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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)


20121210  
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2012.12.10  ある一本の木との出会い!(第2話)  
 
 今年の春、陽気に誘われて田舎道をサイクリングしていたとき、一本の木に目が留まった。まわりに人家はなく、田んぼとため池があるだけで、この木だけがポツンと佇んでいる。それはまるで、俗世から離れて静かに住む世捨て人のようだった。
 さては、隠棲への憧れがこの木の姿とダブったか・・・
 
 葉はまだなかったが、落ち葉の残骸を見て銀杏の木だとわかった。実が落ちた跡はないので、たぶん雄株なのだろう。「君は、男の子なんだな」
 二週間後に来てみたら、小さな葉が出ていた。紛れもなく銀杏の木だった。そして思わず、晩秋の季節の、黄色に染まった美しい姿を想像していた。
 「よし、この木がその姿になるまで見届けてやろう」と、そう思った。
 
 4月下旬、一週間しか経っていないのに、葉がだいぶ大きくなっていた。なんだか、すくすく育っているって感じで、微笑ましい。
 5月下旬、初夏を迎えて、ようやく葉が出揃ったようだ。木の形はすごく良くなったが、葉の色はまだ薄い。青春真っ只中って感じだな。
 7月下旬、真夏になると、葉の色がだいぶ濃くなってきた。梅雨の時期にはなかなか会いに来られなかったが、その間にうんと成長したということだろう。
 8月中旬、お盆を少し過ぎた頃、この日はなんと、木に近づくと枝が揺れだしたのである。そういえば、木は笑う、という話を聞いたことがある。「俺のことがわかるのか?」と思ったのだが、ただ単に風が吹いているだけだった。
 
 さわやかな秋晴れの日、あちこちの葉が黄色に変わり始めようとしていた。この日、遠く離れたところから写真を一枚撮ったのだが、ポツンと佇むその姿を見て、なんとなく孤高を感じた。間違いなく、そんな姿に惹かれている。
 二週間後の11月上旬、秋も深まり、かなり葉が黄色くなってきた。さあ、これからどんな色になっていくのだろう。
 いよいよだな。ワクワク、ドキドキ・・・
 
 さらに二週間後、ついにその日はやってきた。木の全体が美しい黄色になっているではないか。まだいくらかの黄緑色の葉があるが、それにしても美しい。しばらくの間、ぼーっと眺め続けたのだった。これこそが銀杏の木だと・・・
 その一週間後の日曜日は、さらに美しくなっていた。とても鮮やかな色だ。
 ところが、である。なんと半分ぐらいの葉が散ってしまっていたのだ。ということは、最高の姿を見てやれなかったってことか。たった一週間しか経っていないのに・・・、週末にしか会いに来られないサラリーマンの身分が恨めしい。
 
 ま、そんなことを恨んでみても仕方がない。別れを惜しむかのように、枝にある葉はもちろんのこと、落ち葉の姿もしっかりと目に焼き付けた。自然に散ったその姿も、それはそれでまた美しい。最後に、真下から木を見上げると、思わず抱きしめたくなった。
 あ、この木は男の子だったな。
 「美しい姿を見せてくれて、ありがとう。また会いに来るね・・・」
 
この木の物語を、大きい写真(14枚)で見る
 
 
 
20121117  
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2012.11.17  空を見るのが好き?  
 
 先日、「昨日の夕焼け、すごくきれいな色でしたねえ」と、ある人に話したら、「えっ?本当?何時ごろ?」と返された。その時間帯ならたしかに屋外にいたが、夕焼けは見ていないという。しかも追い打ちをかけるように、「街を歩いていて、空を見ることなんてないでしょ?」と・・・、思わず僕は「えっ???」
 いまさらというわけではないが、人はそれぞれ感覚が違うのだなと思った。
 
 空はいつも同じではない。時間帯や天候によって、色が変わったり模様が変わったりと、絶えず変化している。その構成要素としては、刻々と形を変えていく雲の存在が大きいといえる。だけれども、空の種類といえばどんな言葉がある?と、自問自答してみたら、青空と曇り空しか思い浮かばなかった。
 雲には種類がいくつもあるが、空は見たときの空がその人にとっての空であり、言葉にする必要はないということだろう。(何を言っているのか分からない)
 
 空といえばblue sky、青空を見ているときが、いちばん心が休まるような気がする。で、ところどころに白い雲が現れたり、消えたり。とくに夏の入道雲などは、しばらく眺めていると、その湧き立つスピードに驚かされたりしますね。
 cloudy sky、曇り空を眺めるのも悪くないと思っている。白い雲と灰色の雲で構成される模様が美しいときは、少なからず感動することがある。また、行ったこともないロンドンの曇り空は、こんな感じなのかなと想像してみたり・・・
 
