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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)


20151220  
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2015.12.20  歯は大事にしたいですね!  
 
 歯医者さんに通っている。4年くらい前、全面的に治療してもらったのだが、残っているところがあった。上の歯で、いちばん手前の奥歯(4番?)である。当時、虫歯になりつつあるが、まだ穴も開いていないので様子を見ようということだった。で、最近になって、急を要するわけではないが、少し欠けたようだし、痛みも感じるようになったので治療をお願いしたら・・・、「もっと早く来なさい」だった。なんたる不覚。様子を見すぎたということか。
 問題の歯は根までやられているので抜歯し、両側の歯のしっかりしている根を使って、まとめて差し歯にしようということになった。こちらはもう、まな板の鯉状態なのである。どうにでもしやがれ。いや、よろしくお願いします。
 
 歯は大事にしないといけない。わかっている。でも歯医者さんには行きたくない。が、こんなにもボロボロになると、歯医者さんに頼らざるを得ない。僕はあまり後悔する性質ではないが、こと歯に関してはすごく後悔している。若い頃からもっとケアをしておけばよかったと・・・。
 
 ケアといえば、前回の治療のときのことを思い出した。先生が僕の歯を見て、「うわあ、治療を始める前に、まずは歯石を取りましょう」といい、続いて衛生士さんが、「○○さん、今までに歯石を取られたことがありますか?」というので、「いや、少なくともここ20年の間は記憶にないです」と答えたら、あきれ顔をされてしまった。で、上の歯列の3分の1ずつ、下の歯列の3分の1ずつ、最後に全体というふうに、7回に分けて徹底的に歯石を取ってもらった。すると、最初に7だの8だのといっていた数字(すきまの深さ?)が、2とか3とかの数字に変わったのである。歯石を取ると、歯と歯茎がひっつくのだそうだ。そして、いよいよ治療の開始ということになった。まるで市民マラソンの、10分ほど走ったらまだそこがスタートラインだった、みたいな話である
 
 ところで、生まれてからこの方、歯医者さんに行ったことがないという人がたまにいる。何ともはや、羨ましい話である。若い頃に見たテレビ番組で、歯並びが良くて虫歯もなく、歯医者さんに行ったことがないという女性が言ったことがいつまでも記憶に残っている。その女性は風邪を引いたこともないそうだ。
 僕の後輩にもそんな奴がいたな。たしか、こんな会話だった。
 「あの、歯医者さんて、行ったら何をされるんですか?」
 「えっ?君は歯医者さんに行ったことがないの?」
 「はい、一度も行ったことがないんです」
 そこで、聞いてみた。
 「もしかして、君は風邪を引いたこともないんじゃないか?」
 「えっ?風邪ですか?そういえば、全然引かないですねえ」
 やはりそうだ。これはなにかあるぞ。やはり歯は大事にしないといけない。もしかしたら、歯はからだ全体の神経の中枢なのではないだろうか。
 よし、調べてみよう。(たぶん明日になれば忘れている)
 
 
 
20151114  
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2015.11.14  デリカシーのある人、ない人!  
 
 先日、ちょっとした嬉しい出来事があった。そのシーンを振り返ってみる。
 〜仕事帰りの電車の中で、文庫本を読むのに夢中になり過ぎて、乗り換え駅に着いたのに気づかなかった。「○○行き、発車します」のアナウンスでハッと気がつき、慌てて降りようとしたとき、僕は女子高校生が持っていたバッグを膝で思い切り蹴飛ばしてしまった。謝らなきゃという思いと早く降りなきゃという思いが入り混じるなか、とっさに「あ、ごめんなさい。大丈夫?」と振り返りながらその子に言ったら、乗客のみなさんが注目しているにもかかわらず、「はい、大丈夫です〜っ」と、明るく元気な声で返事をしてくれたのである。〜
 いやあ、嬉しかったですね。普通なら「何?このおっさん」という場面でしょうね。ささやかなコミュニケーションではあるが救われた気分でした。ありがとう。
 
 僕が常日頃から思っていることなのだが、この世の中には二種類の人間がいるようだ。それはデリカシーのある人とない人である。まず「デリカシーとは何か」について、俗にいう「心配りなどの繊細さ」と定義付けしておこう。
 前出の女子高校生は、何とか折り合いをつけたいと願う僕の心中を察して、僕が一方的な悪者にならないよう、元気よくご容赦くださったものと理解している。推測に過ぎないかもしれないが、彼女の表情からみて自然にそう思った。
 
