい。秒針が動いているのを見ると安心します。
 でもまあ、いまのソーラー電波時計なら、そんな心配は無用ですよね。
 
 
 
20190819  
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2019.08.19  トカゲは意外とかわいい?  
 
 庭の流し台のそばを通りかかると、流し台の中でトカゲが盛んに動き回っていた。庭でよく見るトカゲのとかちゃん(勝手に付けた名前)だと思い、「あらら、とかちゃん、また落ちちゃったのかよ」といって近づいてみると、とかちゃんではなかった。とかちゃんは茶色のトカゲなのだが、目の前にいるのは艶々としたカラフルなトカゲである。尻尾の鮮やかなブルーがとても美しい。で、やはり、いつものとかちゃんと同じように、流し台の中から出られないらしい。
 
 日本のトカゲは毒を持っていないし、人間に危害を加えることもないから、手で掴んで出してやろうと思ったのだが無理だった。とてもすばしっこくて、なかなか掴めないのだ。で、しばらく様子を見ていると、排水口のふたの穴に首を突っ込みだしたのである。なんとかして脱出したいという気持ちはわかるが、さすがにそこは駄目だろう。
 「しかたがない。いつもの方法で出してやろう」
 
 トカゲはヤモリと違って、足に吸盤のようなものがないのだろうな。垂直のつるんとした平面は移動できないようだ。そこで、水で濡らした雑巾を用意し、底に届くようにして流し台の縁にそっとかけてやるのである。「さあ、ここから自分で上がりなよ」といって誘導してやるのだが、なんと、雑巾の下に潜り込んでしまったではないか。「おいおい、そこじゃないよ」といって再び誘導。今度は雑巾の上を這いあがり、無事に流し台の中から脱出。やれやれである。
 
 あとで調べてわかったことだが、このカラフルなトカゲは、ニホントカゲといって、その名のとおり、日本で生息するトカゲの中でも代表的なものらしい。この日に見たトカゲのように、尻尾が鮮やかなコバルトブルーに染まっているのは、幼体時のものであるようだ。大人になるにつれて、尻尾のブルーもだんだん薄くなっていくのだとか・・・。
 それと、もうひとつわかったことは、とかちゃんと呼んでいる茶色のトカゲはニホンカナヘビといって、ニホントカゲと同じく、日本国内で頻繁に見られる最もポピュラーなトカゲであるらしい。特徴は、ニホントカゲのようなつるつる感がなく、肌がガサガサしていて尻尾がとても長いということだ。そして、幼体時は全体的に褐色であるが、大人になると線状のような模様がくっきりと表れる。
 
 となると、茶色の小さなトカゲがニホンカナヘビの幼体であることから、いままでに庭でよく見たとかちゃんは、もしかしたら同一人物(同一トカゲ?)ではないのかもしれない。思い切って定義を変えよう。今後は、ニホンカナヘビの小さな子供のトカゲのことをとかちゃんと呼ぶことにしよう。
 (ま、はっきり言って、どうでもいいことであるが・・・)
 
 二日後、庭の別の場所でトカゲを見つけた。今度は大人のニホンカナヘビだ。「おまえ、もしかして大きくなったとかちゃんなのか?」と言っても詮無い事であるが・・・。
 で、記念撮影。「わあ、意外とかわいい顔してるう~」
 
 
 
20190720  
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2019.07.20  大相撲はスポーツではない?  
 