 そういえば、何年か前に「バニラ・スカイ」(vanilla sky)というアメリカ映画がありましたね。これも空の種類のひとつなのかな?と思ってネットでいろいろ調べてみたけれど、夜から朝になるときの空だとか、幻想的な空だとか、人によって解釈もばらばらで、結局のところはよくわからなかった。
 僕が思うに、バニラ・スカイとは、この映画で主人公が甘い(バニラのような)夢の中から現実の世界に戻るとき、バルコニーから飛んだ空のことを表現しているに過ぎないのではないだろうか。けっして可視的なものではなく・・・
 あ、そうか、ということは夜と朝の境目といえるかもしれない。つまり、眠りから目覚めるとき、ってことなのかな?(再び、何を言っているのか分からない)
 
 なにしろ、空を見るのが好きである。夕暮れ時はなおさらだ。沈みゆく夕陽が雲を紫色やピンク色に焼いたとき、夕陽とともに大空が黄色や茜色に染まったとき、夕陽が沈んだあとにグラデーションのコントラストがだんだん強くなっていくとき、東の空に昇り始めた盆のような満月、あるいは西の空での宵の明星(金星)と三日月のコラボレーションを見つけたときなどは、いつも嬉しくなる。そして、人目をはばからず、ポカンと口を開けたまま眺めているのである。
 
 きれいな空だなと思って写真を撮ろうとするとき、「あ〜ん、もう、電線が邪魔!」ということがしばしば。でも仕方がない。日本の国では、道を歩いている限り、電柱や電線も空の構成要素のひとつになってしまっているのだ・・・
 
 
 
20121008  
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2012.10.08  とうとうやってしまった肉離れ!  
 
 スポーツの秋だあ!といって、はりきったのはいいが、とうとうやってしまった。太もも後面の肉離れである。ハムストリングスの大腿二頭筋という筋肉だ。幸い、なんとか自力歩行ができるので、軽傷で済んだようではあるが・・・
 
 とあるソフトボール大会での出来事だった。レフトを守っていたとき、左中間に打球が飛んできたので、猛ダッシュをして追った。ノーバウンドで捕れるか、ワンバウンドになるかのきわどい球になった。で、グラブを低く構え、右足を力強く踏み込んだときに、それは起こった。「あうっ・・・」
 
 伏線はあった。職場の先輩からソフトボール大会があるので参加してくれないかと誘われたのだが、野球やソフトボールをしなくなってから(引退ともいう)十年は経っているので、そのときは無理だといって断った。必ずからだのどこかが壊れると思ったからである。スポーツを経験した者の勘というやつか。
 ところが、少し考えてから、「プレーはできないが、お手伝いならしてもいいよ」ということになって、練習日に顔を出したとき、みんながプレーしているのを見ていて、からだじゅうの血が騒ぎ出したのである。「俺もやりたいなあ」
 
 気がつけば、Yシャツを脱いで、スラックスと革靴の姿で打撃練習をしている自分がいました。そして、次の練習日からは運動着に着替えて、スパイクも履いて参加したのだが、ベースランをしていて、右足太ももの後面に違和感を覚えたのである。その日はそれ以上無理をせず、早めに練習を切り上げた。一週間後の練習日には回復していたし、その後は何も起こらなかった。
 そんなこともあって、本番の大会の日には入念にストレッチをしたつもりだったのだが・・・、それは起こってしまった。「ああ、なんか悔しい」
 
 ハムストリングスの肉離れというのは、スポーツの世界では確率の高い肉離れらしいですね。原因は、柔軟性の不足、筋力の低下、太もも前面の筋肉とのバランスの悪さなどといわれているようです。たしかに太もも前面の筋肉は日常生活でもよく使われるが、後面の筋肉はあまり出番がない。ジャンプやダッシュをするときによく使う筋肉だ。
 僕の場合、この十年間は激しい運動をあまりやっていない。そういえば太もも後面の筋肉も少し細くなったような気がする。
 結論。からだの筋肉は衰えているのに、脳みそは十年前の指令を出していたということでしょうね。記憶が邪魔をするという典型的な例かもしれない。
 
 ところで、シューズのことだが、十年前に使っていたスパイク(ポイント式)がまだあったので、久しぶりにそれを履いた。すると、2回目の練習でアッパーと底がパカッと割れてしまったのだ。どうやらスパイクも肉離れを起こしたらしい。長いあいだ使わなかったので、柔軟性をなくして硬くなってしまったのだろう。
 「そうか、おまえも運動不足だったんだな。放ったらかしにして、ゴメンよ」
 
 
 
20120909  
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2012.09.09  自転車の乗り方はこれでいい?  
 