 日常生活の中でも、人々の行動を観察していると面白い。狭い通路でお互いがぶつかりそうになったとき、すっと肩を自然に引く人とそのまま突進する人。混雑する電車で降りようとする人に対して、すっとよけてくれる人と仁王立ちのままの人、自転車通学で二列走行中の車道側の高校生で前方から自動車が来たとき、すっと一列になろうとする高校生とそのまま突進する高校生。スーパーの売り場でおしゃべりにふける奥様方で他の人が横を通り過ぎるとき、すっとカートを引いてくれる奥様と何食わぬ顔の奥様・・・、もうやめとこ。
 
 ところで世間では、自分が望まない他の人の発言に対して、空気が読めないからとか無神経だからといって、デリカシーのない人だと糾弾しているケースがよく見られる。それと親切な行動をデリカシーに結びつける人もいる。が、これらは僕が言おうとしていることとは少し違うようだ。そもそもデリカシーのある人が良い人で、ない人が悪い人だと思ったことはない。区分しているだけの話である。これは意外なことだが、本当にデリカシーのある人は、自分自身のことをデリカシーのある人だとは思っていない。あくまでも自然体なのだ。ない人はもともとデリカシーの概念がないから、これも罪があるとは言えない。「おまえは何を言っているんだ」と叱られそうだが、これが僕の率直な考えだ。
 
 何を言おうとしているのかわからなくなってきたが、要するに、デリカシーのない人に対しても、その存在を認めてしまおうということである。デリカシーがわからない人のことで自分だけが悩むのはばかばかしいではないか。
 この考え方、どうでしょう・・・か。(と言いながら悩んでいる?)
 
 
 
20151018  
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2015.10.18  デジタル一眼レフを買ったぞ!  
 
 コンパクトデジカメの調子が悪い。流し撮りをしていて、今だ!というときにシャッターが切れないのだ。それと、いざ撮ろうとすると「バッテリーを交換してください」の表示が何度も出る。つい先ほど交換したばかりなのに、である。
 
 このカメラも購入してから7年経っていて愛着はあるのだが、カメラの技術は常に進歩しているので、もしこうなったときは、修理ではなく買い換えようとは思っていた。そこで、ついに決心をして、デジタル一眼レフのカメラを購入したのである。機種はキャノンのEOS Kiss X7ダブルズームキット。軽量で初心者向けだというので迷わずこれを選んだ。また、携帯性のことを考えて、薄くて軽いレンズのEF-S24mm F2.8 STMを一緒に購入した。これがなかなかいい。
 
 さて問題は、サイクリングでどのように持ち運ぶかだ。カメラ本体(薄型レンズ装着)と望遠レンズ2本をどうするか。いいのがあった。モンベルのカメラウエストバッグだ。ウエストベルト、ショルダーストラップ、手持ちハンドルの3本が付いている。しかも、ウエストベルトにはコンプレッションベルトが付いていて、腰に引き寄せることができるので荷物が安定する。そこで、カメラ、財布、携帯電話、その他もろもろを詰め込んで腰に装着。さっそく自転車に乗ってみた。
 
 あかん、重すぎる。腰に負担がかかり過ぎるのだ。かといって、ショルダーバッグは背負いたくない。夏場は大量に汗をかくからである。重さを量ってみると2.6kgだった。ちなみに、今までにコンパクトデジカメを入れていたときのランバーパック(4)の重さは1.4kgだったから、2倍近い重さということになる。よって、サイクリングでは不採用。サイクリングで望遠レンズを持ち運ぶのはあきらめることにした。サーキットや小旅行など、撮影を目的としたときだけにしよう。
 
 となると、サイクリングでは薄型レンズだけにして持ち運ぶしかない。まあ、見た目に近い画角であるようだし、スナップ写真や風景を撮るだけならこれで十分だろう。でもカメラの大きさはコンパクトデジカメとは比べ物にならないくらい大きいので、今までの容量4Lのランバーパックではとうてい収納できない。
 こうなるとは予想していなかったのだが、実は半年ほど前に、小旅行用に新しいモンベルのランバーパック(M)を買っていたのだ。これは容量が7Lと大きいので、新しいカメラも余裕で収納が可能だ。総重量も1.6kgくらいで今までとも大差がない。しかも、カメラウエストバッグと同じで、ウエストベルトにはコンプレッションベルトが付いている。よし、このウエストバッグを使おう。カメラを痛めないようにと、念のために100円ショップでソフトキャリーケースを買った。
 
 というわけで方針は固まった。さっそく天気のいい休日に、このスタイルでサイクリングに出かけてみた。カメラは軽くて使いやすいし、ウエストバッグの装着感もいいし、もう言うことなし。よかったあ、デジタル一眼レフにして。。
 あ、コンパクトデジカメよ、使えるあいだは使うぜ。もう少しつきあってくれ・・・
 
 
 
20150920  
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2015.09.20  情熱の花、曼珠沙華!  
 
 暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、朝夕めっきり涼しくなってきました。そして、今年のシルバーウィークは土曜日を含めると5連休になります。ありがたい。夏バテで弱った体を癒し、食欲の秋に向けて、たっぷりと休養したいものだ。この5連休のパターンは2026年までないそうである。もちろん祝日法が改正されないことが前提の話ではありますが・・・
 
 秋の彼岸といえば彼岸花。毎年この季節になると、田んぼの畦道や墓地などに咲く真っ赤な花である。不思議なのは、この花が気温に関係なく日本国中で一斉に咲くことだ。日照時間が関係しているのではないか、といった説もあるようだが、これも定かではない。ま、謎めいたままの方が神秘的でいい。
 
 彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも呼ばれますが、暮らしの中では「あ、マンジュシャゲが咲いている」とは言わないですね。やはり「あ、ヒガンバナが咲いている」の方がしっくりします。曼珠沙華はマンジュシャゲのほか、マンジュシャカという呼び方もありますが、これらはいずれもサンスクリット語(梵語)のmanjusakaから音写されたものらしいですね。彼岸花のことをいうほか、「天上の花」という意味でもあって、こちらは白い花なのだそうです。
 
 ではなぜ田んぼの畦道や墓地などにたくさん咲くのか。調べてみると、彼岸花というのは有毒の植物なので、モグラやネズミが田んぼを荒らさないように、昔の人々が植えたものらしいですね。墓地も同じように、昔は土葬でしたから、動物に掘り荒らされないように植えたのではないかと言われています。
 そうか、有毒の植物だったのか。そういえば、子供の頃に「彼岸花を摘んではダメだよ」とよく言われたような気がします。(記憶があいまい)
 
 ところで、曼珠沙華といえば、山口百恵さんのアルバム「曼珠沙華(マンジューシャカ)」(1978年)を思い出します。このLPレコードはよく聴きました。どの曲も素晴らしく、何度聴いても飽きない。完成度が高く、山口百恵さんのアルバムの中でも最高傑作といえるのではないでしょうか。
 A面の最後に「曼珠沙華」の曲が収録されていて、阿木燿子さんが作詞、宇崎竜童さんが作曲なのですが、阿木燿子さんはマンジュシャカの呼び方を採用していますね。たしかに「マンジューシャゲ〜」と歌うと、響きとしてはいまひとつで、「マンジューシャカ〜」の方が力強く感じられるし、響きもいい。
 
 それにしても、阿木燿子さんの作った詞が素晴らしいですね。少しだけ引用させていただくが、〜恋する女はマンジューシャカ、罪作り、白い花さえ真紅(まっか)に染める〜の部分がすごく気に入っています。天上の白い花、地上に咲く毒を持った真紅の彼岸花、そして曼珠沙華の花言葉が「悲しき思い出」「独立」「情熱」「想うはあなた一人」、う〜ん、なるほど・・・なのだ。
 
 
 
20150814  
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2015.08.14  真夏のサイクリングは大変ですね!  
 
 熱帯夜が続き、夏日が続き、ときには猛暑日となり、とにかく暑い日が続きました。今年の夏はエルニーニョ現象が強くなるので、冷夏になると予想されていたのではなかったか。予想に反して猛暑となったのは、インド洋で発生したダイポールモード現象の影響ではないかと言われています。これは、スマトラ沖の海水温が低くなり、気流の変化によって、太平洋高気圧が西に引っ張られるのだとか・・・。また少なからず、南の洋上を西へ移動した台風が、太平洋高気圧に暖かい空気をふんだんに送り込んだことも関係しているのだろう。
 
 暑い日が続くと熱中症に気をつけなければいけません。代表的な対策法としては、喉が渇く前に水分をこまめに補給することだそうです。基本的には水かお茶でいいらしいが、スポーツなどで大量に汗をかいた後は、水ばかりを飲みすぎると塩分が欠乏するので、スポーツドリンクの方が適しているらしい。
 僕も普段から水分補給を心掛けていたつもりだったのですが、先日、朝に濃い茶色のオシッコが出ました。こんなことは初めてで、もうびっくりです。典型的な脱水症状ですね。暑いからといって、前日の夜にビールを飲み過ぎたのも原因のひとつだろう。水分をたっぷり取って、夕方には回復しました。
 