 相撲をテレビで観戦するのが好きである。もちろん、年に6回行われる大相撲の本場所のことだ。7月は名古屋場所である。仕事を終えて、いつも通っている酒屋さんの立ち飲みコーナーへ駆け込むのだが、早いときで大関戦の頃となる。圧倒的な強さを誇る横綱の勝ち相撲を観るのもけっこうなことだが、最近では、若い力士が横綱を倒すところを観るのが楽しみとなってきた。
 
 さて、相撲はスポーツといえるのだろうか・・・、と考えたことがある。相撲そのものはルールに則って勝ち負けを決める格技で、れっきとしたスポーツである。が、大相撲となると、ちょっと違うような気もするのだ。
 大相撲の本場所では、初日の前日に土俵祭(地鎮祭とよく似ている)が行われ、千秋楽には神送りの儀式が行われる。つまり、本場所中は土俵に神様が宿るとされているのだ。そういえば、横綱は土俵入りのときに、腰に真っ白な注連縄(しめなわ)を締める。横綱自身が神様ということではない。神の依り代として土俵に上がるのである。横綱に降格がないのは、神の依り代となった者が格下げになることは許されない、ということなのかもしれない。
 
 他に、本場所中の土俵は女人禁制であるとか、土俵の上の屋根の四隅には天空の神様を表す4色の房が吊り下げてあるとか、力士が土俵の輪の中へ入るときに清めの塩を撒くとか、もうこれはあきらかに神事であって、スポーツではないといえるだろう。したがって、観戦をする人にとっては、相撲と大相撲はまったく別物であるという認識が必要なのではないかと思うのである。
 
 ところで、今回の名古屋場所を観ていて驚いたのは、4人の大関のうち1人が全休、残りの3人が途中休場となって、大関がひとりもいなくなってしまったことだ。なんということか。いずれの力士も怪我が原因であるが、横綱に対抗すべき大関がひとりもいないとは、観ている者にとってはしらける話である。
 
 立ち飲みで一緒に大相撲を観ていたおじさんが言った。「最近は怪我が多いなあ。怪我が治らないうちに次の本場所が始まるから、いつまでも治らないのではないかな。いっそのこと本場所を三ヶ月に一度にしたらどうだ?」
 なるほど、一理あるなと思った。やさしいおじさんである。力士の身になって考えている。しかしながら、大相撲は金が飛び交う大興行である。怪我が原因で涙の引退を決意した力士はたくさんいるが、相撲協会が許さないだろう。
 
 昨今は、ときどき横綱の品格について話題になることがある。敢えて力士の名前は挙げないが、横綱というのは、まちがいなく誰よりも強い力士なのである。格下の力士に勝って、いちいちドヤ顔やしたり顔をしなくてもよろしい。それに、すでに土俵を割っている相手に追い打ちをかけるとはなにごとか。
 ああ、そんな横綱の姿だけは観たくない・・・、である。
 
 
 
20190621   
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2019.06.21  昨今の自動車事故に思うこと!  
 
 ブレーキとアクセルの踏み間違いなど、高齢者の運転による自動車事故が相次いでいる。連日のニュースが影響しているせいか、カー用品店では、後付けができる急発進防止装置というものがよく売れているらしい。これは、ブレーキと間違えて、アクセルを思い切り踏みこんでもノロノロとしか走らないといったものだ。もちろん通常のアクセルワークに影響はない。
 
 そこで政府は、75歳以上の高齢ドライバーを対象に、安全機能付きの自動車に限り運転をすることができるという新たな免許制度を検討しているようである。しかしながら、高齢の人たちのなかには、「75歳くらいを超えると判断能力や運動神経が鈍る。自動車がいろんな安全機能を備えるようにはなったが、それに頼るようになったら、もう免許を返納してもいいかなと思っている」といったような意見もあって、100パーセント賛同を得られる話でもないようだ。
 
 一方で、たとえば農家の人には、田畑に機械を運んだりするのに自動車(軽トラック?)が必要だから免許の返納は困るといった意見もあるし、公共交通機関が乏しい田舎では、買い物や病院に行くためにどうしても自動車が必要だから、なかなか返納することができないといった意見もある。ま、こんな場合は、地域限定の免許を検討してはどうかといった専門家の話もあったが・・・
 
