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 ケイ・キンが自由気ままにいろんな話題について書いています。
  (写真は本文と関係があったり、なかったり・・・、です)
20091220  
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2009.12.20  本屋さんは情報の宝庫だな!  
 
 「おっ、もうこんな時間なのかあ」
 本屋さんにいると、時間が経つのがはやい。何の予定もない休日には、よく本屋さんに通うのだが、いつもそう感じている。特に何かの本を求めて通うわけではない。
 はっきり言って、暇つぶしだろう。
 
 店に入ると、まず新刊コーナーに向かう。ハードカバーか文庫本かは問わず、本の題名と帯に書かれているキャッチコピーを眺めて、「おっ、面白そうだなあ」と思ったら、パラパラとめくってみる。
 出版する側の人が、題名やキャッチコピーをどうするかについて、頭を悩ます気持ちがよくわかる。お客さんに、まず本を手にしてもらわないと話にならないですからねえ。意外と重要な問題だ。
 
 ところが、である。題名に惹かれて少し読んでみたら、「なあんだ、そんなことかあ」と、がっかりさせられることもよくある話だ。それにしても、最近はメンタル的なタイトルの本がすごく増えていますね。そういった悩みを持つ人が増えたってことだろうか。で、いろんな人がいろんなことを書いているけど、読んでみて、「なるほど〜っ」って感心することもあれば、「それは少し違うんじゃないか」って首をかしげることもある。
 
 ま、世の中にはいろんな考え方があるし、自分の求めている答えが書いてある本を読むと、気が休まるってことかもしれない。事実、この僕も悩んだり落ち込んだりしたときに、何気なく開いた本の中の、たった一行の文章に救われたときもありましたから・・・
 何の話かわからなくなってしまいました。
 
 あ、そうそう、新刊コーナーの次は音楽雑誌のコーナーだ。特にギターの写真をボーッと眺めるのが好きである。そして、次に自転車関連の雑誌のところに足を運び、自転車の写真をまたボーッと眺めるのだ。
 旅行のガイドブックを読むのも好きである。いろんな国のガイドブックを読んでいると、まるで世界旅行に出掛けたような気分に浸れるのだ。
 
 本屋さんというのは、僕にとっては情報の宝庫なのだ。インターネットでもたくさんの情報を得ることができるのだが、検索という作業が少し煩わしい。
 ひと目でいろんな情報ソースを探るのには、題名がずらりと並んだ本棚がいちばんだ。(もちろん僕の個人的な意見である)
 
 で、海外旅行を楽しんだ後、パソコン関係のコーナー、写真関係のコーナー、文庫本のコーナーと渡り歩いて、例の声を発するのである。
 「おっ、もうこんな時間なのかあ」
 
 
 
20091121  
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2009.11.21  写真を撮るのがとても楽しい!  
 
 ある人に、展覧会に出展する写真を見せてもらったことがある。高原の夕景を撮ったものだった。「光と影が織り成す構図がいいですね」と、率直に感想を述べたら、「おや、あなたも写真をやるのですか」と返された。
 「僕は素人だし、日常の中でのスナップ写真を撮るだけです」と言ったら、意外にも嬉しくなるような返事が・・・、「写真は、それが基本ですよ」
 
 新しいデジタルカメラ(PowerShotA590IS)に買い替えてから、僕は写真をよく撮るようになった。このカメラ、とても手軽で使いやすいのである。一眼レフの高級カメラを持ちたいと思ったこともあるが、僕には使いこなす自信がない。そのうち興味を持つようになるかも・・・
 そして、いろんな写真を撮っているうちに、意外性というか、偶然の産物に出合う面白さを感じるようになってきた。
 
 今までに撮った写真のなかでは、鉄道トンネルの写真(railroad004)が一番気に入っている。ある地方線の列車の最後尾から撮ったものだが、実はこの一枚を撮るまでに何度も失敗している。シャッターチャンスの時間がすごく短いのだ。シャッターを早く切ってしまうと、トンネルの外の光が強すぎてハレーションを起こすし、逆に切るのが遅れると、車両の内部が写ってしまうのである。チャンスは一瞬だった。で、画像を見て驚いた。レールが光って手前に伸びているではないか。これは予想外だった。トンネルの入口だけが写ると思っていたからである。美しい写真だ・・・(ただの自己満足)この写真を見る
 