 さて、あまりにも暑い日が続いたので、休日のサイクリングも見合わせていましたが、お盆が近づくにつれ、朝の気温も落ち着いてきたので久しぶりに自転車を走らせました。風を切りながら走っていると、本当に気持ちのいいものです。が、信号待ちなどで停止するともう地獄です。とめどなく汗が出てびっしょり・・・。だいたい1時間ごとに休憩するのですが、できるだけ木陰を選ぶようにしています。経験上、建物の庇よりも木陰の方が涼しい気がしますね。で、体中の汗を拭きとったタオルもたちまちびっしょり。真夏はやはり大変です。
 
 ボトルは500mlの水が入っているのですが、3時間くらいの行程では当然足りません。途中で自販機に立ち寄り、今度はスポーツドリンクを補充します。
 あ、そういえば以前に面白いことがありました。ある田舎道をサイクリングしていて、食料品店の自販機に立ち寄ったとき、店の奥様(?)が自販機の前を掃除されていました。で、スポーツドリンクを買って、すぐに空になったペットボトルを容器回収箱に放り込んだら、奥様がにびっくりした顔で、
 「えっ、もう全部飲まれたんですか?」
 「まさか、こっちのボトルに移し替えたんですよ」
 「なあんだ、びっくりしましたよ」
 とまあ、どうでもいい会話ではありますが、印象に残る場面でしたね。サイクリングをしていると、このような見知らぬ人とのコミュニケーションも楽しいです。
 
 というわけで、真夏のサイクリングは水分の補給がとても重要です。それと、朝早く出発して、午前11時ごろまでには帰宅するように心掛けています。午後になると道路からの照り返しが強くなりますからね。みなさんもご用心を!
 
 
 
20150719  
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2015.07.19  ペットといえば、犬か猫?  
 
 このごろ、ショッピングモールやホームセンターへ行ったときに、ペットショップをよく覗くようになった。生まれたばかりの子犬たちを見たいからである。僕は生まれてこの方、犬や猫などのペットと接しながらの生活というものを一度もしたことがない。犬や猫に関心がないというわけではない。経験したことがないだけである。そんな僕に関心を高まらせてくれたのが、何を隠そう、通勤の途中で出会ったシー・ズー(仮称:ズーちゃん)なのだ。このズーちゃんのことを、トピックスのページで二度取り上げたことも、その証拠であると言えそうだ。
 
 ペットショップに行くと、いろいろな種類の子犬たちがたくさんいる。ブームかどうかはよくわからないが、どちらかというと家の中で飼う愛玩犬のほうが多いようである。で、子犬たちの表情やしぐさを見ていると、心がとても癒されるのだ。僕が関心を寄せているのは、もちろんシー・ズーである。まんまるい目と、ペチャっとつぶれたような鼻だが、愛嬌のある顔である。そのつぶらな瞳で見つめられると胸キュンとなってしまい、思わず頬がゆるんでしまう・・・
 
 以前に本屋さんで、ペット犬に関する本がたくさん並んでいたので、シー・ズーがどんな犬なのか少し調べてみたことがあった。端的にいうと、活発で動き回るのが好き、社交性も持っている、比較的しつけやすい、飼い主に愛情をそそぐ、とはいいながら頑固な一面も持っている、といったところだろうか。僕が思い描く理想のペット像と一致しているかもしれない。かといって、飼ってみようという意思はまったくない。ペットといえどもけっしておもちゃではなく、れっきとした生き物である。いまの生活の状態では散歩にも連れて行けないだろうし、だいいち責任が持てない。双方が不幸になるのが目に見えている。
 
 ペットといえば犬か猫。最も飼われているものとして、このふたつは揺るがないだろう。昔から、犬は人につき、猫は家につくとよく言われる。そこで、犬のほうが好き、いや猫のほうが好きといった、つまり犬派と猫派とに分かれる。実際に飼っている人の話を聞いてみると、犬と猫のそれぞれの習性をよく熟知されていて、どちらが自分の好みに合うか、ということがポイントのようですね。
 もっとも、僕の場合は犬か猫かではなくて、いまのところシー・ズーにしか関心がありませんから、この話はあまり意味がないかもしれない。あ、でもそういえば、シンガーソングライターのSIONさんのブログを読んでいると、猫もかわいいなあと思ったりもしますね。(上手に飼っていらっしゃるからかも・・・)
 
 実は、暇なときにパソコンでシー・ズーの動画を見ていたのですが、2010leicaさんが投稿されている動画のシー・ズー、チロさんのファンになってしまいました。二代目のチロさんは本当にかわいかったですねえ。いまは三代目の子犬のチロさんですが、これからも楽しい動画を拝見させていただこうと思っています。
 ある意味、ズーちゃんと同様に新しい出会いと言えるかも・・・
 
 
 
20150615  
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2015.06.15  空から運が落ちてきた?  
 