 そもそも、アクセルさえ踏めば自動車が進むということ自体が問題ではないか。いっそのこと、オートマチック車を廃止して、すべてミッション車にするというのはどうだろうか。ミッション車であれば、ハンドルとギアチェンジの操作で常に両手を使わなければならないし、アクセル、ブレーキ、クラッチペダルの操作で常に両足を使わなければならない。しかも繊細な加減操作が必要である。したがって、高齢になると運転はもうやめた方がいいと感じやすくなるかもしれない。そして昔のように、どんな地域でも路線バスが走っていたような時代に戻すのだ。採算の問題があるから、まずは国の主導で進めるのがいいだろう。
 う~む、賛同者は限りなく0に近いかもしれないなあ・・・
 
 話は少しそれるが、すべてミッション車ということにすれば、スマホをいじりながら運転をする不届き者が減るのではないかと思うのだ。昨今の追突事故では、逮捕された運転手が揃って「前をよく見ていなかった」といっている。前をよく見ないでする運転?これはおそらく、スマホなどの携帯端末をいじりながらの運転だったのだろうと推測している。もしそうであれば、もう論外である。
 
 事故を減らすために、自動運転の技術開発を急ぐべきだという意見があるが賛同できない。まずは安全運転を心掛けるための意識改革が必要なのではないだろうか。それはまさに、譲り合いの精神と「かもしれない」運転である。
 近頃の日本人はどうもおかしい。何をそんなに急いでいる?
 
 
 
20190519  
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2019.05.19  令和、よき時代になるといいね!  
 
 5月1日、わが日本は令和の時代が始まった。前の天皇陛下が退位され、皇太子殿下であった徳仁親王が新しい天皇陛下に即位された。間違っても令和天皇と呼んではいけない。あくまでも天皇陛下、あるいは今上(きんじょう)天皇である。上皇陛下になられた前の天皇陛下も同様に平成天皇と呼んではいけない。いずれも崩御されたときに贈る称号、すなわち諡(おくりな)となるものだからである。自分に言い聞かせるためにも敢えて触れておく。
 
 この度は生前退位ということになったので、一ケ月前の4月1日に新元号の名前が発表されることとなったが、当日はどんな名前になるのだろうかとドキドキしたものである。そして、令和と発表されたときは、「おお、なかなかいいではないか」と素直に思った。
 全国の音楽ファンのなかには、エリッククラプトンの名曲「いとしのレイラ」のサビの部分と重ねて、レイワ~♪と心の中で叫んだ人が多数いただろう。あ、もしかして俺だけなのか?
 
 冗談はさておいて、日本の元号はこれまで漢籍、つまり中国の書物(古典)からの出典であったらしいが、この度、初めて日本の古典である万葉集から選ばれた。これは日本人としては誇らしく嬉しい出来事である。ところが、中国の某学者が「万葉集は古代中国詩の影響を受けている」とコメントしたのだとか・・・。そんなことは日本人の誰もがわかっている。ただ、万葉集自体はれっきとした日本の古典であり、日本の文化のひとつであるということなのだ。
 
 それと、「令は命令の令という字だからよろしくない」という人がいるらしいが、なにをいっている。令和は万葉集の「初春令月、気淑風和、」の一文が出典であると説明されているではないか。文語の書き下し文では、「初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやはら)ぎ、」となっていて、この令の字は「よい」という意味であるらしく、和の字は和(やわ)らぐ、つまり穏やかになると意味だから、個人的には「よき平和な時代になってほしいという思いが込められているのではないか」という解釈に賛成である。
 
 ところで、令和の元号を使うにあたって疑問に思うことがあった。
 まず、令和を発音するときは、どこにアクセントを置くのかという疑問。内閣府によると、元号法などで定められているのは漢字と読み仮名だけなので、アクセントに決まりはなく自由に発音して構わないとのことだ。なるほど・・・
 また、令という字を手で書くときは、点とマにするのが正しいのかという疑問。文化庁によると、形の違いであって字体の違いではない。結論は同じ字なので、どちらで書いても構わないとのことだ。なるほど、そうだったのか・・・
 
 さあ、令和という新しい時代が始まった。自分にとっても、また日本の人々にとっても、よき平和な時代になるといいな・・・と、そう思った。
 
 
 
20190422  
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2019.04.22  未来のF1ドライバーたち?  
 
