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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)
20111222  
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2011.12.22  男性ボーカリストといえば誰?  
 
 洋楽・邦楽を問わず、僕はロッド・スチュワートが最高のボーカリストだと思っている。と、以前に書いたことがあった。もちろん今でもそう思っている。
 「思っている」という濁したような表現は、あくまでも僕が今までに聴いた音楽の中では、という意味で使っている。そもそも、いろんなカテゴリがある音楽界で、一概に比べること自体、ナンセンスなのかもしれない・・・
 
 彼のことを初めて知ったのは、1970年代に活躍したイギリスのロックバンド、フェイセズ(Faces)の解散コンサートの映像を観たときでした。日本人ベーシストの山内テツさんが、このバンドに加入したことでも話題になりましたね。
 ロッド・スチュワートさんは、声質でいうと典型的なハスキーボイスである。ところが、そのしわがれ声でパワフルに歌っていたかと思うと、抜いたような音を出す部分では、なめらかな甘い声になっている。しかも、ぶれない。何だか、自由自在に声を操っているという感じなのである。(あ、僕の感想です)
 
 バンドが解散されて、ソロで活動するようになってから、「セイリング」という曲がすごくヒットしましたね。意外と単純なコード進行なのですが、メロディが美しく、名曲だと思います。昔、JTが深夜のテレビCMでインストゥルメンタル曲を流していました。たばこ広告なので、もう聴くことはできないだろう・・・、残念。
 彼が歌う曲の中で、僕が最も気に入っているのは、「A Spanner in the Works」(1995)のアルバムに収録されている「Windy Town」という曲です。パワフルな声、甘い声、彼の持ついろんな歌声が随所に出てきます。バランスがとれている。何度聴いても飽きない曲です。(またまた、僕の感想です)
 
 そこで敢えて、日本の男性ボーカリストでは誰がいるかを考えてみた。
 真っ先に浮かんだのは「氷室京介」さんだ。音の伸ばし方、抜き方、強弱のつけ方、ビブラートのタイミング、いずれも抜群である。そして、けっしてぶれない。ビート系もバラッドもグッドで、完璧ではないか、と思いましたねえ。
 同じビート系のロックでは、ZIGGYのボーカルだった「森重樹一」さんもいいですね。パワフルで声もよく通っている。うまいではないか、と思いました。
 
 ハイトーンのボーカリストでは「もんたよしのり」さんがいいですね。昔、ダンシング・オールナイトという曲がヒットしましたが、彼にはブルース曲のほうがよく似合う。特に「HALLELUJAH」(1991)のアルバムがいいと思います。
 ブルースといえば、憂歌団のボーカルだった「木村充揮」さんも外せません。独特のダミ声ですが、曲のテーマによって歌い方をうまく使い分けています。
 ブルースギタリストでありながら、歌もうまいなあと感心するのが「近藤房之助」さんだ。日本のブルース界の第一人者と言っても過言ではないだろう・・・
 
 僕にとってインパクトの強かったボーカリストを5人挙げてみた。もちろん他にも歌のうまい人はたくさんいるだろう。もっといろいろ聴いてみたい・・・です。
 
 
 
20111120  
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2011.11.20  交通マナーについて考えてみた!  
 
 自転車はたしかに地球にやさしい乗り物ではあるが、その自転車に乗る人のマナーについて問われています。信号無視をする、車道を逆走する、歩道を猛スピードで走る、携帯電話を操作しながら走る、などなど・・・
 そういえば残念ながら、そんな方がたくさんいらっしゃいますねえ。
 
 信号無視は言語道断で、れっきとした道路交通法違反です。僕は、自分の目の前の信号が青でも、キョロキョロしながら渡っています。故意か故意でないかは別として、赤信号を無視して突っ込んでくる輩がいるからだ。
 もっとも、これは自転車に限ったことではなく、原付や自動車にも言えることですが・・・
 
 自転車で車道の左側を走っているとき、逆走してくる人によく出くわします。特に路肩が狭い道のときは、とても危険だ。こんなときは、周りの安全を確かめながら、こちらが避けたり停まったりして、やり過ごすようにしています。どちらが正しいか正しくないかなんて言っている場合ではありません。相手はそんなことを全然考えていませんから・・・、まずは危険回避です。
 
 歩道を猛スピードで走る人がいます。これは怖いですねえ。「自転車及び歩行者専用」の標識は、自転車は原則として車道通行であるが、この標識がある場合は歩道を走ってもよいというもので、あくまでも歩道は歩道、歩行者の安全が最優先のはずですよね。でもまあ、猛スピードで走ってくる自転車に対しては、こちらは下手に動かない方がいいかもしれません。
 