 自転車に乗っている時間というのは、本当に楽しいひとときである。移り変わる街並みや風景を眺めながら、いろんな思いにふけっている。だけれども、家に着いたときは、なぜかすべて忘れてしまっているのだ。マラソンでゴールしたときと同じような感覚だな。その一方で、自転車は意外と忙しい乗り物であるともいえる。安全確認できょろきょろ、シフトのアップダウンでがちゃがちゃ。
 週末にサイクリングを楽しむようになってから何年か経ったのだが、乗り方というかスタイルが定着したように思います。そこで、何度も乗っているうちに試行錯誤で体得した乗り方をしゃべってみる。(独り言、ともいう)
 
 まずスタート。ペダルはけっして踏んではいけない。ひたすら回すのである。ペダルの回転数(単位時間あたりの数)が上がったところで次々とシフトアップさせる。シフトアップのあとにスピードが落ちる、あるいはペダルを強く踏まないと速度を維持できないときは、直前の回転数が足りないということである。
 
 次にぺダリング。これは乗っているときの姿勢がとても重要だ。人が自転車に接している部分というのは、ハンドル、サドル、ペダルの三点であるが、それぞれに等分の力がかかるのが理想的だ。ペダルの位置は固定されているので、ハンドルとサドルの高さを調整することになる。(ちなみに僕の自転車は、ハンドルとサドルがほぼ同じ高さである)で、からだ全体の重心と、ペダルが下に降りたときの位置が垂直になったときが、最もペダルを回しやすくなると思うのだ。これは、重力にも手伝ってもらっているということになるのかな?
 
 日本の道路に完全な平地はない、と思っている。実際に自転車で走っていると、肉眼では平地に見えても微妙に登ったり下ったりで、必ず勾配がある。それと気象条件にも左右される。下り坂でも向かい風だと進まないときがあるし、上り坂でも追い風なら楽なときがある。そこで重要なのがギアの選択だ。いかにして力を入れずに効率よく走れるかを常に意識しているので、頻繁にギアのシフトアップ、シフトダウンを繰り返している。そう、ひたすらにペダルを回し続けるのだ。このほうが体力の消耗が少ないということがわかった。
 
 最後にブレーキング。走行中は右(前輪)7、左(後輪)3の割合でブレーキをかけている。停止する直前は右5、左5の割合ですね。これはオートバイに乗っていたときから実践していることなので、自然と身についている。自転車の場合はそれに加えて、登り坂ではからだをやや前のめりにしたり、下り坂ではお尻を後ろにずらしたりすることもあるが、ま、そのときの状況によりますね。
 
 いま思えば、同じ職場のアルバイトさんが乗っている自転車を見て、「俺もこんな自転車ほしい〜っ!」が始まりでした。それはまるで、他の子が持っているおもちゃを見て、親におねだりしている子供のようだった。
 そうか、自転車はおもちゃなのかも・・・、うん、大人のおもちゃ、ですね。
 
 
 
20120814  
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2012.08.14  アナログ音源をデジタル化!  
 
 ゲームソフトで制作したオリジナル曲が収録されているカセットテープを見つめながら、なんとかしてMP3ファイルを作りたい、と思ったのだが、環境を調べてみたところ、「う〜む、これは困った」ことになったのである。
 
 まずひとつは、再生させるカセットテープレコーダーに出力端子がないのである。長年愛用していたカセットデッキは2年前に壊れてしまって、今はもうない。まあ、これはヘッドホン端子を利用すれば、なんとかなるだろう。
 もうひとつは、ノートパソコンのマイク入力がモノラルなのである。音楽制作のボーカル録音はこれでよかったが、今回はステレオ入力がされないと意味がない。ということは、USB端子を使う方法しかないのかな?
 