 先週の4月13・14日、岡山国際サーキットで、2019年のSUPER GTの開幕となった。よし、久しぶりに観に行くか、といって天気予報を見ると、あいにく日曜日は雨の予報だったので、13日の土曜日の予選だけを観戦することにした。過去に雨天のレース観戦を経験したことがあるが、これほどつらいものはない。仮設テントの下で、立ったままうどんを食べた記憶がまだ新しい。
 
 SUPER GTというのは、市販車をベースに改造したレーシングカーの競争なのだが、本年の場合、GT500のカテゴリーで日産GT-R、レクサスLC500、ホンダNSXと、事実上自動車メーカー三つ巴の戦いである。
 趣味の紹介で、モータースポーツ観戦を挙げているが、サーキットに足を運ぶのは、この岡山国際サーキットだけだ。理由は単純、自宅からいちばん近いサーキットだからである。遠方のサーキットまで行くほどの元気はない。
 
 さて、何度も足を運んだサーキットなのだが、今回は趣が少し違った。スター選手が多くて華やかなSUPER GTはさておいて、パドックの片隅にあるテントのピットがすごく気になったのだ。そこには、前座レースのF4(フォーミュラ4)のマシンが並んでいた。ガレージの中が丸見えなので、マシンのセッティングをしている様子がよくわかる。GTカーのピットが大企業の工場ならば、こちらは個人が経営する町工場といった感じか。みんな真剣な表情で作業をしているのだが、アットホーム的な雰囲気ではある。
 
 F4というのはF1を頂点とするフォーミュラカー・レースのひとつで、文字どおりF3の下にランク付けされているのだが、上位のカテゴリーとは違って、シャシー、エンジン、ギアボックス、タイヤなどが指定されていて、いわゆるワンメイクのレースである。したがって、ドライバーの技量の差がそのまま順位となりやすい。どうやら、若手ドライバーの育成を開催意義としているようである。
 
 13日の土曜日に第1戦の決勝が行われ、17歳の佐藤蓮選手が優勝した。14日の日曜日には第2戦が行われ、この日は20歳の三宅淳詞選手が優勝したようだ。将来が楽しみである。どんどん上位カテゴリーにステップアップして、世界のF1レーサーをめざしてがんばってほしいものである。ファイト!
 
 最後に、モータースポーツ観戦というのは、一種のアウトドアスポーツであるといえる。食事をする時間以外は常に移動していて、トータルではかなりの距離を歩くことになるからだ。なので、サーキットに到着したらハイキング用のシューズに履き替えることにしている。それと、雨天になったときは合羽かポンチョが必須のアイテムだ。移動するときは傘でもよいが、観覧席で傘をさすのはマナー違反である。日曜日はウェットレースになってしまったが、岡山国際サーキットは傘をさして観戦する人が多くて不評だったようだ。まったく同感・・・
 
 
 
20190321  
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2019.03.21  小学校の同窓生が集まった!  
 
 先般、小学校の同窓生の十数名が集まった。珍しいことではある。我が小学校区と隣接する別の小学校区とでひとつの中学校区になっていて、自分を含めて大半の者がこの公立(市立)の中学校に進学したので、中学校の同窓会がそのまま小学校の同窓会でもあるという感じなのである。だから、わざわざ小学校の同窓会を開こうと提案する者もいないのだが、今回は事情が違う。小学校から私立の中学校に進学したI君のための集まりだったのだ。
 
 東京の中央省庁を中心に活躍していたI君は、8年前に帰郷し、今度は市政に携わりたいというので、小学校の同窓生で激励会を開こうということになったらしい。彼とは小学校の5年生と6年生のときに同じクラスだったのだが、当時を振り返ると、正義感が強くて人柄も申し分なく、とても頭のよい奴だった。そんな彼を知っている自分としては、ぜひとも応援したいと思っていたので、今回の世話をしてくれたH君、呼んでくれてありがとう。嬉しかったです。
 