 ある日の夕方、仕事を終えて会社を出た途端、「どさっ」という音とともに左肩に異変を感じた。誰かが僕の肩を叩いたのか?と思って振り返ったが、誰もいない。そのとき、視野の左下の限りなく端に近い場所、左肩に白いものが見えた。ダークスーツを着ていたから見えたのかもしれない。うん?と思って袖を引っ張って凝視すると、「ぎょえ〜、やられた〜」と、思わず声を発してしまった。
 
 鳥のフンだったのである。すかさず空を見上げたが時すでに遅し。鳥の姿はどこにもない。まさか・・・と思って髪の毛をそっと触ると、左耳の上の部分も少しかすっていた。「あ〜ん、もう〜」と、気分は限りなく暗黒に近いブルーだ。
 上着を脱いでフンを観察した。「このフンの量だとカラスではないな。ハトかもしれない」と冷静に分析している自分がおかしかった。以前にカラスが脱糞している場面を偶然に見たことがあった。カラスのフンは量が半端じゃない。それを見ていて「おまえ、どんだけ食ったんだ?」と笑ったのが懐かしい。
 
 今回(以前にも経験がある)は電線のない場所なので、空を飛びながらフンを落としたとしか考えられない。それにしても、空はこんなに広いのに、なぜ僕に命中するのだろうか。いや、ピンポイント的に僕を狙ったということか。だとすれば、頭の真上ではなく、左肩にそれたことにとりあえず感謝しておこう。
 ハトにしろ、カラスにしろ、鳥は常に体を軽くしていたいので、いつでも、どこでもフンをするらしいのだが、なんともうらやましい話ではある。もう、やりたい放題ではないか。これが人間だと、下痢気味のときに、我慢して、我慢して、冷や汗をかきながらトイレに駆け込んでいくのに・・・(って、何の話だ?)
 
 さて、起こってしまったことをとやかく言ってもしようがない。まずは会社に戻ろう。タオルとティッシュを用意して洗面所に向かった。上着の左肩の裏側に乾いたタオルを当てておいて、水をたっぷりと含ませたティッシュで丁寧に拭き取った。意外とよく取れる。次は髪の毛。タオルを濡らして丁寧に拭き取った。こちらはフンの量が少なかったので幸いだった。と、そのとき同僚が・・・
 「あれ?もう帰ったんじゃなかったの?」と言うので、
 「いやあ、鳥にフンを落とされちゃってね」と返すと、
 「あらま、大変だね。でもウン(運)がついてよかったんじゃない?」ときた。
 たいていの人はこうやって慰めてくれる。反対の立場でも同じだろう。
 「ウン、そうかもね」と答えながら、心の中ではクソ〜!である。あ、ウンもクソも同じか。で、拭き取ってしまったら意味ないじゃないか、といって苦笑い・・・
 
 ネットでもたくさんの人が、頭に鳥のフンが落ちてきたという経験談を告白している。なかに面白いコメントがあった。白い色をしているのはウンチじゃなくてオシッコだよというものだ。が、誰も鳥にオシッコを落とされたという人はいない。情景としては、鳥にフンを落とされたで正解だと思っている。ま、いずれにせよ、恥ずかしい話でも何でもない。長い人生こんなこともある。わっはっは。
 
 
 
20150517  
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2015.05.17  写真、ささやかなこだわり!  
 
 家電量販店の中をうろついていて、カメラ売り場の前で足が止まった。「おっ、一眼レフか。う〜ん」である。「欲しいなあ」とは思うが、「でも難しそうだしなあ。大きくて重いし、持ち運ぶのにはちょっとなあ」とも思ってしまう。そして、「ところで、いったい何を撮るのだ?」となって、最後には「やめとこ」となる。
 
 写真を撮るのは好きだ。現にサイクリングや小旅行をしながら、コンパクトデジカメでスナップ写真を撮り、当サイトのPHOTOページにも掲載している。日常の光景を残すのであれば、持ち運びが便利なコンパクトデジカメで十分だと思うのだ。
 がしかし、そのうち一眼レフを・・・、ああ、優柔不断というのはこのことか。まあ、いまのところは一眼レフの知識もないし、いろんな人の意見を聞きながらの入念な準備期間ということにしておこう。
 
 さて、当サイトのPHOTOページに掲載している写真は、すべて横長の640×480ピクセルのJPG画像で統一させているのだが、これは僕のこだわりなのである。そもそも人間の視野というものは横長であるし、あくまでも人間の目で見た光景を残したいというのが僕のコンセプトだからこのようにしている。作品としての写真を撮るのであれば、被写体に合わせて縦長の、あるいは正方形の写真もありだとは思うが、それはそれでいいだろう。
 