 携帯電話を操作しながら自転車に乗っている人に対しては、その逆ですね。いつでも逃げられるように構えていなければなりません。そのためには、相手が自分の存在を認識しているかどうかをよく観察する必要があると思います。
 道路交通法が改正されて、この行為は禁止になりましたが、なかなか守らない人もいます。「もう、勝手にしろ!」って感じですね。
 
 ところで、道路事情が悪いからだという意見があるようですが、僕はそんな問題じゃないと思っています。たしかに、今までは自動車と歩行者のためだけの道づくりしかされていなかったかもしれません。でも、仮に自転車レーンを新設するなどの改善がされても、それは単にルールの一部が変わるだけの話であって、マナー向上の問題とは少し論点がずれているような気がするのです。
 日本の道路は狭く、限られたスペースで、自動車、自転車、歩行者などがひしめき合っています。それぞれが、それぞれの立場で気を配り、心を配り、相手の身になって行動することこそが、いちばん肝心なのではないでしょうか。
 
 要するに、やっちゃいかんことは、やっちゃいかんのです。
 (なんか、投げやりな結論になってしまいました。とほほ・・・)
 
 
 
20111023  
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2011.10.23  お元気そうで、何よりです!  
 
 さわやかな秋晴れの日、久しぶりに、あの一本の木に会いに行きました。一昨年の春に初めて出会った、川沿いの道にポツンとたたずむ柿の木です。そう、あまりにも美しいその姿に魅せられ、まるで恋の虜になってしまったかのように、ときどき会いに行った木です。いわゆる一目惚れというものでしょうか。
 そして、新緑の春、繁茂の夏、結実の秋、耐寒の冬と、移り変わる季節のそれぞれの姿に感動したのを思い出しました。なつかしい・・・
 
初めて出会ってからの一年間を、大きい写真(9枚)で見る 
 
 去年の春、無残にも一部の枝が切り取られ、美しさは半減してしまったが、たとえ姿が変わっていようとも、心を奪われた相手なのである。いまはどんな様子なのだろうかと、すごく気になった。そんな思いを胸に自転車のペダルを回していると、だんだんその木が近づいてきた。ドキドキしている・・・
 「おおっ、元気そうで、何よりだねえ」
 秋も深まろうとするこの季節に、たくさんの実をつけているその木を見て、思わず声に出してしまいました。
 (ご心配なく、まわりに人は誰もいません)
 
 よく見ると、切り取られた枝の傷口も癒えているようでした。まるで何事もなかったかのように、いつもの場所で、いつものようにこの木はたたずんでいる。再び、感動と感謝である。この木も一所懸命に生きている。僕も生かされていることに感謝しなくちゃ・・・と、そう思った。
 「じゃ、また会おうな」
 
この日の様子を、大きい写真(3枚)で見る 
 
 人は誰でも、感動した場面をいつまでも忘れないものだ。なぜなら、感動というものは理屈もへったくれもなく、無垢な状態の感性によるものであり、心の奥深くに刻まれていくからである。そして人は、理性だらけの俗世間で疲れ果てたとき、この感性の時間を取り戻そうとするのだろう。僕はそう考えている。
 
 先般、高校の同窓会があって参加したのですが、似ている・・・と思った。
 中学生や高校生の時代は、理性を身につけることを必要としながらも、常に感情と闘わなければならなかった。何もかもが試行錯誤、何もかもが思考実験。何気ない一言が人を傷つけることもある、ということも初めて知った。
 友人たちと共に笑い、共に泣き、共に悩みながら人格を形成させていく多感な季節であり、自分の本来の姿、つまり原点というものがこの時代にある。
 
 大人になるにつれて、損得勘定を覚え、ずるさを覚え、他人と比較ばかりしている醜い自分に気がついたとき、純粋で無垢だったあの頃に戻りたいと思うのは、人として自然の姿ではないだろうか。(自分自身のことを言っている)
 同窓会に参加して、よかったなと思いました。もちろん近況を報告しあいますが、話題としては当時の思い出話の方が多かったですね。
 久しぶりに同級生のみなさんと再会して、青春時代に戻ることができたような気がします。ありがとう。それと、「お元気そうで、何よりです」
 
 
 
20110917  
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2011.09.17  今夜も、ヤモ君が来たあ!  
 