 予想外にうまく撮れた写真に、空を飛ぶ鳶の写真(sky007)がある。たしかに鳶を撮ってやろうと狙ってはいた。いわゆる流し撮りの要領である。ただ、空を飛ぶ鳶だけでは絵にならない。で、何度もシャッターを切っているうちに、遠方の霞んだ山が一緒に写ったのである。これで空間を感じることができるし、構図もまあまあである。うまく撮れたなあ・・・(再び自己満足)この写真を見る
 
 偶然に面白い写真が撮れたのは、二匹の猫の写真(cat001)である。たまたま通りかかった路地で、風に舞う落ち葉と戯れている猫を撮ろうと思ったのだが、なかなかうまく撮れなかった。で、まあいいやと思って、二匹寄ったときに、適当にシャッターを切ったら、何か(猫にとっては脅威?)を見つけたときの表情がうまく撮れていたのである。意外といい写真だ・・・(ずっと自己満足)この写真を見る
 
 これは余談であるが、人間の眼とカメラのレンズは全然違うのだなあと思った。ある島から撮った夕景の写真(view003)では、実際に見るともっと明るかったはずなのに、画像にすると何とも言えない色合いになっているのである。まずは撮ってみないとわからない、ということですかねえ。この写真もついでに見る
 いやあ、写真を撮るのがとても楽しくなってきました。これも僕の人生にとっては意外な展開?(かも・・・)
 
 
 
20091016  
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2009.10.16  たまには独りでいるのもいい?  
 
 サイクリングって、まるで旅をしているかのようだ。いや、もう旅そのものである。自転車で見知らぬ町を走っているとき、ふと、そう思った。
 僕がサイクリングで出かけるときは、いつも独りだ。贅沢な自由の時間を味わいたいからである。どこへ行くのも自由、いつ休むのかも自由で、束縛されることは何ひとつない。至福のときである。
 
 大抵の場合、目的地や行程の大まかな計画は立てるのだが、実際に走りだすと計画変更になることがよくある。好奇心に負けるのである。
 「あれ?こっちの道はどこに続くのだろう。ちょっと行ってみよう」
 とまあ、こんな具合である。いわゆる行き当たりばったりで、独りでいるからこそ許される行為なのだ。
 
 孤独、すなわち独りぼっちというものは、仲間もなく取り残されているというイメージが強いが、必ずしも悪いことではない。孤独感に苛まれて、寂しいと感じる方もいらっしゃるかもしれないが、ものは考えようで、逆に言えば、独りでいることはひとつのチャンスなのではないだろうか。
 つまり、好きなことをやればいいのである。独りでいるからこそ、できることがいっぱいある。本を読むのもよし、映画を観るのもよし、音楽を聴くのもよし。そして何よりも、自分を見つめ直す機会として、物思いにふけることができるのも、独りでいるからこそできることなのだ。
 
 あ、話を戻そう。
 サイクリングをしていて、こんなことがあった。
 人里離れた田舎道を走っていて、すごく澄んでいる美しい池に見とれてしまい、路肩に自転車を止めて写真を撮っていたとき、突然、見知らぬおじさんに声をかけられた。
 たわいもない会話であるが・・・
 「こんにちは、この池にはね、鴨が3羽いるんですよ」
 「え、そうなんですか?僕は初めて来たんですが、いい所ですねえ」
 「そうでしょう?私も気に入っていて、暇があれば時々来るんです」
 聞くところによると、定年退職をされてからハイキングを楽しんでいらっしゃるらしい。僕は独り、おじさんも独り。たぶん、おそらく、僕に仲間がいれば声をかけられなかっただろう。それはまるで、独りで立ち呑み屋に寄ったとき、隣のおじさんと会話が弾むのによく似ている。(これはどうでもいい話だが)
 
 こうやって、見知らぬ土地で見知らぬ人との会話を楽しんだ後、生活の匂いのする我が家に戻るのである。やはり、旅以外の何ものでもない。そして、独りでいるからこそ感傷に浸れるのも事実だ。
 今回は、「独りでいるからこそ」という表現を4回も使っている。何も孤独を薦めているわけではないのだが、たまには独りでいるのもいいかもしれませんねえ。
 (話が全然まとまっていないが、気にしない、気にしない・・・)
 
 
 
20090913  
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2009.09.13  やはり整理整頓しないとダメ?  
 
