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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)


20171218  
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2017.12.18  人の顔には歴史がある?  
 
 自分の顔を鏡で見ていて、思ったことをしゃべってみる。思い出の傷があそことここと・・・。ひとつは額にある。ほんの少し、皮膚が窪んでいるところがあるのだが、高校生のとき、バスケットボールの試合中にできた傷だ。ジャンプシュートをしようとして、ボールを頭の上に運んだ瞬間、「痛っ」である。右手の親指の爪で、自分の額を引っ掻いたのだ。爪には肉片がくっついていた。もちろん血は出たのだが、たいした傷ではない。ところが、肉をえぐったものだから、傷跡が残ってしまった。でも、年を取るとともに、だんだん目立たなくなった。
 
 もうひとつは顎にある。これは20年くらい前に、お酒を飲み過ぎて転んだときにできた傷だ。どんくさい話なので、怪我をするまでの経緯については省いておくが、このときは肉が割れてしまったので、救急病院で3針縫ってもらった。当然、血の量も半端ではなく、ネクタイとYシャツが血だらけになってしまった。酔っぱらいを相手に治療をしてくださったお医者さんと看護師さん、ありがとうございました。顎の傷なので目立たないが、ここだけ髭が生えなくなった。
 
 さて本題。この度、新たな傷跡ができてしまったのだ。2ケ月ほど前のことだが、サイクリングをしていて、顔の右半分に違和感を覚えた。家に戻ってから鏡を覗いてみたが何もない。ところが2日後になると、鼻と右の頬が赤く腫れているのだ。痛くも痒くもないが、熱は持っているようだった。「えっ、何なんだこれは?」である。3日ほど様子を見たが変わらないので、病院に行った。が、何科に行けばいいのかわからない。とりあえず、皮膚科に申し込んだ。
 
 皮膚科の担当は女医さんだった。おしりを見せるわけではなく、まあいいか、である。痒くはないのですか?痛みもないの?と聞かれ、ルーペのようなもので顔をじーっと観察された後、先生がひと言。「何なのでしょうね?」
 結局、皮膚病でないことはあきらかで、ダニが原因でもないらしい。ただ、内出血を起こしている箇所があるので、「何か顔に当たりませんでしたか?」と聞かれたが、覚えがない。心当たりといえば、金木犀の木を剪定していて、枝が顔に触れたことくらいか。塗り薬を処方してもらい、様子を見ることになった。
 
 すると、3日くらいで腫れはすーっと引いたのだが、内出血を起こしていたところに、傷のように跡が残ってしまったのである。眉間のところに小さな赤茶色の窪みが5~6箇所と、鼻の横に直径5~6ミリくらいの縁が茶色の窪みである。2ケ月経った今も少しずつかさぶたが取れるので、まだ闘っている最中なのかもしれない。今度の傷はよく目立つが、この年になると恥ずかしさはもうない。
 
 人の顔には歴史がある。傷とは少し違うが、しわについても同じことがいえるだろう。しわだらけの老人でもいい顔の人がいる。鏡を覗き込んで、自分の目尻のしわや傷跡を見ながら、いい顔の老人になりたいなあと、そう思った。
 
 
 
20171119  
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2017.11.19  初めての胃カメラ体験で興奮!  
 
 私事である。定期健康診断が終わって幾日か経つと、看護師さんから電話がかかってきた。胃部レントゲンの結果、異常が認められたので、すぐにでも精密検査が必要だという。早速、健康診断結果表と必要な検査項目が書かれた紹介状が、メールで送られてきた。検査項目は胃カメラ、胸部CT、血液(脂質)検査の3項目で、胃部X線の所見欄には「胃後部に陥凹性病変の疑いあり」と書かれていた。陥凹性病変の疑い?何なのだ、これは・・・
 
 翌日、主治医の某病院に胃の精密検査が必要らしいと電話したら、「今日の夕方に来ることはできますか?まずは先生と相談してみてください」ということだったので、健康診断結果表と紹介状を持って、先生のところに伺った。胸部CTと血液(脂質)検査は想定内だが、今回は胃カメラ検査のことを強調していうと、先生は健康診断結果表をじーっと見つめた後、「うーん、この結果で精密検査が必要なのかなあ。でもまあ、検査しなさいと書かれているから、胃カメラの検査、やりましょうか」である。うん?何なのだ、この反応は・・・
 