 夜になると、我が家の台所の窓に、ときどきヤモ君が来る。「うん?ヤモ君?ヤモ君て、いったい誰なの?」と言われそうだが、何を隠そう、ただのヤモリなのである。
 ヤモリにはたくさんの種類があるらしいが、たぶん、ニホンヤモリだと思う。
 若いのか年寄りなのか、またオスなのかメスなのかもわからないが、勝手に名前を付けてみた。で、ヤモリっていったいどんな字を書くのだろうと思って調べてみたら、「守宮」だそうである。なんか、お公家様みたいな字だなあ・・・
 
 あ、虫を見つけたらしい。じっとしている。あきらかに狙っている。抜き足、差し足、忍び足・・・、で、タタタっ、パクっ。
 さすがである。フォークとナイフなんて使いません。いきなりペロリですもんねえ。この様子をじっと観察している僕もどうかしている。はっきり言って、暇つぶしだろう・・・
 
 ヤモ君に食べられた虫の命もはかないが、これも自然の摂理である。憎めない。
 いや、むしろ、自然界においては当たり前のことだと思えば、微笑ましいことのようにも思えてくる。ヤモ君も生きているのだ。
 あれ?またじっとしているぞ。別の虫を見つけたようだ。食事としてはまだまだ足りないらしい。ということは、いま食べた虫は前菜に過ぎないのか?
 
 さて、「どんな字?」の続きですが、僕はヤモリの字をずっと「家守」だと思っていました。なぜ「守宮」と書くのだろうを思って、さらに語源を調べてみた。
 すると、何と時代は古代中国にまでさかのぼり、漢の武帝たちが官女の貞操を守らせるために、ヤモリの粉を使ったことに由来するらしい。当時は、水銀を食べさせて赤くなったヤモリの粉を女性の体に塗ると一生その色が取れなくなるが、男性と交わるとこの色が消えてしまうと信じられていたのだとか・・・
 
 う〜ん、凄い話なのですが、何かピンときませんねえ。
 僕としては、害虫をパクパク食べて、家を守ってくれているのだというイメージからして「家守」の方がいいと思いますけどねえ。水の中のイモリは「井守」だし・・・
 もっとも、ヤモリはトカゲと同じ爬虫類で、イモリはカエルと同じ両生類。それぞれ違うものだってことはわかりますが、ま、それは専門家に任せよう。個人的には、ヤモリとイモリはよく似ているねえ、というレベルでいいと思っています。
 
 あ、それとオスとメスの違いですが、しっぽの付け根が膨らんでいるのがオスらしいですね。ヤモ君をよく見ると、たしかに膨らんでいる。ああ、やっぱり名前は「ヤモ君」でよかったのかあ・・・(こんな単純なことで喜んでいる)
 世間ではヤモリを飼いたいと思っている人がいるそうですが、できることなら、そっとしてあげてほしいですねえ。食べるのが目的なら話は別ですけど・・・
 (いらぬ干渉だったら、ゴメンナサイ)
 ヤモ君には今までどおり、自然界の中でのびのびと育ってほしいな〜♪
 
 
 
20110820  
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2011.08.20  夏といえば海水浴なのだが!  
 
 19才の夏、友人と二人で浜を渡り歩いたことがあった。オンボロ車に乗って、テントを持って、キャンプをしながらいろんな海水浴場を巡るのである。コンセプトは、若いときにしかできないことをやろう、計画は立てない、お金が無くなったら帰ればいい、というもので、いわゆる行き当たりばったりの旅である。
 結局のところ6泊7日の旅となったのだが、いま思えば、初めて出会う人とのコミュニケーションや、その場その場での行動力・判断力といったものが、この旅で幾分かは養われたのではないかと思っている。いい経験をしたものだ。
 
 5日目のことであるが、朝・昼・晩の食事で、同じ海の家に通った。そこの主人(50才くらい?)と仲良くなって、自分たちがキャンプをしながらいろんな浜を渡り歩いていると話したら、「風呂はどうしているんだ?」と聞かれた。で、「そういえば、4日間風呂には入ってないなあ」と答えると、「じゃあ、俺が連れて行ってやる」という。何でも、海の家と契約している旅館があって、無料で風呂に入れるのだとか・・・
 ありがたい話だった。これが、世は情けというもの?
 