 いっこうに片付かない。それは、CD、DVD、文庫本や雑誌などが無造作に積まれている書棚のことだ。整理整頓が嫌いなわけではない。それぞれがまだ数少ないときは、きちんと片付けていましたからねえ・・・
 
 ところが、何年もの間に増え続けて、書棚のスペースが足りなくなってしまい、所構わず積み上げてしまうようになった。それでも初めのうちは、何がどこにあるかを、常に頭の中に入れていた。つもりである・・・
 このごろでは、それもおぼつかなくなった。もはや片付かないのではなく、片付ける気がなくなったのかもしれない。
 
 CDは、邦楽と洋楽とに区分して、邦楽は五十音順に、洋楽はアルファベット順にしてラックに収めていたのだが、すぐいっぱいになってしまった。新しくラックを購入するのは面倒くさい。だからといってCDを処分することもできない。いや、処分はしたくない。
 昔、レコードが高価だったころ、お金があまり無かったので、なかなか買えなくて悔しい思いをしたことがあった。僕が古いアルバムの中古CDを買い漁っているのは、一種の仕返しなのだ。
 
 DVDは、数が100枚足らずなので、まだましかもしれない。その気になれば音楽と映画とに区分して、整理することは可能だろう。ただし、あくまでもその気になればであるが・・・
 もし、ブルーレイディスクを買い始めたら、種類が増えてややこしくなるだろうなあ。でも映像に関しては、僕はDVDの解像度で十分だと思っている。
 
 文庫本は、読んだ分だけ自然に増えていったのだが、ノンフィクションの創業者物語や歴史小説が多く、僕にとっては教科書代わりみたいなものだ。内容を思い出せなかったときに、当然覗きたくなるだろうから、これもなかなか処分できない。ただ、あちこちに積み上げられた状態では、探すのに苦労するのは間違いないが・・・
 ハードカバーなどの単行本は数が少ない。値段が高いからあまり買わないのである。特別な理由がない限り、文庫本になるのを待っている。
 
 雑誌は、「これは参考になるな」と思った記事があったら残している。そのページを切り取ってファイルにするようなことはしない。面倒くさいからである。で、雑誌のどのページに載っていたのかを探すとき、再び面倒くさくなる。
 
 まだある。カセットテープ、レコード、ビデオテープ、レーザーディスク、漫画本のコミック版などだ。捨てられないのである。いったい、どうするのだ?
 やはり、整理整頓しないとダメかなあ。いや、当分の間はこのままの状態が続くだろう。片付ける気に、なるまで待とう・・・ホトトギス
 
 
 
20090809  
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2009.08.09  友人の作文がとても面白かった!  
 
 このページでは、僕が感じたことや思ったことなどを自由気ままに書いているのですが、次は何について書こうかなと、題材が思い浮かばないときもあります。そんなとき、僕の友人が昔に書いた作文をよく思い出す。
 とある学校で同じクラスになったF君が、こんな作文を書いた。その一部を引用させていただく。(もう何十年も前のことだが)
 
 〜現在私は、松山千春の「空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように」のテープを聞きながらこの文章を書いている。ほんとうは「空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように」を聞いているのではない。ただ字数が多いからこのテープを聞いていることにしただけである。
 ほんとうのところは、萩原健一の「熱狂雷舞」を聞きたかったのだが、○○県出身の○○君に貸したから聞けなかったので、NSPのライブを聞いていた。何を隠そう、このテープは昨日○○のレコード屋で買ったものなのである。読者は「こんなことを書いてどうする」と、どなりたくなるだろうが、こんなことでも書かなければこの作文はとうてい終わらないのである。〜
 
 これは作文の冒頭部分ですが、僕は面白いと思ったのと同時に感服してしまいました。字数をかせぐために書いてはいるが、書くことがなくて困っている様子をありありと伝えているところがまた絶妙だ。
 たしか400字詰めの原稿用紙を最低3枚、というのがノルマだったように記憶しているが、この冒頭部分だけで4分の1の字数をかせいでいる。そして、作文の終章でこんな文章も表れるのだ。
 
 〜ついに原稿があと数行となった。ほんとうに、ほんとうに、ほんとうにうれしい。(こんなことを書きながらまた字数をかせぐ)〜
 
 「うまいっ」と思った。(こんなことを書きながらまた字数をかせぐ)という注釈文自体が字数をかせいでいるではないか。彼はタイトルも内容も思いつかなかったと言っているが、それを逆手に取って、思いつかないという状態そのものを題材にしてしまっている。面白い発想だ。
 後に彼は、別の作文で表彰されている。とても頭のいい人だ。
 