 画像の縦横比(アスペクト比ともいう)については、特に考えたことはない。いま持っているデジカメのアスペクト比の4:3に合わせているだけである。一般的には一眼レフが3:2で、コンパクトカメラが4:3となっているらしく、最近のデジカメではいろいろなアスペクト比を設定することができるようだ。
 人間の視野のアスペクト比はどうなのか。同じ視野でも科学的には弁別視野、有効視野または安定注視野とかがあるらしい。ただ単に視野という場合は眼球運動だけで認識できる範囲の有効視野で説明されることが多いようであるが、これだとだいたい3:2くらいなのだそうである。となると、眼球を動かさずに、瞬時に見た場合は、これより横幅のややせまい4:3あたりが自然なのではないかとも思えてくる。自分にとって都合のいい論理展開かもしれないが・・・
 
 あと、こだわりというわけではないが、スナップ写真を撮っているので、画像の編集はできるだけしないようにしている。水平線が傾いているのを修正したり、写真の端に構図上じゃまなものがある場合にトリミングしたりはするが、最低限にとどめたいと思っている。また明るさやコントラストはほとんどいじらないし、色調もいっさい変えたことがない。あくまでも見たままの光景を残したい。
 
 とまあ、こんなふうに、ごたごたと・・・、写真へのささやかなこだわりなどと称してしゃべってはみたが、一眼レフで作品としての写真を撮りたいと思っているもう一人の自分がいる。こんな優柔不断な自分がとても好き・・・、なのだ。
 
 
 
20150419  
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2015.04.19  ホンよりフォン?フォンよりホン?  
 
 通勤電車のシートは7人掛けである。が、体格のいい男性が2〜3人いると、せいぜい6人しか座れない。先日、この7人掛けのシートで異様な光景に出くわした。「ほう、きちっと7人座っているな」と思ったら何と・・・、7人全員が左手にスマートフォンを持って、右手の人差指で操作していたのだ。パソコンのファイルに例えると、コピー、コピー(2)〜コピー(6)という感じなのである。偶然といえば偶然なのだろうが、いやはや、まさに芸術的ともいえる光景だった。
 
 この7人は、特定の世代というわけではない。老いも若きも男も女も・・・、なのである。でもまあ、よくよく考えてみると、驚くような話でもありませんね。ただ単に、そういう時代になったということだろう。一昔前であれば、新聞や週刊誌を読む人、文庫本の小説を読む人、ウォークマンで音楽を楽しむ若者、単語帳をめくる学生、また、おもむろにレース編みを始める女性など、電車内での人々の行動は多種多様という感じでした。その記憶があるせいか、この光景を目の当たりにして、一瞬たじろいだだけなのかもしれません。
 
 僕はスマートフォンを持たず、ガラケーの携帯電話を使っているが、スマートフォンの便利さはよく理解している。ただ、携帯電話は通話とメールができれば十分だと思っているし、ガラケーといえども、いざとなればフルブラウザでサイトの閲覧をすることもできる。だから、いまのところは自分にとって必要不可欠な物ではないと思っているだけだ。あくまでも、いまのところは・・・、である。
 
 通勤をしているときの貴重な時間は少しでも文庫本の小説を読んでいたい。ネットを楽しむのであれば帰宅後にパソコンに向かえばいい。友人とのコミュニケーションなら直接会って相手の表情を見ながらおしゃべりをしたい。とまあ、こんな感じなのである。したがって通勤時間帯の僕は文庫本の小説を読む派である。ある新聞のコラムでは、「ホンよりフォンが幅を利かすご時世」と面白い表現を使っていたが、なかなかどうして、あたりを見渡してみると、文庫本を読んでいる人もけっこういらっしゃいます。あくまでも人それぞれでしょうね。
 
 ところで、童門冬二さんの「小説、小栗上野介」を読んでいて、不易流行という言葉を初めて知りました。松尾芭蕉による俳諧の理念らしいが、小説の中で、小栗上野介の母がこの言葉について語っている部分が印象的でした。引用させていただくが、〜「芭蕉さまは、どんなに世の中が変わっても変えてはならないもの、また変わらないものを不易といい、しかし目まぐるしく変わる世の中とまったく無縁でいては、人間は生きてはいけないとおっしゃいました。芭蕉さまは、この言葉を俳句の作り方でおっしゃいましたが、何にでも当てはまると思いますよ」〜である。スマートフォンのことも当てはまるかもしれない。
 
 予感。何年か後の7人掛けのシートには、コピー(3)あたりに僕がいるかも・・・
 
 
 
20150315  
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2015.03.15  人間は本来、歩く動物なのだ!  
 