 さて本題。実は、この旅で見つけた最初の海水浴場が、とても素晴らしい所だったのである。まず景観が美しい。海の方を見ると、青い空、透き通った海、白い砂浜、岩場があるだけで、反対に陸の方は、松林があって、小さな集落があって、その後ろに山があるだけなのだ。護岸用のテトラポットもなく、大きな建造物もなく、素朴な自然の風景そのものなのである。
 
 また、何よりも素晴らしいのは、水がすごくきれいなことである。波があまりないときは、1.5メートルの深さでも海面から足の指がはっきりと見える。海は遠浅で、底は沖までずっと白い砂が続くので、怪我をすることもない。
 我々が泳いだ場所は駐車場兼海の家が一軒あるだけで、海水浴客もあまりいなかった。どちらかというと民宿が多い町のようである。友人と二人で口を揃えて言った。「ここは穴場なのかもしれないな」
 
 そして僕は、何とその後の20数年間、この浜に通い続けることになったのである。一緒に行くメンバーはよく変わったが、海水浴に行く話になると、僕が推薦して必ずこの浜にやってきた。初めて来た人が喜んでいるのを見て、僕もまた喜ぶのだ。
 「いい所だなあ」「でしょ?」とまあ、こんな具合・・・
 職場の先輩や同僚たちから、「海水浴はいつもどこに行くの?」と聞かれて、この浜を薦めたこともあった。で、「いい所を教えてくれてありがとう、家族のみんなもすごく喜んでくれた」という話を聞いて、僕もまたまた喜ぶのだ。
 
 夏といえば海水浴だと、いつも思っていたのだが、ここ何年間は行っていない。年も年だし、むしろ最近はできるだけ肌を焼かないように用心している。
 「夏といえば○○だ」の、新しい○○を早く見つけたいんだけどなあ・・・
 えっ?ビアガーデン?
 
 
 
20110716  
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2011.07.16  孤高のカラスにあこがれている?  
 
 田舎道でサイクリングをしていると、カラスとよく出会う。ある日、民家の塀に止まっている一羽のカラスが、じっとこちらを見ているので、「何だ?この野郎」とにらみ返したら、プイと横を向いてしまった。僕では相手にならないらしい。なんとなく気高さを感じた。カラスは孤高の動物なのか?
 
 農地でトラクターが動き出すと、たくさんのカラスが舞い降りてくる。そして、トラクターが通り過ぎた後の、耕された土の中の虫を食べているのだ。自分でわざわざ土を掘り起こす必要はないということだろう。頭のいい奴らである。
 川沿いの道を走っていて、タンポポをくわえているカラスに出会ったことがあった。「えっ?おまえ、タンポポも食うの?」と言っては、腹を壊さないのだろうかと思ったりもしたが、心配無用。カラスは雑食性で、何でも食べるらしい。おそらく、強靭な胃袋を持っているのだろう。
 
 そういえば思い出した。昔、我が家の庭の木に、ヒヨドリが巣を作っていたことがあった。雛を育てるヒヨドリの姿を、微笑ましく眺めたものだ。ところが、3年ほど経ったある日、親鳥がいない間に、カラスが来て雛鳥をかっさらっていったのである。
 「あ〜あ、かわいそうに、カラスに食われちゃうのか」
 カラスに場所を憶えられたせいか、それ以来、ヒヨドリは我が家に寄り付かなくなった。でも、カラスも生きるためにやっていることである。憎めない・・・
 
 都会のカラスは、ゴミ袋の残飯が主食らしいですね。人間とカラスの知恵比べというわけではないが、ゴミ集積場に黄色のネットを張っておくと、カラスが寄り付かなくなったという話を聞いたことがあります。あれは、黄色だからいいのではなく、紫外線をカットしているかどうかが重要なポイントらしいですね。
 鳥類は人間と違って、3原色の他に紫外線の領域(人間には見えない)も使って物を見ているので、紫外線がカットされると見え方が違ったものになってしまうのだそうです。一度、カラスの目を借りて景色を眺めてみたいものだ。
 
 ところで、夕方になると、おびただしい数のカラスが集合している光景をよく目の当たりにします。あるときはマンションの屋上だったり、またあるときは工場の屋根だったり・・・、昼間はそれぞれ勝手に行動しているのに、どうやって集合場所の打ち合わせをしているのだろう。不思議である。
 そして、大編隊を組んで、山に帰って行くのだ。もっとも、統制が取れているというわけでもなさそうだが・・・
 
 以前に、「今度はカラスに生まれ変わりたいなあ」と書いたことがあった。思い起こせば、子供の頃によく見たアニメに「魔法使いサリー」というのがあったが、それに登場するカブ(サリーの召使い)が、カラスの姿になって空を飛ぶのを見たときが、カラスへのあこがれの出発点だったのかもしれない。
 「孤高のカラスたちよ、俺も仲間に入れてくれ」
 
 
 
20110617  
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2011.06.17  雨に思うこと、いろいろ!  
 