 そこで、カセットテープレコーダーのヘッドホン端子から、ノートパソコンのUSB端子への接続方法を考えてみた。接続コードがぎっしり詰まった箱の中をひっくり返してみると、「お、いいのがあるではないか」と目が輝いた。サンワサプライ社のUSBオーディオ変換アダプタ、MM−ADUSBである。
 さっそくサウンド編集ソフトを使って録音を試みたのだが、モノラルサウンドにしかならない。変だなと思い、説明書で仕様を再確認したが、マイク入力のジャックはたしかにステレオミニジャックになっている。念のために、サンワサプライ社のホームページで製品情報を見てみた。すると・・・、書いてあった。
 「なぬ、ステレオ入力はできません、だと?」
 
 やられた〜、と思ったが、しかたがない。この方法はあきらめよう。それより、もっと簡単にできる方法はないものかと、ネットであれこれ調べてみた。
 「あったぞ・・・、もう、これしかないな」と確信。AHS社が発売している、テープ・レコードきれいにCD、というソフトである。しかもUSBカセットプレイヤーが同梱されているのだ。いや、むしろ目的はこのプレイヤーの方なのである。
 で、パソコンの専門店へ行って、難なくソフトを入手・・・、よっしゃあ。
 
 製品のパッケージに書いてあるとおり、USBカセットプレイヤーは繋ぐだけですぐ簡単に使えた。このソフトを使って、まずはWEVファイルとして取り込んだ。ちゃんとステレオサウンドになっている。うん、うん。
 ところが、である。ドラムのハイハットシンバルが左から聴こえるし、フロアタムの音が右から聴こえるのである。もしかして、LとRが逆になっていないか?・・・、まあいいや、これはサウンド編集ソフトでどうにでもなるしね。
 
 というわけで、取り込んだWEVファイルを編集し、Jet Audio PlayerでRA(rm)ファイルに、Sound it!でWMAファイルに、Digi On SoundでMP3ファイルにそれぞれコンバートさせて、完成。(RA・WMAはストリーム再生用で、ナローバンドの人にも聴けるように、ビットレートを落としています)
 やったあ、できたぞ〜。再び・・・、よっしゃあ。
 
 
 
20120709  
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2012.07.09  秘蔵のカセットテープ、発見!  
 
 ある探し物をしていたとき、書棚の引き出しの奥から古いカセットテープが2本出てきました。「おおっ、このテープは・・・」といって興奮。
 そのうちの1本は、何年か前に、プレイステーションのゲームソフトで制作したオリジナル曲をカセットデッキで録音したものなのである。
 
 ゲームソフトは「音楽ツクールかなでーる2」といって、1998年にアスキー社から発売されたものだ。ちょうどこの頃、家電量販店のゲームソフトのコーナーをうろうろしていて、たまたま見つけたゲームソフトである。で、帯に書かれていた「キミだけのメロディー、キミだけのハーモニー、きっとカタチにできるよ。」のキャッチフレーズが、僕の心にインプットされてしまったのだ。
 「ちょっと、やってみようかな?」といって、即購入。
 
 たかがゲームだと侮れません。調号、拍子、テンポを選んで、楽譜に音符を入力していくという作業になるのですが、音の長さ・強弱も表現できるし、トラック数がたくさんあって(16トラックだったかな?)ミキシングもできるし、けっこう本格的な音楽制作ができます。レベル的には、MIDI制作の簡易版をいったところでしょうか。
 ただ、ギターのチョーキングやハンマリングなどの細かい表現まではできませんし、1トラックあたりの入力数にも限度があるようです。
 
 いやあ、それにしても、はまりましたねえ。もう楽しくて、楽しくて・・・
 目標は10曲。自分だけの完全なオリジナル曲を作ろうと思いました。カセットテープのインデックスに日付がある。1999年8月11日。記憶にはないが、たぶん録音した日でしょう。実をいうと、1stアルバム「摩天楼の空に」(2001年)は、これらの曲がベースとなっています。いわゆる原曲ですね。
 近日中に、この10曲をUPさせてやろうと思っています。まずは、このアナログ音源をデジタル化させないといけません。(現在作業中です)
 
 さて、もう1本のカセットテープ。これは本当に貴重な1本です。なんと、この僕がギターを弾きながら歌うのを録音したテープなのである。もうずいぶん昔のことであるが、徐々に思い出してきました。井上陽水さんの曲を6曲歌った。インデックスを見ると、1981年に4曲、1987年に2曲録音したと書いている。
 ドキドキしながら、カセットテープレコーダーで再生してみた。だめだこりゃ、雑音だらけだし、音も無茶苦茶だな。(ちょっとショック)
 
 録音設備なんて当然ありませんでしたから、2台のカセットテープレコーダーを使って重ね録りをしました。1台は内蔵マイクが2つあったので、いちおうステレオ録音にはなっている。ところが、ギターを3テイク録って、バッキングコーラスも録って、さらに歌うとなると、もう左右バランスもへったくれもない。
 でも、なんとかしてこの6曲も・・・、と言いたいところだが、著作権法に抵触するのでUPはできないな。しかたがない、ひとりでこっそり聴くことにしようっと・・・
 
 
 
20120610  
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2012.06.10  おおっ、なんと100話目だぞ!  
 