 啓蟄の候となり、ポカポカ陽気に誘われ、景色も春めいてきたなと思ったら、その2〜3日後には、氷点下の北風ピープーにさらされて震える今日この頃・・・。3月というのは、暖かくなったり寒くなったりと忙しい月である。
 そんな中、天気のいい休日に春の訪れを満喫しようと思い、いつもの川沿いのコースでサイクリングをしていて、あることに気が付いた。
 それは、ウォーキングをする人が年々増えていることである。年齢層では断然、60〜70代といった年配の方が多い。一人で黙々と歩く人もいれば、夫婦で楽しそうに語らいながら歩く人もいる。
 特に穏やかな日和になると、高齢のお爺さんやお婆さんたちも登場するのだ。もっともこちらは、ウォーキングというよりは、暖かな日差しを受けての散歩という感じではあるが・・・
 
 人間は本来、歩く動物なのである。がしかし、現代では自動車という便利な乗り物が発達し、その生活ぶりから、まるで人間が歩くことを忘れてしまったかのようにも見える。そう考えると、定年退職でリタイアした後、自分が人間であることを思い出し、人間らしさを取り戻すために歩くといったことも必要なのかもしれない。漠然とはしているが、そう思った。
 ただ、健康のために歩くという発想は、あまり好きじゃない。よく歩く人が健康なのである。この言葉の順序の違いは、意外と大事なのではないかと思っている。健康というものは、対価的に得られるものではないからだ。
 それに対し、運動不足だから歩こう、というのはオーケーではないだろうか。これは、本来の人間の姿に戻ろう、と言い換えることができる。
 
 幸い、僕は歩くことが好きである。スーパーなどに行っても、2〜3階程度の移動なら極力階段を使っている。エスカレーターと階段が並行している場所では、迷わず階段を選ぶ。太ももの筋肉に血の巡る感覚が心地よいのだ。
 
 ところが、である。近年、寒い季節になると、湿度の高い日に古傷が痛むようになった。僕の左足の甲の外側は靭帯がない。25歳くらいの頃、バスケットボールの練習中に捻挫をしたのが原因だ。当時、病院で診察を受けたところ、パンツのゴムが伸びきって弾力性を失ったのと同じ状態で、治療の施しようがないからもう来なくていいと言われた。左側への踏ん張りがやや効かなくなったが、運動に支障はなかった。で、忘れた頃に古傷との再会である。
 
 古傷が痛むメカニズムは、医学的にはある程度解明されているようである。これも漠然としているが、古傷の痛みだけでなく、体の変調はすべて血の巡りが悪くなっているのが原因であるような気がするのだ。素人が何を言うか、と叱られそうだが、僕はそう思っている。そこで、どうすればよいかを考えると、簡単な方法として人間の基本動作、歩くことがいちばんいいのではないだろうか。
 ということで、まずは歩きましょう。とにかく体を動かしましょう・・・
 
 
 
20150214  
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2015.02.14  この漫画、何度読んでも感動する?  
 
 二十歳の頃、時間というのはたっぷりあるものだと思っていた。が、年を重ねるにつれて、毎日の暮らしの中では、あれもしたい、これもしたいと言っているうちに、一日があっという間に過ぎていく。こんな人生を送っていて本当にいいのだろうかと不安になったりもする。人生とは何か、などと哲学的なことを言うつもりはない。先日、哲学の入門書みたいな本をかじってみたが、さっぱり分からなかった。凡人は凡人のままでいいだろう。
 
 年を取ると一年がすごく短く感じられるというが、これは本当のことだろう。例えば15歳のときと45歳のときを比べた場合、15歳のときは物心がついた5歳くらいから数えれば10年という時間の記憶があり、そのときの一年間というのは、10年のうちの1年なのである。これに対して、45歳のときは40年という時間の記憶があり、そのときの一年間は40年のうちの1年ということになる。つまり、同じ一年間でも15歳のときの一年は10分の1、45歳のときの一年は40分の1という長さで、単純に比較すると、45歳のときは15歳のときと比べて一年が4分の1の長さに感じられるということではないだろうか。
 
 話を戻そう。こんな人生を送っていて本当にいいのだろうか、と不安に思うとき、いつも思い出すのが「文学は、もうひとつの人生を私たちに与えてくれます。」という某教授の言葉である。文学だけではなく、映画にも当てはまるのではないかと思っていたが、よく考えてみると漫画にも当てはまる。
 例えば、「人間交差点(Human Scramble)」(原作:矢島正雄、作画:弘兼憲史)という漫画である。この漫画はさまざまな人間模様を描いた青年漫画で、テレビでもよくドラマ化されている。わずか20〜30ページの1話ごとに完結する短編集であるが、どの話にも感極まるものがあるのだ。
 