 実は数年前、I君とは一度会っている。我が中学校の同窓会の受付ロビーに、彼が突如現れたのである。誰から聞いたのかは知らないが、ん十年ぶりに帰郷し、小学校の同窓生の顔が見たくてやってきたらしい。一部の人は「おまえは関係ないだろ」といって不快感を表していたが、I君の気持ちはわからなくもない。本会に入場できないのはあたりまえの話だが、2次会が行われる店でみんなにこっそり会えばいいと許したら、彼は喜んでくれたな。ただし大きな顔はしちゃだめだよという条件で・・・。もちろん、もめることになったときは彼を全力で擁護する覚悟だった。今回はそんな心配は無用である。
 
 小学生のころに同じ地区で育ち、一緒に笑ったり泣いたり遊んだり・・・。立場に上もなく下もなく、お互いに自然体で腹蔵なく過ごした仲間たちである。何年経とうが会って楽しくないはずがない。そういえば今回も、近所に住んでいた女の子のSちゃんが来ていたな。彼女とはいつも「俺、君によく泣かされたよな」「え、あたしそんなことした?」の会話になるのだが、隣に座っていたH君が「Sちゃんはしっかり者だったんだな。小さいときは女の子の方が男の子よりも成長が早かったし」とフォローしてくれた。お、うまいこというねえ・・・と思った。そのとおりである。真相はただ単に僕が泣き虫だっただけのことだ。一緒に遊んだのは事実だし、何年経っても彼女に会えるというのが嬉しいのである。
 
 昨今は、全国でいじめの問題がよく発生している。いじめられていた子が自殺に追い込まれるなんて尋常ではない。仲がよかった我々にとっては信じられない話である。当時でも、些細なことで喧嘩になることはもちろんあった。が、必ず周りのみんなが喧嘩を止めさせて、仲直りするよう促していたものである。
 いまの小学生や中学生のみなさんも、何年経っても気持ちよく会える仲間作りをしてほしいですね。切に願っています。
 
 
 
20190223  
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2019.02.23  iTunesで項目を編集しよう!  
 
 iPod Touchで音楽を聴くのが楽しい。先日、廉価(280~500円)の中古CDを5枚買ってきた。アルバム曲をiPodに入れる作業を振り返ってみる。
 ~まずパソコンにプリンターを接続し、ジャケット写真をスキャンする。解像度は300dpiで十分だろう。jpg画像で仮保存し、Photoshop Elementsで編集する。正方形に切り取って、画像調整でコントラストをやや強めにし、ファイルサイズの幅と高さを300pixelにして保存する。アートワーク用の画像である。
 
 次にiTunesでアルバムの曲を取り込む。インポートの設定はMP3エンコーダと標準音質(128kbps)にしている。音質は他に良音質(160kbps)と高音質(192kbps)などが用意されているが、自動車のナビや屋外のイヤホンで聴くことがほとんどなので、128kbpsで十分である。iTunesでは、5分の曲でも30秒以内でインポートしてくれる。昔、レコードからカセットテープに録音していた頃のことを考えると、いやはやもう恐ろしいほどのスピードである。
 
 曲を取り込んだら、アルバム名のところにリリース年が表示されているかどうか、また曲のラインナップを見て、すべて揃っているかどうかを確認する。もし何曲か足りないときはアーティスト名ではなく、Compilationsあるいはコンピレーションに分類されているはずだ。そんなときは、曲の情報画面でコンピレーションのチェックをはずすとアーティスト名のところに戻ってくる。
 