 6月といえば梅雨の季節。雨が降り続いて気が滅入ることもあるが、大地に潤いを与え、お米や野菜を育ててくれる恵みの雨と思えば、そんなことも言っていられない。それに、あまりにも暑い日が続くと、ひと雨降ってくれないかなと願うこともあるし・・・、身勝手なものである。
 あ、そうそう、恵みの雨といえば、何年か前に漁師さんから聞いた話を思い出しました。立ち飲みでよく会った常連客の方だが、「最近、漁の調子はどう?」と尋ねると、「それが、もう何日も雨が降ってないからねえ」・・・???
 聞くところによれば、雨が降ると、山の養分が海に流れ出て、河口付近に魚がたくさん寄ってくるらしい。農業だけでなく、漁業も雨の恩恵を受けているのだと知って、いやあ、少し驚きましたね。
 
 そもそも、雨が嫌いというわけではない。雨に濡れるのが嫌なだけである。それで、天気予報を見ながら傘を用意するのが煩わしいので、僕の通勤カバンには常に折りたたみ傘が入っている。備えあれば憂いなし、なのだ。
 ところが、身勝手さはさらに進み、今度は濡れた傘を持つのが嫌になってくる。で、雨が降りだすと「傘が濡れるから嫌だなあ」と言っては、「えっ?もともと傘は濡れるものでしょ?」と、周りの人からはいつも呆れられている。
 そんな中で、ひとりの後輩の女性がこう言いました。「でも、自分のからだが濡れるよりは、傘が濡れるほうがいいんじゃないですか?」
 なるほど・・・、名答である。なんとなくスッキリしました。(ありがとう)
 
 ところで、雨といえば、しとしとと降り続ける雨もあれば、夕立のように突然降る雨もあって、実に様々な表情を持っていますね。言葉で表すと、長雨、時雨、俄雨、霧雨といったように、降り方によってたくさんの表現があるし、春雨、梅雨、夕立といったように、季節によってもいろいろな表現があります。雨が比較的多い日本では、それだけ生活に密着しているとも言えそうです。
 
 音楽の世界でも、歌詞の題材として雨がよく使われていますね。涙に例えられたり、洗い流すとか待ち続けるとかいった表現に使われたりします。
 「うん?ちょっと待てよ」
 ケイ・キンのオリジナルソングを調べてみた。すると・・・、22曲の歌詞の中で、雨という言葉は一回しか現れないのだ。しかも、「雨の日も風の日もいつだって・・・」(P.エリア)というように、いつ何時もという意味で使っているに過ぎない。他に雨を表現している箇所として、「泣き出す空に・・・」(クロージング)というのが唯一あるが、これもネガティブなものとして表現しているだけだ。つまり、雨を主題に、あるいは背景にした曲がひとつもないのである。
 
 これはいったい、どういうわけだろう。深層心理というか、無意識のうちに雨を避けているのかもしれないなあ。よし、今後は心を改めよう。雨が降ってくれるからこそ僕たちは生きていける、ってことで、むしろ感謝しないと・・・ね。
 
 
 
20110522  
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2011.05.22  そういえば文体がバラバラだな!  
 
 文章の様式、いわゆる文体として、「だ・である調」(常体)と「です・ます調」(敬体)がある。いや、あるらしい。また、文章を書くにあたっては、どちらかに統一させるのが常識、らしい。学校の授業で習った記憶があるような、ないような・・・、曖昧である。さては、先生の話も聞かずに居眠りをしていたか・・・
 ネットの世界では、ブログを書くときにどちらの文体にしようかと、悩んでいる方もいらっしゃるようである。僕の場合、そういったことは何も考えずに書いてきた。そこで、いままでに書いたトピックスを全部読み返してみた。
 
 初めの頃は、みなさんに読んでほしいという気持ちが強いせいか、話しかけているような「です・ます調」の文章が多い。ただし、自分の考えなどを断定的に言い切るようなときや、単なる出来事を説明するときなどは、ところどころで「だ・である調」を使っている。
 50話( 2008.04.07 おおっ、これで50話目だなあ!)を過ぎた頃からは、逆に「だ・である調」の文章の方が多くなった。ただ、読んでいる人に話しかけたり、問いかけたりするときには、依然として「です・ます調」を使っている。
 