 さて、10日後の検査当日のことである。血液は先日に採取してもらっているから、胃カメラ、胸部CTの順に検査をすることになった。看護師さんから「胃カメラは口からしますか?鼻からしますか?」と聞かれ、「あの、初めてなので、よくわからないです」と答えると、「あら、初めてなの?じゃあ、まずは口からやってみましょうか」と返された。異論はない。同僚たちは鼻からの方が楽だといっていたが、口からの検査を体験しないとわからない話である。
 
 看護師さんから、ゼリー状の麻酔薬を渡され、のどの奥で5分ほど含んでくださいといわれたが、思わずごくん。「あ~、飲み込んじゃダメよ」って、無理だろこれ。なんとか踏ん張って5分。「はい、飲み込んでください」といわれて飲み込んだが、感覚がない。「あの、飲み込めたかどうかわからない」というと、「ああ、じゃあ麻酔が効いてますね」って、なるほど、そういうことか・・・
 
 いよいよ先生が胃カメラの管を持って、「じゃあ入れますよ」となったが、もうドキドキである。で、管がのどにきたときに「はい、飲み込んでください」といわれ、なんだと~と思いながら、踏ん張ってごくん。涙が出てきた。すると看護師さんが、「がんばってね~」といって、背中をさすってくれた。ありがとう。
 管がのどを通過してからは、よだれもでないし、別に苦しいとは思わなかった。「なんだ、こんなものか」という感じである。検査が終わり、画像を見ながら先生から説明を受けたのだが、心配する必要はないらしく、診断結果は伸縮性びらん性胃炎だった。先生がいった。「この程度なら放っときゃよろしい」
 
 あと、胸部CTと血液検査の結果で少しお叱りを受けて精密検査終了。俺もついに胃カメラを体験したぞ~といって、やや興奮した一日となりました。
 
 
 
20171016  
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2017.10.16  自転車って全身運動だなあ!  
 
 よし、今日はあの峠道に行こうといって、自転車にまたがって勢いよく出発したのはいいが、登り坂はやはりきつい。このきつさに耐えれば、あとは緩やかな下り坂の楽チンが待っている・・・、そんなずる賢い計算をあざ笑うかのような急傾斜である。変速ギアの1速で粘るのだが、もう限界だ。もうひとつ軽いギアがあればいいのにと思いながら、自転車を降りる。峠まであと数十メートルなのに・・・、である。この峠道には何度も来ているが、いつもこのあたりでギブアップだ。で、呼吸を整えながら自転車を押していき、峠に到着。
 
 ウインドブレーカーを脱ぎ、Tシャツ姿になって汗を拭いていると、下り坂側から峠に向かって走ってくる人がいた。60歳代?の女性の方だった。「こんにちは」と声を掛けられ、「こんにちは、あの、この坂をずっと走ってこられたんですか?すごいですねえ」と返すと、「まあね、自転車でもきついでしょう?」
 すかさず答えた。「きつかったですう~」、声がうわずっている。女性の方は「あはは」と笑いながら去っていった。おねえさん、なかなかやるではないか。
 
 いやあ、恐れ入りました。この峠道を走るなんて到底考えられない。だから、自分は自転車でいいやと、そう思った瞬間でもありました。
 うん?ちょっと待てよ。10年ほど前に、人間は体を動かさなきゃだめだといいながら、一人で気軽にできるものとして自転車を選んだが、運動としてはどういうレベルなのだろう。で、自分なりに少し考えてみた。
 
 自転車はハンドルとサドルがほぼ同じ高さなので、乗っているときは前傾の姿勢になっている。だから、常に腕の筋肉、腹筋、背筋を使っていることになる。バンピーな路面のときは、腰を少し浮かすのでなおさらだ。ペダルを回すときは、太ももで押し下げ、ふくらはぎと大腿二頭筋で引き上げるから、足全体を使っていることになる。もちろん足首にも負荷がかかる。そして、減速のためにブレーキをかけるときは、いやおうなしに握力を鍛えていることになる。
 
 交差点に差し掛かると、左右の安全を確認するから、首もよく動かしている。また、写真を撮るために、いい構図はないかとキョロキョロもしているから、その回数は頻繁といっていいだろう。それに、もともと前傾姿勢なので、首の後ろの筋肉は常に鍛えていることになるだろう。進路を変更したり、狭い道路で後方を確認するときは、体ごと振り返るから、腰の回転運動も行っている。
 以前、自転車通行可の狭い歩道を走っていて、後ろから誰も来てないだろうなと振り返ったあと、少し急いだら、ミニパトの巡査が追いかけてきたことがあった。で、防犯登録を確認。車道にいたミニパトを見て逃げたと思われたのかな?・・・、俺は歩道を見ていたのだ。ま、これは余談であるが・・・
 
 まとめ。自転車って、かなりの全身運動ではないか。よっしゃ、いいぞ。
 
 
 
20170918  
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2017.09.18  往復ビンタ、それがどうした!  
 