 曲が揃っているのを確認してから、アルバム名のところを右クリックし、アルバム情報を選び、項目を編集する。iPodと同期させるためには、最低でも次の項目はおさえておきたい。詳細画面で、リリース年が表示されているかを確認する。表示がなければ必ず入力しておく。それとコンピレーションにチェックが入っていたら必ずはずしておく。読みがなの画面で、邦楽の場合、アーティストの読みを漢字やローマ字からひらがなやカタカナに変えておく。アートワーク画面で、保存しているジャケット写真の画像をコピー&ペーストで貼り付ける。ドラッグ&ドロップでもかまわない。で、iPodとの同期を実行。~
 
 以上の作業をしておくと、iPod touchでは、邦楽はアイウエオ順に、洋楽はアルファベット順にアーティスト名がきれいに並びます。さらに、アルバムの並び替えで「古い順」を選ぶとリリース年順にアルバム名がきれいに並びます。もう美しいことこの上ない。ただ、アーティストの丸い写真だけはiTunesが独自にコントロールしているせいか、編集することができません。う~ん、残念。
 ちなみに、リリース年だけを追加で入力して同期させたときは、iPodに反映されません。そんなときは、iPodのライブラリからアルバムをいったん削除して、再度アルバムごと同期させると反映されるようになります。
 
 初歩的なことばかりですが、みなさまの参考になれば幸いです。うん。
 
 
 
20190120  
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2019.01.20  公共トイレ、作戦変更の貼り紙?  
 
 十数年前のことだったが、某公共施設のトイレに入って小便器の前に立ったとき、目の前の貼り紙を見て衝撃を受けたというか、「ほほう」と感心したのをいまでも憶えている。そこには、「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」とだけ書いてあった。
 通常(当時のことである)は、「ガムや紙屑を捨てないでください」とか、「もう一歩前へお進みください」とか書かれていたことが多かった。この「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」と書いた紙を貼っておくという発想には、いや本当に驚きました。
 
 公共のトイレというのは、不特定の人が利用するものである。トイレを汚さないように努める人とそうでない人。丁寧に扱おうとする人とそうでない人。
 だから、~ガムをかんだ後は紙に包んでごみ箱に捨てる~、マナーとしてのこんな当たり前のことができずに、小便器に吐き出す人がいるのも現実なのだ。管理者としては、配管が詰まると大変なので、対応策のひとつとして、「ガムや紙屑を捨てないでください」の貼り紙をしておこうとなる。よくわかります。
 
 それと、気をつけていても、小便を便器の外にこぼしてしまうこともある。利用する人が酔っぱらいの場合は、この確率がぐんと高くなる。人間のやることだからミステイクはつきものであるが、まさか故意にやる人はいないだろうな。で、管理者としては、何度も掃除をしなければならないので、「もう一歩前へお進みください」の貼り紙をしておこうとなる。これもよくわかります。
 
 まあ、どんな貼り紙をしてもさほど効果は上がらない、というのが実態ではないだろうか。そこでもって、「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」の貼り紙である。これは作戦変更だなと思った。考えてみると、「ガムや紙屑を捨てないでください」とか、「もう一歩前へお進みください」とかいったものは、人に対して要請をする文章である。しかもやや命令調だ。「もう一歩前へお願いします」といった貼り紙もあるが、要請文であることに変わりはない。
 それに対して「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」は、感謝の気持ちを表す文章だ。まだ行為が始まっていないのに・・・、である。となると、普通の人であれば感謝されない行為をするわけにはいかない、と考えるだろう。つまり汚さないようにいっそう努めることになる。うまい、と思った。
 
 その後、この文章を採用するところが増えてきたように思うが、「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます。いま一歩前へお願いします」と併記されたものを見たことがある。わかってないなあ。感謝文だけだから意味があるのに・・・、と思ってしまうのだ。が、それが問題の本質ではない。公共のトイレはきれいに使いましょう。そう、自分の家のトイレと同じように・・・、ですね。
 
 追記。この度は男性ならではの内容ですので、女性の方にとってはどうでもいい話題かもしれません。なにとぞ、ご理解とご容赦のほどを・・・(汗)
 
 
 
 
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