 そもそも、ホームページを開設したからには、何らかの形で更新をさせていきたいなあと思ったのが、このトピックスのページを作った動機でした。
 ケイ・キンが感じたことや思ったことなどを、自由気ままに、一ケ月に一度くらいのペースで書いているのですが、なんと、これで100話目なのだあ。
 作文が嫌いだと言ったわりには、よく続いていますねえ。いやあホントに、自分自身にすごく感心しています。褒めてやりたいなあ。
 
 いままでに、どんなことを書いてきたんだろうと思って、ジャンル別に統計を取ってみました。音楽に関することが51話、サイトやパソコンに関することが12話、サイクリングに関することが11話、読書に関することが4話、映画やドラマに関することが3話、写真に関することが3話、その他いろいろな雑感を述べたものが16話、で、合計100話です。
 
 オリジナル音楽サイトとして立ち上げたホームページですから、初めの頃(2004〜2007年)は当然、音楽に関する話題が多かったですね。音楽に対する思いとか、曲作りの方法や苦労話とか・・・。ところが、2008年頃からは、音楽以外の話題の方が多くなってきました。理由は簡単で、音楽に関する話のネタが少なくなってきたからです。
 曲作りも制作中の曲があるのですが、途中で止まったままです。最近は、サイクリングをしたり、写真を撮ったり、映画やドラマを観たりすることを楽しんでいます。あ、もちろん音楽鑑賞はずっと続いています。好きですからね。
 
 年齢を重ねるにつれて、なんだかんだと用事が増え、自由になる時間が少しずつ減ってきたような気もしますが、仕方がないですよね。あれもしたい、これもしたいと言っても、身体はひとつしかありませんし・・・
 そういう意味でも、このトピックスの一ケ月に一度くらいのペースというのは、僕にとってはすごくいいペースなんです。無理なく、続けられそうです。
 
 作文が嫌いだと言ってはいますが、いやいや書いているわけではありません。自分の感じたことや思ったことなどを、人に伝えることができるということに喜びを感じているし、友人から「あの話はなかなか面白かったよ」なんて言われると、もうホントに嬉しくなってしまいます。
 
 ただ、おしゃべりをするのとは違って、文章にするとなると、いい言葉がなかなか見つからなかったり、思っていることをうまく表現できなかったりで、もどかしい・・・、といつも思ってしまうのです。でも、自分に才能がないことを恨んでも仕方がありませんね。まあ、サブタイトルが〜自由気ままに〜ですから、そんなことは気にせずに、これからもいろんな話題について喋ってやろうと思っています。
 
 よし、記念すべき100話目だから、今夜は祝い酒を飲もう・・・、ひとりで。
 
 
 
20120512  
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2012.05.12  もう毎日が楽しいお酒なのだ!  
 
 「肝臓が少し丈夫だからといって、調子に乗らないでください」
 先般、健康診断の問診で、看護師さんに叱られてしまいました。問診票に、毎日お酒を飲んでいると記入したからである。それと、「休肝日を設けていないのですか?」と問われたのに対して、「そんなこと、考えたこともありません」と答えたのが、まずかったのかもしれない・・・
 
 たしかに、お酒は毎日飲んでいる。仕事帰りに立ち飲み屋さんへ寄って、一杯ひっかけるのは、もはや日課となっている。お店ではお友達もたくさんできたし、世間話や身の上話などで、一緒に泣いたり笑ったり・・・、もう毎日が楽しいお酒なのだ。
 まずは、うがいと称して生ビールを一杯。仕事で溜まったストレスを洗い流す。一気に飲み干すことはしない。今日の一日を振り返り、一口ごとにわだかまりを徐々に消していくのである。で、精神はすっきりした状態になる。
 そして、熱燗を注文する。最初の一口、これがまた最高にうまい。「ああ、幸せ・・・」と言って、五臓六腑に染み渡る感触を楽しむのだ。至福のときである。
 熱燗2合を飲んで、ほろ酔い状態になると切り上げる。はしご酒はほとんどしなくなった。「さあ、帰ろう」である。
 
 休日もお酒は欠かせない。スーパーで買ったお惣菜を肴に、夕方のテレビニュースを見ながら、缶ビールをプシュッ、である。妙なこだわりというのもあって、昼間に飲むことは絶対にしない。ハイキング、旅行、正月などの例外はあるが、基本的には休日でもアフターファイブなのである。そして、夕食時に熱燗を一杯だけ飲んで、幸せな気分に浸る。休日はいつもこのパターンだ。
 とまあ、こんな具合だから、休肝日という概念は発生しないのだ。でも、専門家の意見にも耳を傾けようとは思っている。せめて新聞の休刊日なみにはしてもいいかな・・・と。(実現性に疑問がある?)
 