 つまり、どのトピックも「だ・である調」と「です・ます調」が混在してしまっているのだ。どちらかに統一させようとは微塵にも思っていないかのように・・・
 でも、僕はこのままでいいと思っています。トピックを書いた後は、必ず読み返しているが、いままでに違和感を覚えたことは一度もありません。もし、「文章に関しては素人だからだ」と言われても、それはそれで構わない。
 (ちょっと、意識的に混在させてみた)
 
 そもそも、論文を書いているわけではない。自分が思ったことや感じたことなどを、自由気ままに書いているだけなのである。(しゃべっているともいえる)
 文章が話し言葉や「・・・」で終わる場合もあるし、体言止めの場合もある。さらには、「ここは読点じゃなくて、句点だろ?」っていう箇所もいくつかある。繰り返すが、自分で読んでみて、違和感がなければいいと思っているのだ。
 あ、「だ・である調」と「です・ます調」の話だったな。
 
 ところで、あることに気が付いたのだが、よく見ると「法」ではなく、「調」という言葉が使われている。ということは、決まりや掟の部類ではなく、あくまでも言いまわしの問題に過ぎないのではないだろうか。だから、何が何でもどちらかの文体に統一させなければならないというのも、変な話のように思えてきた。
 トピックスのなかには、前半が「だ・である調」で、後半が「です・ます調」になっているものもある。これは、音楽の曲調がメジャーコードからマイナーコードに転調される場合と同じだ、と、言えなくもないのでは・・・?
 
 「ま、いずれにしても俺は俺、好きなように書いてやるぞ。ぬはは・・・」
 
 
 
20110424  
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2011.04.24  新聞は全部を読む必要はない?  
 
 新聞は毎朝欠かさず読んでいる。いや、読んでいるというのは正確ではない。平日の朝は読む時間が限られているので、目を通していると言った方が妥当かもしれない。時間を気にせずに、じっくりと読むのは休日の朝だけだ。
 以前は、駅売りの新聞を買って、通勤電車の中で読んでいたこともあったが、通勤中はどちらかといえば読書を楽しみたいので、今はやめている。それに、混雑している電車の中で新聞を広げるのは、少し気が引けるし…
 
 さて、ニュースの速報性という点では、新聞よりもテレビやラジオ、あるいはインターネットの方に軍配が上がるのは間違いない。ただ、「どんな事件が発生したのか」という事実を伝えるのは早いけれど、原因や動機などの検証が不十分なまま報道されることが多い。それに比べて新聞は、十分な取材がされた後、専門家による解説や論評も加えられて報道されるので、事件の全容を把握しやすい。だから、テレビやラジオなどで知ったニュースの中で、興味のある事件については新聞で補うというのがいいのかもしれない。
 
 新聞はたしかに情報の宝庫ではあるが、全部を読む必要はないと思っている。紙面のスペースを文字数に換算すると、約30万という数字になるのである。(試算すると、12文字×約70行×12段×30ページ分=302,400となる。どうでもいい計算ではあるが・・・)新聞のすべてを毎日読むのは到底不可能だ。
 新聞記事は概ね、政治、国際、経済、文化、生活、スポーツ、地域、社会に分類されているが、僕の場合、すべてのページをめくり、記事の見出しの部分だけをまず読んでいる。そして気になる、あるいは興味のある部分だけをじっくりと読むのだ。いままでの経験で、これが一番いい方法だと思っている。
 
 新聞で注意が必要なのは、新聞社の主張が織り込まれている記事、いわゆる主観報道の部分を読むときですね。1991年に湾岸戦争が勃発したとき、日本がどのように貢献すべきであるかという問題について、国内で意見が分かれました。そのとき僕は全国紙(5社)すべてを買って、社説を読み比べてみたことがありました。いやあ、新聞社もみごとに意見が割れていましたね。
 結局、日本が選択したのは「多額の資金協力はするが、自衛隊の派遣はしない」というもので、国際社会から孤立することになってしまいました。ただし、停戦後に、自衛隊の掃海艇がペルシャ湾の機雷除去作業に参加して、汚名返上したことで幾分かは救われましたね。自衛隊が新聞社に「そう書いてえ」と言ったかどうかはわかりませんが・・・(ふざけてスミマセン)
 
 話を戻そう。新聞記事、特に主観報道を鵜呑みにするのはよくありません。自分の日頃からの考え方や意見を照らし合わせながら読む姿勢が必要だと思います。もっとも、じっくりと新聞を読む時間があっての話ですけどね・・・
 新聞を読む時間がない人は、言葉の意味がわからなくてもいいから、記事の見出しだけでも目を通しましょう。この方法、けっこうオススメです。
 
 
 
20110321  
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2011.03.21  嫌いというわけではない!  
 