 今回は、題材を何にしようかとあれこれ考えているうちに、また彼の作文のことを思い出したので、ついそのことを書いてしまいました。
 インターネットの世界ではブログがすごく流行っていますが、すらすらと文章を書いている人が本当に羨ましい。まあ、僕の場合は一ヶ月に一度くらいのペースなので、これからものんびりと書いていきたいです。
 
 さあ、次回は何について書こうかなあ・・・
 
 
 
20090712  
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2009.07.12  大切にしたい言葉がある!  
 
 物語や作文を書きながら、僕にはなんて語彙が少ないのだろうと嘆いているのはさておき、言葉について少し考えてみたことがある。
 人は日常生活の中で、自分の気持ちや意見などをさまざまな言葉を使うことによって相手に伝えている。また、意識的か無意識かは問わないが、人の行為そのものも言葉によって表されてきた。 しかしながら、お互いの意思が通ずるかどうかは、使われる言葉の意味というか、定義が一致していて初めて成立するものではないだろうか。
 気になった言葉がいくつかある。(言ってることが間違ってたらスミマセン)
 
 さて、親が子供にしかる【叱る】、という表現がある。一方、親が子供におこる【怒る】、という表現もある。どちらも行為は似ているが、意味は全然違っていて、主体がどちらにあるかだ。「叱る」は子供が主体で、親が子供のためを思って戒める行為である。いわゆる「しつけ」の一環だ。それに対して「怒る」は親が主体で、自分の苛立つ感情を子供にぶつけているだけである。僕はこの二つの言葉をきちんと使い分けて、「叱る」を大切にしたいと思っています。
 
 また、似ているようで意味の違う言葉に、おしえる【教える】と、さとす【諭す】がある。うまくは言えないが、「教える」は答えそのものを相手に伝えることであり、「諭す」はヒントを与えながら、相手に答えを見つけさせることであると僕は解釈しています。それと、「教える」は一方通行なのですぐに終息するが、「諭す」は対話になるので多くの時間を必要とします。相手の立場になって考えた場合、「諭す」の方が断然いいと思う。この言葉も大切にしたいですね。
 
 意味をまったく履き違えていた言葉に、あきらめる【諦める】がある。僕は挫折と同じような、否定的で悲しいイメージの言葉だと思っていました。例えば「俺には無理だ、あきらめよう」というように、できないからやめる、あるいは途中で投げ出すという使い方が普通だと思っていました。
 お寺の住職さんの話で初めて知ったのですが、「諦める」は本来、物事を明らかにする、もうこれ以上の道理はないという意味で、仏教用語だったらしいですね。むしろ肯定的なプラスイメージの言葉ではないか。
 意味の深さを感じさせられた言葉です。
 
 最後に、大切にしたい言葉の代表として、いつくしむ【慈しむ】がある。辞書で引くと、「愛する」「かわいがる」「大切にする」などと説明されているが、納得できない。
 何か言葉が安っぽくなっているという感じなのだ。もっとスケールの大きい、宇宙規模の言葉だと僕は思っている。心の中で感触としては捉えているつもりだが、なかなか言葉では説明しにくいですね。「慈しむ」はあくまで「慈しむ」でいいだろう。
 この言葉の意味を説明することができたとき、人は初めて本当の幸せを感じることができるのではないだろうか。
 
 いろいろ語りましたが、ますます何も知らない自分が見えてきました・・・
 
 
 
20090608  
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2009.06.08  コード進行って、いったい???  
 