 先般、ネットのニュースを見ていて驚いた。「世界的なジャズトランペット奏者の某氏が男子中学生に往復ビンタを見舞う」と、このような見出しだった。まるでとんでもない暴力事件が起こったかのような表現に、まず違和感を覚えた。音楽をこよなく愛し、後進の若者たちを育てている某氏が、何の理由もなくこのようなことをするはずがないではないか。音楽が好きな人たちからは尊敬されている人なのだ。僕もCDを何枚か持っている。これは何かあるぞ、である。
 
 いろんな記事を読んだところ、経緯はこういうことらしい。
 ~某氏や一流のミュージシャンの指導を受けた東京の区立中学校の生徒たち(約40人)の、日頃の練習の成果を発表するジャズコンサートが、区教育委員会の主催で開催された。演奏の後半のソロパートになり、ドラムソロは順番(3人?)に行うことになっているのに、ひとりの生徒がドラムを延々と叩き続けた。某氏が制止しても叩き続けるので、他の生徒が待っていることを告げて、この生徒からスティックを取り上げた。それでも生徒は手で叩き続けたので、某氏はやむを得ず生徒の髪の毛を掴んで往復ビンタをした~
 
 なーんだ、そんなことだったのか、である。
 終演後、この生徒は自分が悪かったと反省し、某氏の楽屋に来てきちんと謝罪をしているし、「某氏の特訓をまた受けたい」とも話しているという。生徒の父親も「自分の子が悪い」とコメントしているようである。また、コンサート会場にいた人たちからも、某氏を責める声はほとんど見当たらないそうだ。
 主催者の区教育委員会としては、某氏の行為は行き過ぎた指導と捉えているが、今後も事業は継続させたいとの意向だとか・・・、まあ、立場上、これが精一杯なのだろう。これらに鑑みると、要するに、もう終わった話なのである。
 
 全体像が教育であることは明らかだ。ひとりの若者が、世界的ミュージシャンから音楽は会話であるということを学んで、さらに一歩飛躍するという話で、あくまでもいい話であると思うのだ。ただ、敢えて問題点があるとするならば、体罰はよくない、この点だけである。目くじらを立てるほどのことではない。
 
 昨今では、体罰と暴力が混同されているようだ。体罰は教育の一環で成長を促すものである。専門家が賛否を論じているものの、けっして暴力ではない。したがって、今回の話も暴力事件ではない。となると、見出しにふさわしい表現は、「男子中学生、某氏からの愛のムチを成長の糧とする」だと思うのだが、どうだろうか。それにしても、昔、親が学校の先生に、「うちの子が悪いことをしたら叩いてやってください」といっていたのを思うと、隔世の感がありますね。
 
 その後、某氏は報道陣に対して、騒ぎを大きくすると、生徒が忘れられずに何年も苦しむことになるので、それをよく考えてほしいと要請したらしい。なるほど・・・と思った。なので、この度は実名を伏せさせていただきました。
 
 
 
20170814  
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2017.08.14  動物と台風と天気図と地球!  
 
 とかちゃんを発見。我が家の庭をうろつくトカゲのことだ。冬眠から覚めて、どこにいるのだろうと思っていたが、まずは元気そうで何よりである。
 さて、今年は発生から消滅まで約19日間と、迷走を続けていた台風5号に日本国中が翻弄され、ノロノロ運転による大雨で被害が続出した。庭で陽光を浴びているとかちゃんも、さぞかしとまどっただろうなと思った。
 
 動物には台風や地震などの予知能力があるという。もっともトカゲの場合は地震が専門のようだが・・・。とにかく、動物たちが災害の起こる前に異常な行動をとるというのは、よく知られている話だ。子供のころ、ハチが低い所に巣を作ると台風が来る、というのをよく聞いた。人間が莫大なお金を使って、地震予知装置や人工衛星などを作っても、動物たちにはかなわないというのは滑稽な話だ。さては、人間が最も神様から遠ざかった存在になったということか。
 