 男性だけで何人か集まると、ゴルフ、釣り、パチンコの話題になることがたまにある。一般論ではない。僕の身の回りで起こる出来事だ。
 これらのことが話題になると、いつも聞き役に回っているが、話の内容はよく理解できる。とりあえずはどれも経験しているからだ。ただ、今のところは、自分の趣味として本格的に取り組もうとは考えていない。
 
 ゴルフは、若い頃に2度、コースを回ったことがある。道具は持っていないので、友人のを借りて参加した。スコアもよく憶えている。1回目が150で、2回目が138だった。もちろん空振りも数えてである。パー4のホールで2オンしたときは、「俺、才能があるかも」と思ったが、グリーンでは5パットだった。ドライバーと5番アイアンしか練習をしていないから、まあ、そんなものだろう。
 プレーをしていて楽しいスポーツだな、とは思った。ただ、不思議なことに、自前の道具を揃えてまで、続けてみたいとは思わなかった。
 
 釣りは、これまでに何度か参加している。ゴルフと同様に道具を持っていないので、いつも友人や先輩の余っている道具を借りての参加である。ほとんどが海での磯釣りか船釣りであるが、なかでも底釣りが意外と楽しかった。個人的には底引き漁が一番好きなのだが、これはあくまでも漁であって、釣りとは言えないだろう・・・ (網を引いている時間帯の、船上パーティがとても楽しい)
 魚がグイグイと糸を引っ張るあの感触は、すごく心地よいものである。釣りをしている時間は楽しいひとときだな、とは思った。ただ、道具を揃えて、自分から積極的にやってみようという域には達していない。
 
 パチンコは、台がデジタル化された頃に、バタッとやめてしまった。いわゆるフィーバー台が出現した頃である。それまでの、チューリップがたくさん開く台や羽根ものの台があった頃は、勤め帰りによく立ち寄ったものである。終了させる必要はなく、その日の居酒屋での飲み代を稼げば十分だった。居酒屋の主人は、僕が店に来るとすかさず時計を見て、「今日は少し手間取った?」・・・
 もう何十年も行っていないので、今のパチンコ店の様子はまったく知らない。でも、何万円勝った、何万円負けたって話を聞いていると、もはや遊戯ではなくてギャンブルの世界?・・・、たぶんおそらく、僕は二度としないだろう。
 
 ギャンブルといえば、代表的なものに競馬がありますね。日本の公営ギャンブルのひとつであるが、これはいいかもしれない。いろんな人の話を聞いていると、サラリーマンの小遣いでも十分に楽しめるのだとか・・・
 いずれにしても、競馬を含めて、ゴルフ、釣り、パチンコのどれもが、嫌いというわけではないのだ。自分にとって合う趣味と成り得るのかどうか、これからはいろんな人の話を聞いて、いっぱい情報収集をしてやろうと思っている。
 「みなさん、僕の知らない話を、いっぱい教えてください」・・・です。
 
 
 
20110213  
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2011.02.13  他人との会話は難しいものだ!  
 
 先日、軽登山ハイキングで、ある山に登りました。標高はさほど高くはなく、せいぜい300mくらいだろうか。山頂に神社があって、見晴らしがとてもいい山である。いくつかある登山道のうち、神社に向かう参道を歩いた。
 ちょうど中間点くらいのところに休憩所があったので、我々(6名)は少し休むことにしました。休憩所では、80歳くらいのお爺さんが上半身裸になって汗を拭いておられました。真冬だというのに元気なお方である。
 帽子を脱いで汗を拭き、熱いお茶を飲んで一服していると、お爺さんが僕に話しかけてきました。
 「どちらから来られたのですか?」
 
 返事に窮した。メンバー全員の住んでいる所がばらばらだったからである。僕のことを聞いているのか?それとも、我々グループのことなのか?
 「いろいろな所から来たんですよ。昔からの仲間なんです」
 少し濁したような返事になってしまった。すると、そのお爺さんは、
 「いやまあ、それはいいんですけどね。今日は少し暑くなりそうですよ」
 (なんだ、会話をするきっかけとして聞いただけなのか・・・)
 
 そのときは一瞬そう思ったが、何か違うような気がしてきた。
 もしかしたら、僕の濁したような返事が、詮索されたくないという意思表示であると、お爺さんは勘違いしたのかもしれない。あるいは、ご自身が詮索する人間だとは思われたくない、とか・・・
 だから、とっさに話題を変えたのではないだろうか。(これ、考えすぎ?)
 