 氷室京介のアルバム「Memories Of Blue」に収録されている「WILL」という曲が好きだ。歌詞はなかなかいいし、メロディラインも美しいと思う。そして、何よりもびっくりさせられたのは、この曲のコード進行だ。
 イントロから小節ごとにずっとDとGの繰り返しで、サビの部分になると順序が変わってGとDが繰り返されている。そして最後に1小節だけAが瞬間的に入るのである。
 「なるほど、う〜ん」と、少し唸りましたねえ。
 
 作曲の方法について書かれている本などで、コード進行のパターンがよく紹介されていますが、この曲のようなパターンがないか調べてみた。あるにはあった。「1コードや2コードによる進行」だそうである。ただ、こんな場合もあるといったような漠然とした説明だけでしたね。
 なぜだろうと思った。僕はとても美しい曲だと思っているのに、その2コード進行があまり重要視されていないように感じられたからです。
 
 「もしかして、コード進行のセオリーなんてどうでもいいんじゃないか?」
 ふと、そんな考えが頭をよぎりました。
 
 僕が作曲をするとき、たしかにコード進行は重要視しているのですが、コード進行だけを先行させているわけではありません。まず頭の中に浮かんでくるのはベースのフレーズ、いわゆるベースラインです。そして、メロディを乗せていきます。(このメロディはまだ決定ではない)
 で、コードを決めていって、そのあとドラムやギターのバッキングでリズムを考えています。最後にコード進行が美しいかどうかを見極め、メロディを決定させていきます。(これが僕の作曲方法だ)
 
 ということは、僕の場合はあくまでも頭に浮かぶ音に頼っているわけであって、コード進行だけを考えているのではない。どの曲も結果としてそれぞれのコード進行になっただけである。
 作曲をするうえで何か役に立つかもしれないと思い、以前にコード理論を学んでみたいと言ったことがありましたが、少し考え方が変わってきました。
 「今のままでいいんじゃないか?」
 
 「いや、待てよ」
 そういえば、作曲中にコードの選択で悩んだときは、XGworksのオートアレンジャー機能を使ってヒントを貰うときもありますねえ。やはりコード理論を理解してみたいという気持ちがまだあるのかも・・・
 でも、自由になる時間がたっぷりあるわけではなくて、あれもしたい、これもしたいという欲張りだから、音楽にだけ時間を割きたくないしなあ。
 それに、頭も悪いし・・・ 
 
 
 
20090507  
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2009.05.07  作曲の方法に決まりはない?  
 
 「作曲の方法について教えてください」という質問がよくありますが、これほど答えるのに難しい質問はないでしょう。答えがないからである。逆に言うと、どんな方法で作曲しようと自由で、何でもありなのだ。
 インターネットのどんなサイトでもこの質問に対する答えは、必ずと言っていいほど「僕の場合は・・・」で始まっています。つまり、あくまでも一例としてしか答えられないのです。
 
 「初心者でもパソコンで作曲ができる」というキャッチフレーズをよく目にします。まるでパソコンと音楽制作ソフトさえあれば難なく曲が完成するかのような印象を受けますが、この初心者というのがどの程度なのかによって大きく変わってきます。作曲をするにあたって、音楽知識がまったくゼロという状態ではやはり難しいと思いますねえ。(音楽理論のことではありません)
 
 作曲は、誰にでもできるというのは間違いないのですが、少なくともピアノやギターなどの楽器を演奏しながら歌うこと(いわゆる弾き語り)ができるレベルになってから始めた方がいいと思います。それと、いろんなアーティストの曲をたくさん聴いておくことです。そうしているうちに、メロディはもちろんのこと、コード進行、リズム、各パートのフレーズなど、いろんなパターンを自然に憶えていきます。つまり記憶の蓄積ですね。
 
 すると、そのうち即興で頭の中にオリジナルのメロディや伴奏が浮かんでくるようになります。それを最終的に録音したり、譜面にしたりすればいいのです。簡単に言うようですが、本当に簡単なんです。
 ただ、いい曲になるかどうかは技術的な問題ではなく、人それぞれのセンスの違いなんですよね。教科書を見て答えを探すようなものではありません。
 
 そして作曲の手順としては、大きく分けると、(1)メロディを考えてから伴奏をつける、(2)コード進行(伴奏)を考えてからメロディを乗せる、(3)メロディとコード進行を同時に考える、などが考えられますが、これも決まりはありません。自由にやればいいと思います。他にも方法はたくさんあるだろうし・・・
 荒っぽく言うと、作曲過程なんてどうでもいいんじゃないでしょうか。完成した曲こそがすべてなんですから・・・
 
 最後に、これは僕の考えというか経験で思ったことですが、作曲は他人に気に入ってもらえるかどうかではなく、自分で作った曲を自分自身が本当に気持ちよく聴けるかどうかが一番大事なのではないでしょうか。
 これから趣味で作曲を始めてみたいという方は、気軽にどんどん挑戦しましょう。ただし、急がず、焦らず、がんばらずにやる方がいいですよ。がんばりすぎると、長続きしませんからねえ。(経験者は語る・・・なのだ)
 
 
 
20090412  
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2009.04.12  音楽制作環境を再考してみた!  
 