 ところで、最近のテレビの天気予報では、天気図による解説が少なくなったのではないかと感じるのだが、思い過ごしだろうか。今回の台風5号にしても、なぜ迷走するのかは、気圧配置と偏西風の位置で読み取れる話なのだ。
 天気図による解説はあるにはあるのだが、その時間は短く、結局は明日が晴れなのか雨なのか、気温が高いのか低いのかで終わってしまう。限られた時間で、視聴者のニーズを考えればやむを得ないのかもしれないが・・・。
 
 自称天気予想師としては、天気図がどうなっているのかをじっくりと知りたい。で、ネットの天気情報サイトに頼ることとなる。そして、今後の天気はこうなるだろうなと呟いている。中学生のころの夏休みの宿題で、短波ラジオ放送の気象通報を聞きながら天気図を作成した経験を生かしたいのである。そういえば、気圧の単位もヘクトパスカルではなく、当時はミリバールを使っていたなあ。
 ちなみに、天気予報士はれっきとした国家資格でその発言には責任があるが、予想することに責任はない。師は士ではなく、ペテン師の師である。
 (何が言いたいのか分からなくなってきたが・・・)
 
 現在、南米のアマゾン、中央アフリカ、東南アジアなどの熱帯雨林をはじめとする森林が急激に減少していることや、エネルギーを化石燃料に頼ることによる地球の温暖化が深刻な問題となっている。そして、極地圏などの氷が解けて海水面が上昇したり、また海水温が高くなっていることが原因で、台風が大型化したり、局地的な豪雨が頻繁に起こるようになった。
 
 人間の横暴によって地球が壊れていくのを仕方がないとするならば、想定外の災害が起こっても、それに対応できるような町づくりを考える必要があるのかもしれませんね。そもそも自分も、火力発電の電気でエアコンをガンガン使うし、ガソリンを燃やしまくりの自動車を運転しているから、あまり偉そうなことは言えない・・・のだ。
 
 
 
20170716  
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2017.07.16  スマホに替えてよかった?  
 
 2年くらい前、「ホンよりフォン?~」と題して、スマートフォンについて語ったとき、「何年か後の7人掛けのシートには、コピー(3)あたりに僕がいるかも」と呟いたことがあったが、いまのところ、そんな様子はまったくない。
 実はこの度、同僚や家族の勧めもあって、携帯電話をガラケーからスマホに買い替えたのである。ガラケーがいずれなくなるかもしれない、ということも決心した理由のひとつだ。機種をAndroidにするか、それともiPhoneにするかで迷ったが、ネットの意見を参考にして、熟慮の末、iPhoneを選んだ。
 
 Androidは電話帳をグループに分けることができるが、iPhoneはできないので不便だという声もあるが、情報は一元管理しておいて、検索で呼び出すというApple社の考え方は分からなくもない。それなら会社名の欄にグループ名を入力しておくといい。検索するとグループを簡単に呼び出すことができる。
 
 スマホを手にしてから、まだ一ケ月経っていないが、感想を少し述べてみる。まず画面が大きくて見やすい。老眼が進むわが身にとっては重要な要素ではある。それとネット検索が素早くできる。また、アプリを利用しての情報量も豊富だ。これはありがたい。ネット検索はガラケーでもできたが、少しもどかしかった。さらに、文字入力がすごく簡単にできる。初めはとまどったが、慣れてしまえば何のことはない。これらだけでも替えてよかったなと思っている。
 
 問題は、LINEなどのSNSを利用するかどうかであるが、これには消極的だ。以前、友人から「LINEはしないのか?」と聞かれたことがあったが、「ガラケーなのでできないが、仮にスマホに替えてもする気はない」と丁重に断ったことがあった。メールのやりとりでさえ、返事をするのが遅いと思われているだろうなと、いつも気を使っているのである。平日の昼間は、期限に追われるような仕事が多いので、なかなか返信ができない。昼休みも食事を取るのが精一杯ということもしばしばだ。ただ、遅くなっても返事は必ずするようにしている。
 
 LINEをしている人たちの間で、既読スルーが原因で関係がこじれるという話をよく聞く。そんな(自分にとっては)些細なことで、相手を気まずくさせるというのであれば、初めからしない方がいいのでは?となってしまうのである。だから、「いまのところはやる気がありません。ごめんなさい・・・」です。
 
 動画はパソコンの大画面でじっくり楽しみたい。音楽はiPodがあるから必要としないし、移動中に楽しむのは自動車を運転しているときだけでいい。ゲームにはまったく興味がないし、これからもすることはないだろう。通勤電車の中では相変わらず文庫本を読んでいるのである。となると、スマホに替えたからといって、基本的には何も変わったところがないということになる。しつこいようだが、あくまでも、いまのところは・・・である。ただスマホのいいところは、楽しみ方がいっぱいあるし、その気になればいつでもできる、ということだな。うん。
 
 
 
20170619  
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2017.06.19  ロングセラーのカップ麺!  
 