 この漫画は若い頃に、週刊誌で連載されていたときに読んでいてすごく印象に残っていた。で、もう一度読みたくなってきたので、古書店に行って文庫版19巻をこつこつと買い揃えた。全部で232話あるが、すべて1話ごとに完結しているので、どこから読んでも構わない。いまでもときどき取り出しては読んでいる。いつ読んでも、何度でも感動するのである。
 ネットではいろいろなレビューが書かれているが、はっきり言ってあてにならない。この漫画は、読む人の人生観や感受性によって感想が分かれると思うからである。それくらい奥の深い漫画であると僕は思っている。
 
 本を読んでいて、たった一行の文章に心が救われることがあるように、この漫画でもドキッとすることがある。例えば17巻の第2話「時間割り」にこんなセリフがある。引用させてもらうが、「世の中になまけ者なんか、一人もいない。人によって人生の時間割りが違うだけだ。幸福だけが続く人生もないし、絶望だけが続く人生もない。どんな人間でも人生の中身は同じだよ。」と・・・
 うん、この言葉に救われた人が、僕のほかにもたくさんいらっしゃるだろう。
 
 
 
20150112  
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2015.01.12  やるときはやるぞ、超・大掃除!  
 
 このたびの年末年始は、元日を挟んで土・日曜日がうまい具合に配置され、いつもの年より正月休みが長くなった。特に年末は慌ただしく大晦日を迎えることもなく、時間に少しゆとりができた。とはいえ、旅行をすることもなく、ぐうたらな年末年始を過ごすことは目に見えている。がしかし・・・、何かをしたい。
 そこで思いついたのが、「よし、年末の大掃除は徹底的にやろう」ということだった。伏線はあった。先般、健康診断で肺に何かが写っているということで精密検査を受けたところ、過敏性肺臓炎の疑いがあると診断されたのだ。ハウスダストが原因になることが多いらしい。このことを、ふと思い出したのである。
 
 誇りは失っちゃいけないが埃は除去しよう、といって始めた掃除の一部を再現してみる。家具に隠れているコンセントの場所は、埃が原因で火事になるのが怖いので毎年きれいにしている。問題はノーマークの場所である。腰痛を誘発しないように重い家具を慎重に持ち上げて動かし、その裏を覗いてみると、「うわあ〜っ」である。すごい埃の数だった。で、除去、除去・・・。
 うん?といって、天井と長押の間に掛けられた額縁に目が行く。そういえばこの額縁は、いつも掛けたまま表面を拭いていただけだった。そっと降ろして裏側を見てみると、「ぎょえ〜っ」である。なんと、額縁の厚みと同じくらいの埃が溜まっているではないか(ちょっと言い過ぎ)。で、これも除去、除去・・・。
 他にノーマークの場所がないか探していると、あった。台所の吊り戸棚の上である。隙間があまりないので、これまでは手の届く範囲しか拭いていなかった。脚立に乗って、懐中電灯で隙間を照らしてみると、「どひゃ〜っ」である。油を含んでいて埃がなかなか取れない。が、ひたすらに除去、除去・・・。
 そして、気がつけばここも、あそこも、どこも、かしこも・・・。額の汗をぬぐいながらそっと呟く。「こんなにたくさんの埃に囲まれて暮らしていたのか」
 
 とまあ、こんな具合に悪戦苦闘しながらの大掃除である。もちろん一日では時間が足りない。浴室と洗面所のカビ取りも徹底的にやった。特に洗面所の壁紙は少し凹凸があるのでカビが取れにくい。が、ささやかな発見があって、洗剤をかけて歯ブラシでこするとよく取れた。あと、便所掃除、これは苦にならない。小学生の頃、悪戯をした罰でよく便所掃除をさせられたのが役に立っている。「先生、ありがとうございました」といって、心の中で感謝、感謝・・・。
 
 まだある。整理整頓である。掃除をしているとき、書棚の上に無造作に積まれているCDの山を見て何とかしようと思った。大掃除を終えてからダイソーに行ってCD用の収納ケースを購入。216円のケースが9個で1,944円の出費だ。まあ、いいだろう。でもCDを収納した後の見栄えはあまりよくない。個人的には無造作に積まれた状態の方が美しいと思っている。(ちょっと変?)
 
 ということで、このたびの年末はよく働きましたねえ。自分で自分を褒めてやりたいくらいだ。そのせいか、正月の祝い酒がすっごく美味しかった・・・です。
 
 
 
 
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