 これから音楽制作を始めたいという人にとって、どんな機材を揃えたらいいのかという問題はとても重要だ。それなりにお金がかかるからである。ただひとつ言えるのは、漠然として始めるのではなく、目標設定を確かなものにしてから考えた方がいいということです。たとえば、できあがった作品で人からお金をいただくというハイレベルなものを作りたいのか、あくまでも趣味の範囲で人に作品を聴いてもらえればそれでいいのか、などですね。
 
 僕の場合は10年ほど前に音楽制作を始めたのですが、作詞・作曲・編曲をすべて自分で行い、オリジナルソングのCDを作って人に聴いてもらうのが目標でした。
 その後はネットで公開するようになり、これからも少しずつではありますが、音楽制作を続けたいと思っています。
 そこで、僕のいまの音楽制作環境を紹介しましょう。
  ノートパソコン・・・VAIO VGN-E81B/B (ソニー)
  MIDIシーケンスソフト・・・XGworks V4.0 (ヤマハ)
  MIDIソフト音源・・・Roland VSC3.2 (ローランド)
  サウンド編集ソフト・・・DigiOnSound Light (デジオン)
                Sound it!4.0 (インターネット)
  ヘッドホン・・・SONY MDR-Z900 (ソニー)
  マイク・・・AT-K66 (オーディオ・テクニカ)
  ギター・・・Tornado Z2 (モーリス)
  (ギターはフレーズを考えるためのもので接続はしません)
 
 何のことはない。基本的には10年前に始めたときのままである。楽器はMIDIに頼り、歌だけを録音してWAVファイルを作っています。
 この制作環境は外部機器をいっさい使わないので、音楽制作者の間ではあくまでもサブ環境のポータブル利用のシステムと考えられているようです。たしかに音色は外部のMIDI音源やサウンドユニットを使用した生演奏の音よりは劣るかもしれませんが、できあがった作品を聴いてみて僕は満足しています。つまり、趣味の範囲で作曲を楽しむのならば、そんなにお金をかけなくてもこれで十分ではないかと考えているのです。
 
 それと、ボーカル録音をどうするかという問題もありますね。防音室のない自宅ではどうしても生活音が一緒に録音されてしまいます。かといってスタジオを借りてまでやろうとは思わない。自宅でも時と場所を選べば単一指向性のマイクでなんとか録音が可能です。
 「趣味でやるのなら、そんなにお金をかけなくても気軽にパソコンで作曲ができますよ」っていうのが僕の考えですから、高価な機材を揃える制作環境はまったく想定していません。だからこのままでいいのだ。
 馬鹿の一つ覚えみたいですが、ある意味こだわっているのかも・・・
 
 
 
20090308  
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2009.03.08  嬉し恥ずかしの、輪行デビュー!  
 
 ブームというものがある。いわゆる急なはやり(流行)のことだ。僕のブームは今のところ自転車である。最近は音楽の話題から遠ざかっているが、気にしない、気にしない。(気にしているかも・・・)
 
 せっかく折りたたみ自転車を買ったのだから、いつか輪行をしてみたいと思い、こつこつと準備を重ねて昨年の秋にデビューを果たしました。ケイ・キンもやるときには、やるのだ。(そんなたいそうな話でもないが・・・)
 キャリーバッグと携帯ポンプは通販で購入しました。「よし、これでいつでも輪行できるぞ」と意気込んだのはいいが、「ちょっと待てよ、そのまえに折りたたむ練習が必要だろ」ということで練習をしてみました。
 
 まずはボトルケージをはずしてシートポストを下げる。次にハンドルを倒してからペダルを折り曲げる。最後にセンタースタンドを上げて本体を折りたたんでみた。すると、「あれえ、何でこんなに幅が分厚いんだあ?」・・・
 やり直しである。ライトは取らなきゃダメだろ?ハンドルはいったん一番上まで引き上げなきゃいけないのか?本体の間にペダルがあっちゃダメだろ?サドルは180度回転させた方がいいのか?などなど・・・
    