 そこで、詮索について少し考えてみた。人は誰でも、他人のことを知りたいという欲求を持っている。年はいくつなのか、どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのか、家族構成はどうなっているのか、などなど・・・
 他人と会話をするときは、相手が自発的に言わない限り、こういった話題には触れない方がいいと思う。相手にとっては知られたくないこともあるはずだからである。また、どこまでが知られてもいい内容で、どこからが知られたくない内容であるかも様々で、人によって違うものだ。たとえ相手が自発的に語り始めたとしても、そういったことに気を配ることが肝要である。
 
 しかしながら世の中には、無遠慮に根掘り葉掘り聞き出そうとする人が少なからずいる。いわゆる詮索好きの人である。詮索されることを好まない人にとっては、会話をしている時間が戦いの場に変わるだろう。そんなときは遠慮せずに、答えたくないという態度をとればいいと思う。大抵の場合、相手の方があきらめる。なぜなら、相手にとっては情報そのものに重要性はあまりなく、知りたいという欲求を満たそうとしているだけに過ぎないからだ。
 
 他人との会話は本当に難しいものである。僕の場合、立ち飲みという名の社交場で鍛えさせてもらっている。これからも社会勉強は続いていくだろう・・・
 
 
 
20110110  
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2011.01.10  意外で気に入った女性シンガー!  
 
 韓国ドラマの「結婚できない男」を数話だけ観ました。このドラマは、建築家で偏屈な性格を持つ40歳の独身男性が、女医(こちらも独身)と出会って徐々に心を開いていくというロマンチックコメディですが、面白いですねえ。
 僕は、このドラマに出演している女優(本業は歌手?)のオム・ジョンファさんがとても気に入っている。怒ったり、泣いたり、笑ったり、表情がすごく豊かな人で、登場人物の心情が伝わってくるのである。演技がうまい人だと思う。
 
 そのオム・ジョンファさんだが、彼女が主演の映画「ホロヴィッツのために」のメイキング映像(本編はまだ観てない)で、彼女自身が歌うのを初めて聴きました。
 「うまい」と思った。彼女に対してはダンス音楽のイメージしか持っていなかったので、意外だったのかもしれない。紛れもなく本物のシンガーである。
 そこで、このような意外性というか、ひょんなことがきっかけで気に入った日本の女性シンガーを3人選んでみた。(もちろん僕の好みの話である)
 
 まずはアン・ルイスさん。昔、友人に誘われて某大学の学園祭に行ったとき、コンサート会場で初めてアン・ルイスさんの歌を聴きました。「うまい」と思った。服装がジーンズにジャケットで、化粧も薄くスッピンに近かったので、派手な女性というイメージが吹き飛ばされて、意外性が増幅されたかもしれない。
 その後、「グッド・バイ・マイ・ラブ」など、70年代の曲をよく聴きました。なかでも桑名正博さんが作った「光る海」という曲が好きだったが、いまでは表舞台から消えて闇に葬られたかのようだ。いい曲だったのに残念である。
 
 次に中村あゆみさん。長い間、彼女の曲では「翼の折れたエンジェル」しか知りませんでした。80年代のヒット曲である。それで何年か前、他にどんな曲を歌っているのだろうと思い、「BROTHER」(1990)というアルバムを聴いてみた。「うまい」と思った。彼女は紛れもなくロックシンガーだ。
 このアルバムでは、ロックンロール曲の「LITTLE ROCK MESSENGER」がすごくいい。疾走感が伝わってくるのである。それと、バッキングがピアノとギターのバラッド曲「Love Affair」もなかなかいい。バランスがとれている。
 
 最後に松浦亜弥さん。アイドル歌手として騒がれていた10代のころの彼女には、それほど気にも留めていなかった。ところが、アルバム「Naked Songs」(2006)の曲名のラインナップを見たとき、いままでとは違う雰囲気を感じたのである。で、さっそく聴いてみた。「うまいではないか」と思った。
 このアルバムで最も気に入った曲は「初めて唇を重ねた夜」と「dearest.」で、カバー曲の「Don't Know Why」もなかなかいい。彼女には高い歌唱力があると思う。これからはシンガーとして、益々成長してほしいと願っている。
 
 洋楽・邦楽を問わず、僕はロッド・スチュワートが最高のボーカリストだと思っている。あ、女性シンガーの話だった・・・(実はいま、少し寝ぼけている)
 
 
 
 
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