 振り返ってみると、年を取るとともにお酒の飲み方も変わってきましたね。若い頃は、飲みに行くと、とことんまで飲むことがよくありました。で、次の日はぐったり・・・、今日はやめておこう・・・と。そんなことを繰り返しているうちに、自分はお酒があまり強くないということがわかり、適量の飲酒を心掛けるようになりました。そのせいか、毎日飲んではいるけど、体調はすごくいいです。
 看護師さんは、血液検査の結果(肝機能の数値が標準)だけを見て「肝臓が少し丈夫だからといって・・・」と言ったけど、肝臓が丈夫なのではなく、肝臓に負担をかけない飲み方をするようになったからだと思うのである。それも長い年月をかけて、しかも自然に・・・
 
 お酒があまり強くないくせに、お酒が好きだなんて、ややこしい人間になってしまったような感もしますが、これからも上手に飲んでやろうと思っている。
 肝臓は丈夫じゃないけど、調子のいいときは飲ませてください。もちろん、飲み過ぎないように気をつけるし、がんばって休肝日も作ります!
 
 
 
20120417  
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2012.04.17  ギター・インストゥルメンタル!  
 
 たまに、インストゥルメンタル曲を聴きたいと思うときがある。どんな気分のときに、というのはない。突然思い出すのである。そこで、最近、僕が好んで何度も聴いているギター・インストゥルメンタル曲をいくつか並べてみたい。
 
 まずは、スティーヴ・ヴァイのアルバム「Alien Love Secrets」(1995)の、7曲目に収録されている「Tender Surrender」という曲だ。
 この曲はメロウな感じで始まったかと思うと、だんだんハードになっていき、そして最後に再びメロウな感じに戻るという、いわゆるメリハリのある曲といえる。フレーズもメロディアスでなかなかいい。
 とても気に入っている。
 
 スティーヴ・ヴァイといえば、1986年に公開されたアメリカ映画の「クロスロード」にギタリスト役で出演していて、実際に演奏も行っているが、最高のギターテクニックの持ち主だと思う。この映画は、ひとりの少年がギターを持って、ブルースマンの老人と放浪の旅を続けているうちに、ブルースの極意を得ていくというストーリーで、BGMのギター曲(大部分はライ・クーダーが弾いている?)がとてもすばらしい。ギターが好きな人には必見の映画だと思います。
 
 次は、スティービー・レイ・ボーンのアルバム「The Sky Is Crying」(1991)の8曲目に収録されている「Chitlins Con Carne」という曲だ。
 ブルース・ギタリストの彼は、1990年の夏にヘリコプターの墜落事故で亡くなっていて、このアルバムは、それまでの未収録の曲を集めたものらしい。で、この曲を初めて聴いたときは、すごくジャジ―な曲だし、トーンもいつもと違うし、彼らしからぬ作品だと思いました。ところが、である。聴けば聴くほどいい曲なのだ。
 いまでは何回聴いても飽きない。とても気に入っている。ちなみに、原曲はジャズ・ギタリストのケニー・バレルが作ったものである。
 それと、このアルバムでは、4曲目に収録されているジミ・ヘンドリックスのカバー曲、「Little Wing」も見逃せません。圧巻のプレイが聴けます。
 
 続いては、日本人プルース・ギタリスト、イチローのアルバム「Hands Of Time」(1993)の9曲目に収録されている「Stevie」という曲だ。
 この曲は、録音が1992年にL.Aで行われているということから、スティービー・レイ・ボーンへの追悼曲なのではないかと思ったのですが、違うのでしょうか。ブルース・ロックを弾きまくりの他の曲と比べて、この曲はすごくメロウな感じがするし、極上のインストゥルメンタルに仕上がっていると思います。
 何回聴いても飽きない曲で、とても気に入っている。
 使用ギターは、アルバムのジャケットに写っているGibsonのファイヤー・バードなのでしょうか。高い音がすごく響きますねえ。また、ピッキングのアタック音がなかなか心地よい。あ、これは本人の弾き方なのかもしれませんね。
 
 とりあえず3曲並べてみた。僕にとってのベスト3である。もちろん、いまのところは・・・、です。(敬称は略させていただきました)
 
 
 
20120312  
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2012.03.12  センターラインを消すと事故が減る?  
 