 夜更かしをするのが好きである。パソコンで映画やドラマを観たり、動画を楽しんだり。もっとも、何の予定もない休日の前夜にしかできないことだが・・・
 徹夜はよくない。少なくとも朝刊が配達されるまでには寝ることにしている。そして、「腹が減ったな」といって、カップヌードルを食べる。これが美味しい。
 
 このカップヌードルのパッケージを見ていて、「これって、発売されてからずいぶん長いよな」と、ふと思った。調べてみると1971年に発売されている。思い出したぞ。この商品は、1972年2月に起こったあさま山荘事件で、氷点下という厳しい寒さの中、機動隊員たちが食べていて脚光を浴びたものだった。
 通常の食料はすぐに凍ってしまうが、お湯さえあれば3分で暖かいものが食べられるということで、発売当初はあまり売れなかったが、この事件を機に爆発的に売れるようになったのだとか・・・。1984年に発売されたシーフードヌードルも悪くないが、断然、オリジナルのしょうゆ味が美味しいと思う。
 
 カップ麺の焼きそばはUFO(正しくはU.F.O.)に限る。こちらは1976年の発売だ。他にいろいろな焼きそばがあるのだが、断トツでUFOが美味しい。何が違うのだろうかと考えたとき、やはりソースの味ではないかと思っている。
 若い頃の真夏の海水浴。ビーチパラソルの下で湯を沸かし、冷えた缶ビールを片手に食べたUFOの美味しさは格別だった。なつかしい。
 そういえば友人のなかで、独身のときの朝食が毎朝UFOだったという奴がいたな。で、毎日買うのが面倒くさくて、段ボールごと買っていたのだとか・・・
 さすがにそこまではいかないが、毎日でも食べられるというのは、なんとなくわかるような気がする。ちなみにUFOは、うまい、太い、大きい、の略らしい。
 
 カップ麺のうどんは、どん兵衛のきつねうどんが美味しい。こちらもUFOと同じく1976年の発売である。ただし、うどんの汁というのは、味付けが東日本と西日本と違っていて、どん兵衛にも、濃口醤油と鰹だしの東日本版、薄口醤油と昆布だしの西日本版の2種類がある。ちなみに、パッケージの隅に表記されている(E)が東日本版、(W)が西日本版のことである。
 普段は西日本版を食べているのだが、十数年前に関東へ行ったとき、味の違いを知りたくて、東日本版を買って帰ったことがある。東日本版は、初めのひと口はコクがあって美味しいのだが、最後まで汁を飲むことができなかった。やはり、舌が西日本版に慣らされているのだろうか。ま、いい体験でした。
 
 カップ麺は新しい商品が次々と開発されていて、いろいろと試しに食べてみるのだが、結局はロングセラー商品に戻ってくる。未だにこれらに勝るものが出現しないのか、舌がロングセラー中毒なのか、うーん、よくわからないな。
 
 追記。ラーメン類ではカップ麺よりも袋麺の方が美味しいですね。特にサッポロ一番の醤油・みそ・塩ラーメン、エースコックのワンタンメン、日清の出前一丁が好きである。あれ?何のことはない。ロングセラー商品ばかりだな。
 

 
 
20170521  
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2017.05.21  マングローブ、涙の落葉!  
 
 犠牲という文字を見るたびに、マングローブが思い浮かぶ。数年前、テレビ番組を見ていて初めて知ったことだが、マングローブというのはひとつの木の名前ではなくて、熱帯や亜熱帯の汽水域、つまり海水と淡水が混じり合う場所に生育する樹木の総称だそうである。語源は、これらの樹木の総称を表すマレー語のmangi-mangi(マンギ・マンギ)という言葉と、小さな森を表す英語のgrove(グローブ)という言葉を合成させたものであるのだとか・・・
 
 もちろん個々の植物にはそれぞれに名前があって、地球の熱帯・亜熱帯で100種類くらいあるらしい。日本では少なくとも7種類の木が確認されていて、おもに沖縄県で見ることができる。先般、NHKのブラタモリという番組でも紹介されていましたが、鹿児島県の奄美大島にも立派なマングローブがありますね。自然に生育する場所の北限としては、いまのところ種子島であるが、地球の温暖化に伴い、将来はもっと北上するかもしれません。
 