 毎朝、駅から歩いて出勤する途中に、こんな所に信号機が必要なのかなと思う場所がある。路線バスが横切る場所ではあるが、自動車の往来はほとんどなく、交差点と呼ぶほどの規模でもない。駅に近い場所なので、交通量としては歩行者や自転車のほうが断然多いのである。
 そこで、多くの歩行者や自転車は、めったに自動車も通らないのに赤信号で待たされることになり、我慢できずに信号無視をする人が続出する状態となる。
 
 もちろん、信号無視する人を弁護する話ではない。たまに青信号で進入してくる自動車と接触しそうになることもあり、危険は危険だからである。
 いっそのこと信号機を撤去し、すべての進入路を一旦停止にして、フリーの状態にしたほうがスムーズに流れるのではないか、と思った。そうすれば、だれもが細心の注意を払うようになり、譲り合いの精神も復活すると思うのだ。
 
 この発想のヒントとして、東京の大田区に七辻という交差点があります。この交差点は七差路であるにもかかわらず信号機はありません。ここを通る人は、自動車も歩行者も、みんなが譲り合うので事故も起きないらしいですね。
 何年か前のテレビ番組で、その様子を見たことがありますが、「うん、なるほど・・・」と思いました。危険な場所だからこそ、敢えて信号機は設置しないという、この発想に感心したものでした。もっとも、この交差点で信号機を設置するとなると、ものすごく複雑になってしまうという事情もあったようですが・・・
 
 また、ある田舎町でのことですが、この町のメインストリートで交通事故が多発するのに頭を悩ませていた自治体が、思い切ってセンターラインを消したところ、事故が激減したって話もありました。テレビのニュース番組でも取り上げられていましたから、ご存知の方も多いでしょう。この発想は全国にどんどん波及していって、積極的に取り組む自治体が増えたそうです。
 
 これは、どういうことだろうか。信号機にしろ、センターラインにしろ、本来は交通を整理するためのものであったはず。ところが、センターラインで車線を確保され、青信号で進めを指示されることによって、権利意識ばかりが先行し、安全確認の義務がおろそかになっている、ということなのかもしれない。
 センターラインをなくし、信号機も設置しないとなると、ドライバーが自分で責任を持って進めということになり、必然的に減速して、他の自動車や歩行者などを意識するようになるから、事故も減っていくということなのでしょうか。
 危険だからといって、ルールばかりを増やすのではなく、人間心理を考慮して、余分なものをなくそうというこの発想は、とてもグッドだと思いました。
 
 僕は過去に、小銭入れを2回紛失したことがあった。で、なぜ紛失するのだろうかと考え、「そうか、持っているからなくすのだ」といって、小銭入れを持たなくなった。
 すると、ポケットの中がジャラジャラとうるさいだけになってしまった。余分なものをなくしたつもりなのだが・・・(あ、ちょっと意味が違うか)
 
 
 
20120218  
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2012.02.18  世界の三大スポーツといえば?  
 
 世界の三大スポーツイベントといえば、オリンピック、サッカーワールドカップ、F1グランプリとよく言われるのだが、日本では、オリンピックとワールドカップが熱狂的に騒がれるのに対し、F1はいまいち注目度が低いように思われる。
 オリンピックとワールドカップが4年に一度開催されるのに対して、F1が毎年20戦近く行われるにもかかわらず、である。
 
 あくまでも、ヨーロッパを中心とした定義なのかもしれませんね。モータースポーツは、ヨーロッパでは古くから文化として根付いていますが、日本でのそれはありません。日本には世界に誇る自動車メーカーが多数あるのに、ちょっと寂しいですねえ。
 たしかに国内でも自動車レースは昔からありましたが、各メーカーの広告宣伝の場に過ぎないという感は否めず、テレビ放送もあまりなかったので、多くの人々に浸透することもなかったように思います。
 
 それでもチャンスはあった。1987年に、日本人ドライバーの中嶋悟さんがロータス・ホンダチームからF1にフル参戦することになり、全戦がテレビ放映されることになったときである。しかしテレビ局は、視聴率を心配してか、放送時間を深夜に追いやってしまった。残念だった。特にヨーロッパラウンドの決勝レースは、時差の関係で日本時間の午後9時スタートが多いのに、である。
 世界の舞台でがんばっている日本人の活躍を、プロ野球のナイトゲームのように生中継してほしかったと、僕だけではなく多くの人が思っただろう。
 (サラリーマンにとって日曜日の深夜番組はきつい、という本音もある)
 
 日本ではF1の人気がない、というのは信じられない。日本グランプリでは、全国から毎年10万人以上の人がサーキットに集まってくるのである。
 でもまあ、ホンダとトヨタが、またタイヤメーカーのブリヂストンが参戦し、中嶋悟さんに続いて多くの日本人ドライバーが起用されていた頃が、日本にとってのF1の最盛期だったかもしれないですね。(今後はまだわからないが・・・)
 そして不景気になった途端、各社ともに撤退してしまい、テレビ局もいよいよ地上波では放送しないと発表したことで、日本では文化としてではなく、あくまでも商業的なものとしてしか捉えられていないのだなと思いました。
 
 そんな中で現在では、日本人ドライバーとして、ザウバーチームの小林可夢偉さんだけが唯一がんばっている。(厳密に言えば日本人エンジニアが何人かいるが・・・)
 そこで、F1だけに限らず、彼のように世界の舞台で活躍している日本人の姿を、テレビ局などのメディアはもっともっと取り上げてほしい。人物を中心としたドキュメンタリーなどが制作されればなおさら嬉しい。その人の生き様を観ていて、何か得るものもあるからだ。
 例えば・・・、昨シーズンの小林可夢偉さんは、チームの状況は悪くないのに7戦連続ノーポイントのときがあった。そのときに語った彼の言葉がすごく印象的でした。
 「流れが悪いのは、待つしかないと思うし、もがいてもしようがないと思う」
 うーん、なるほど・・・、と唸りましたねえ。
 
 
 
20120121  
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2012.01.21  悩み相談、面白い回答だなあ!  
 
 人生に悩みはつきもの、とはよく言うけれど、悩みって何だろうね。辞書を引いてみると、「思いわずらうこと」と書いてある。では、思いわずらうとは?・・・、「考えて‐悩む(苦しむ)」と書いてある。あれ?では、苦しむとは?・・・、「苦しいと思う.悩む」と書いてある。あれれ?結局は堂々巡りなのか?
 どうやら、一言では言い表せないということなのかもしれませんね。
 
 先日、あるテレビ番組の悩み相談のコーナーで、落語家の月亭八方さんが面白い回答をしていました。新成人の女性の悩みごとで、お弁当や惣菜を売る仕事をしているのだが、いつも笑顔を絶やさないようにしているのに、なかなか売れなくて困っているのだとか・・・(いい商品であることが大前提だが)
 それに対する八方さんの答えは、笑顔で売ってだめなら仏頂面で売ってみなさい、というものだった。敢えて真逆のことをやってみなさいと・・・
 
 すると他の出演者たちは、仏頂面ではよけいに売れなくなると思います、と口を揃えて言いました。問題は笑顔がいいか仏頂面がいいかではない。では笑顔でさえいれば必ず売れるのか?そうではないから女性は悩んでいる。
 以前に、これを持てば必ず金運が開けます、という財布の宣伝がありました。じゃあ、すべての人がこの財布を持ったら、すべての人に金運が開けるのか?これって矛盾してないか?・・・あ、話がそれた。戻そう。
 
 八方さんは、比較論ではなく打開策のことを言っているのだと思います。つまり、押してもだめなら引いてみな、なのである。もちろん、真逆のことをやって必ず解決するという話ではない。そうしているうちに、笑顔とか仏頂面とかはあまり関係がなく、原因は他にあることに気がつく、ということではないだろうか。
 
 引っ込み思案な僕の場合、笑顔で「お弁当はいかがですかあ」と連発されればされるほど、売り場に近づきにくくなってしまう。買うか買わないかはもちろんわからないし、まずはどんな商品があるのか、ゆっくりと選びたいのである。つまり、しばらくは放っておいてほしいのだ。
 例えば、百貨店で衣料品を選んでいて、店員さんから「どういったものをお求めでしょうか?」なんてやられると、もう逃げ出したくなってしまう。
 
 あくまでも一人の客としてだが、僕の考えはこうである。まず、何を売っているのかをはっきりとわかるようにする。次に、お客さんに気兼ねなく商品を選んでもらえるような雰囲気を作る。このときは、仏頂面とまでは行かなくても知らん顔でいいし、けっしてお客さんをジロジロ見ない。そして、声をかけられたときに、誠意をもって笑顔で応対する。うん、僕はこれが一番いいと思うなあ。
 
 ま、何はともあれ、この新成人の女性には、今後がんばってほしいなと思いました。真剣に仕事に取り組んでいるようだし、いい笑顔の方でしたから・・・
 
 
 
 
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