 さて、ずっと不思議に思っていたことだが、マングローブは海水、すなわち塩水を吸い上げているのになぜ枯れてしまわないのか。そのメカニズムを、数年前のテレビ番組で知ることとなった。マングローブにはたくさんの葉があるが、そのなかに塩分を担当する葉があるのだ。つまり、たくさんある葉のうち、一部の葉が根元から吸い上げられた海水の塩分だけを貯め込むのである。
 
 そして、ほかの葉は青々としているのに、塩分を貯め込んだ葉は黄色に変色していき、塩分濃度がマックスになると、風もないのに自ら枝を離れて、海面へ落ちていくのである。木を守るため、また他の葉を守るためとはいえ、その葉が犠牲となって落ちていく様子の映像を観ていて、涙が出てきました。
 もっとも、落ちた葉は無駄になるのではなくて、貝や魚たちの餌になっているらしく、共生というか、食物連鎖の一役を担っているといえなくもないが・・・
 
 それにしても、たくさんある葉のなかで塩分担当の葉はどうやって決められるのだろうか。まさかじゃんけんというわけではあるまい。仮にじゃんけんをしても全員がパーである。グーやチョキを出している葉がいたら、それこそ怖い話である。
 ま、勇気のある葉が立候補しているということにしよう。
 
 地球上の生物では、実は植物がいちばん賢いのではないかと思うことがある。どうすれば生き残ることができるのかを、ちゃんと思考しているのである。それに我慢強い。雪に埋もれても、寒風にさらされても、春になると必ず芽を出すし、夏の猛暑のなかでも耐えながら、ひたすら雨が降るのを待っている。
 我が家に鉢植えのアロエがあるのだが、昨年の冬の夜、家の中に入れておくのを忘れて、凍死寸前になったことがあった。でも、最近になって、見事に生き返ったのである。いやあ、恐れ入りました。それと、ごめんなさい。
 
 
 
20170423  
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2017.04.23  自動車を運転していて思うこと!  
 
 春の交通安全運動はとっくに過ぎてしまったが、自動車を運転していて思ったことを呟いてみる。昭和40年代から自動車は増え続け、道路整備が進められたものの、自動車の増え方に追い付いていないのが現状で、年々運転がしにくくなったように思う。したがって、自動車を運転する人には、より一層の安全運転が求められているともいえるだろう。
 
 対面通行の道路で運転していると、後方から猛追してきた自動車が、車間距離を取らずにぴたりと後ろにつくことがある。前方に何かがあって、こちらがブレーキを踏んだときは極めて危険な状態になる。煽られているからといって、スピードを上げることは絶対にしない。あまりにもしつこいときは、セーフティーゾーンでいったん減速して先に行かせるようにしている。逃げるが勝ちだ。
 
 高速道路では、追い越す必要のないかぎり走行車線を走るようにしている。高速道路での事故は、約8割が追い越し車線で起きているのだそうだ。道路交通法の改正で、高速道路での車間距離不保持違反というのが創設されたが、これには賛同である。追い越し車線で前の自動車を煽っているシーンをよく見かけるが、おそらく、「どけよっ」という意思表示なのだろう。見ていて「アホか」である。こんな自動車には近づかないのが一番である。
 それと、大型トラックが真後ろにいるときも要注意だ。バックミラーを見ると、運転手がスマホをいじっている。追突されればおしまいだ。まずは逃げよう。
 
 夕方になり、日が暮れてすっかり暗くなっているのに、ライトを点灯させずに走っている自動車がいる。法令上は日没時に灯火義務が発生するが、法令上はともかく、景色が見えにくいなか、歩行者に自動車の存在を知らせるためにも必要なことである。自分さえ見えればいいという問題ではない。せめて車幅灯だけでもつけると、ずいぶん違うように思うのだが・・・、どうだろうか。
 
 ライトの点灯といえば、トンネルの中で、ライトをまったく点灯させずに走行する自動車がいる。真っ黒な物体が高速で動いているのだ。恐ろしいことこの上ない。自分さえよければいいというのだろうか。まわりはいい迷惑である。
 
 幹線道路ではなく、住宅街の狭い道路でスピードを出す自動車がいる。人が路地から飛び出してきたら一巻の終わりだ。スピードを出すのは簡単だが、止まるのが難しいのである。以前に、交通安全講習で、講師の方が「だろう運転でなく、かもしれない運転を心掛けてください」と言われたのを記憶しているが、まさにそのとおりだと思う。人が飛び出してはこないだろう、ではなく、人が飛び出してくるかもしれない。これが、安全運転の基本ともいえるだろう。
 
 とにかく自動車の運転は忙しい。常にきょろきょろ、きょろきょろ・・・なのだ。
 
 
 
20170313  
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2017.03.13  早く暖かくなってほしいな!  
 
 今年は3月5日の日曜日だった。啓蟄のことである。啓蟄とは、二十四節気のひとつで、冬ごもりしていた虫が外に出てくるころとされている。他の節気では立春というのもあって、こちらは春が始まる日とされているが、まだまだ真冬の最中なので、あくまでも「暦の上では」という感じだ。それに比べて啓蟄のころになると、季節の変わり目というか、春の訪れを感じるようになる。
 
 この日は晴れて、ポカポカ陽気のいい天気だったので、すぐに自転車を走らせようという気になった。で、定番コースの川沿いの道を行く。この道は右に大きな川、左に田んぼや畑、軽トラックがなんとか通れるくらいの細い道で、お気に入りのコースである。頬を撫でる優しい風を感じながら、大きく息を吸い込むと、田んぼを耕した後の土と肥やしの匂いが・・・
 
 「そうか、これが春の匂いなのかあ」といって、わけのわからない定義づけをしたあと、田んぼに目を向けると、トラクターの後ろをついていく2羽のカラスがいた。土と一緒に掘り返される虫を食べているのだ。労力を使わずに虫をゲットである。頭のいい奴らだ。まさに啓蟄ならではの光景で、見ていて面白い。
 
 冬の色褪せた風景とは違って、草木の新芽が吹き出て、まるで少しずつ色を取り戻そうとしているかのような風景を楽しみながら自転車を走らせ、某スーパーマーケットの庇の下にある白いベンチに到着。このコースでは必ず休憩するお気に入りの場所である。いつものように缶コーヒーを飲みながら一服。
 
 「サイクリングを始めてから、何度このベンチに座っただろうか」といって、別に取り立てるほどではないことを考えながら、ぼーっとしては駐車場を眺める。
 キャンピングカーが止まっていた。「こんなキャンピングカーに乗って、全国を旅行してみたいなあ」といって、とうてい実現しないことを想像しながら、ウエストバッグを装着し、グローブを手にはめて出発。「あ、缶を捨てなくちゃ」
 
 我が家に到着し、ボトルの中の余った水を庭の流し台に捨てようとしたとき、流し台を見てトカゲのとかちゃん(勝手に名前を付けている)のことを思い出した。いつもこの流し台のまわりでウロウロしているトカゲなのだが、おそらくまだ冬眠中だろう。トカゲにはカラフルなのもいるが、とかちゃんは茶色の小さなトカゲである。どんくさい奴で、流し台の中によく落ちる。「おい、また落ちちゃったのかよ」といっては、流し台の縁に濡れた雑巾をよく垂らしてやったものだ。自力で上がれという意味だが、ただ触りたくないだけである。
 
 冬ごもりしていた虫が外に出てくる啓蟄を迎えたということは、とかちゃんの姿をもうすぐ見ることができるかもしれない。とまあ、こんなふうに、冬の寒い日はもうごめんだ、早く暖かくなってほしいな、と思った一日なのでした。
 
 
 
20170220  
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2017.02.20  ん?心に響く曲の作り方?  
 
 真夜中にテレビのスイッチを入れると、谷村新司さんの顔が目に飛び込んできた。元アリスのメンバーで、日本音楽界の大御所である。今は東京音楽大学で、作曲についての客員教授もされているのだとか・・・。
 関ジャムという番組だった。で、テーマが「心に響く曲の作り方、3つの極意」だというので、思わず見入ってしまった。十数年前、素人ながらではあるが、作詞・作曲を手掛けた自分としては、気になるところである。
 以下、番組の内容を追ってみる。
 
 まず1つ目は、「文字は少なく」である。例として、山口百恵さんが歌っていた「いい日旅立ち」を挙げている。効果としては、音の響きが長くなり、言葉の余韻が伝わるということだそうだ。異論はない。たしかにそうかもしれない。
 
 次の2つ目は、「目線の使い分け」である。この目線というのは、主人公が私の物語、主人公が相手の物語、第三者から見た物語、空(俯瞰)から見た物語の4とおりとされている。第三者から見た物語にすると、ストーリーに奥行きが出るし、空(俯瞰)から見た物語は、世界観としてサビの部分に混ぜると効果的になるらしい。自分では意識したことはないが、なるほど、とは思った。
 ここで谷村新司さんは、「歌詞は何を書くのか」について触れておられた。詞には2つの形があって、自分独自の世界を書くのか、それとも誰もが共感できる世界を書くのか、ということらしい。私見としては自分独自の世界が出発点になると思っている。そもそも誰もが共感できる世界って、わかるものなのか?
 
 最後の3つ目は、「タイトルで掴め」である。内容を予感させるタイトルにするか、内容がまったく想像できないタイトルにするか。この2つを意識するとターゲットが明確になるという話だったが、いまひとつ理解ができなかった。
 番組では、写真を見て題名をつけるコーナーが設けられていて、一発目で浮かんだアイデアを大切にするのがいい、二発目は迷いが出やすいから、という解説があったが、同感である。これは何にでも当てはまるだろう。

 
 要するに、この番組でいう曲の作り方というのは、自分なりの解釈ではあるが、聴き手の人たちを意識したうえで、歌詞をどのような構成にするのかが主なテーマのようだった。つまり、料理でいうところの盛り付けの部分?
 自分としては、人に伝えたいあることに対してどのような言葉を選ぶのか、またどのような表現方法があるのかなどについて知りたかったのだが、まあ、これについては、あくまでも人それぞれの感性による自由な世界、ということになるのかもしれませんね。言い換えれば、説明のしようがないということだろう。
 
 思えば十数年前、「詞よ、空から降ってくれ~」と叫んでいた頃がなつかしい。この番組を参考にして、これからは詞先で作曲してみるか。(言うは易し)
 
 
 
20170122  
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2017.01.22  雪に思うこと、いろいろ!  
 
 地球の温暖化に危機感が持たれているなか、先日、久しぶりにたくさんの雪が降りました。その降り続く雪を眺めていて、10年くらい前、日本海側のある町で働いていた頃に見た、雪が演出する美しい光景を思い出しました。
 
 真冬のある日、青空が広がっているのだが、肌を突き刺すような寒い朝のことだった。昇ったばかりの太陽の光は、暖を取るには頼りないが、真冬にしては珍しく輝いていた。そして、防寒コートに身を包み、白い息を吐きながら道を歩いていたとき、西の空から真っ黒な雪雲が近づいてくるのが見えた。
 「あらら、もうすぐ吹雪くかもしれないな。ちょっと急ごう」
 といって足を速めてから、雪雲が真上に迫ろうとしたそのとき、きらきら、きらきらと、点滅する小さな光の大群が降ってきたのである。あまりにも美しいその光景を目の当たりにして、しばし呆然として立ちすくんだ。
 「うわあ、空からいっぱいお星様が降ってきたあ」
 とまあ、そんな感じなのである。でも、時間にして十数秒ほどのことだったろうか、あっという間に空は雪雲に覆われ、あたり一面は吹雪の世界に変わってしまった。輝いていた太陽も行方不明である。
 青い空とダークグレーの空のコントラストの下で、降りはじめた雪の結晶を太陽の光が横から照らす。そういった条件が揃ったからこその光景だろう。
 
 この町で経験した積雪は43センチが最高である。また我が家でも、たくさん降ったなあといってもせいぜい10センチくらいのことである。それに比べると、豪雪地帯の2メートルを超える積雪って、すごいなあと思う。しかし、人間は地球という星の大自然の中で生かさせてもらっているのだ。耐えるしか方法がないのかもしれない。極寒のなかで雪下ろしをする人たちの安全を祈ろう。
 
 農家の人から聞いた話では、雪も必要なのだという。山に積った雪がじわじわと解けて、枯葉や土に染み込んだあと、その水が養分をたっぷり含んで里に流れ出る年は、いい作物が育つのだそうである。雪が降るのは嫌だと言いながら、実はその恩恵を受けているという少し皮肉な話ではある。
 
 雪国の人たちは寒さに慣れているのかと思っていたら、そうでもないらしい。やはり寒いのは嫌なのだそうだ。で、いろいろと教えてもらった。雪の日にカシミヤのコートは絶対に着ちゃだめよとか、革靴はNGだとか。いずれも水をたくさん含んでしまいますからね。値段の多寡はともかく、撥水性が重要です。
 それと、この頃には、真横に降る雪をよく経験しました。深く傘をさしていても雪が顔にどんどん当たります。体はもう雪まみれ。風雪に耐えながら路傍に佇むお地蔵さまの気持ちが、何となくわかったような気がしましたねえ。
 
 追記。このたびは、久しぶりに雪かきというものをしました。あたた、腰が・・・
 
 
 
 
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