 今度はうまくいきました。で、所要時間を計ってみた。本体を折りたたむのは1分かかりませんでした。あと、キャリーバッグに自転車を詰め込むのと、ボトルケージや携帯ポンプをバッグのポケットに入れる作業を含めてトータル5〜6分ぐらいですねえ。だから、10分あれば余裕でできることがわかりました。大きい写真を見る
 
 さあ、実戦だ。最寄りの電車の駅から3つ目の駅で降りて、自宅まで自転車で帰ってくることにしました。キャリーバッグを抱えたままでは改札口が狭かったですねえ。そして、電車が来て乗車。扉付近にバッグを下ろしました。すると、座席に座っていた年配の夫婦がじっと僕のことを見ている。ご主人が奥さんに囁いたのが聞こえました。「あれ、自転車だぞ」
 
 3つ目の駅に到着。改札口を出てバッグを下ろした途端おじさんが近づいてきました。まだバッグを開けていないのに「お、自転車か?」・・・そして、バッグから自転車を取り出したらすかさず、「20インチだな」・・・
 いやあ、すごいですねえ。みなさんけっこう関心を持っていらっしゃる。世間では意外と輪行が認知されているのだなと思いました。
 で、初めての街並みをたっぷりと楽しんで、無事に帰宅しました。
 
 初めのうちは周りの人からジロジロ見られて多少は恥ずかしかったのですが、いろんな人に声をかけられて逆になんか嬉しくなりましたね。よし、これでもう何処へでも行けるぞ。うん・・・
 ブームで終わらないよう、がんばらずに続けたいです。
 
 
 
20090209  
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2009.02.09  映画が先?小説(原作)が先?  
 
 映画「フィールド・オブ・ドリームス」のラストシーンが大好きである。
 この映画は、主人公のレイ(ケビン・コスナー)が自分の農場で「それを作れば彼はやってくる」という不思議な声を聞き、トウモロコシ畑に野球場を作ると、亡き父親が好きだった伝説の大リーガー、シューレス・ジョー・ジャクソンが現れるという奇跡の物語である。
 
 そして最後に若かった頃の父親と再会するのだが、いつも聞こえていた「苦痛を癒せ」・「やり遂げろ」という声のことを、「君の声か」と父親に向かって呟くと、すかさずシューレス・ジョーがレイに向かって「違うよ、君の声さ」と言ったとき、この物語のすべての謎が解けるのである。
 ラストシーンでの親子のキャッチボールは単なるキャッチボールではなく、昔に謝ることができないまま死に別れた父親との、初めての心のキャッチボールなのだ。この映画を観るたびに、ラストシーンで僕はいつも大泣きしてしまうのです。うん、いい映画だと思う。
 
 そこで僕は、この物語についてもっと詳しく知りたいと思うようになり、原作の小説「シューレス・ジョー」(新潮社 著者:W・P・キンセラ、訳者:永井淳)を読みました。
 やはり原作は中身が濃いですね。というか、登場人物の心情の変化が細かく表現されているなと思いました。
 
 さて、ここでひとつの疑問が生まれました。。それは、映画を先に観るのがいいのか、それとも小説(原作)を先に読むのがいいのかという問題です。
 小説を先に読むと、印象に残った情景の部分が映画で取り扱われなかったとき、不満に思うことがありますね。また、映画での台詞の意味は理解しやすいのですが、あらすじが分かっているだけにドキドキ感が少し薄れます。
 逆に映画を先に観ると、小説を読んでいて自分で場面を想像することがなくなり、映画のシーンのとおりだと思い込んでしまいますね。つまり解釈を強要されている状態?ただ映画ではわからなかった謎が解けて嬉しくなるときはありますが・・・
 ま、視野が広くなるという点では共通しているので、どちらが先でもいいんじゃないでしょうか・・・(何を言おうとしているのかわからなくなりました)
 
 映画「アポロ13」でも、後から同名のノンフィクション小説(新潮社 著者:J・ラベル、J・クルーガー、訳者:河合裕)を読みました。これは映画よりも情報量がすごく多くて読み応えがありましたねえ。また、映画「地獄の黙示録」では「解読「地獄の黙示録」」(文藝春秋 著者:立花隆)を読みましたが、さっぱりわかりませんでした。この映画はなんか難しい・・・
 
 結論、映画は映画。余分なことを考えずに素直に楽しみましょう!
 
 
 
20090112  
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2009.01.12  冬は寒さに耐える季節なのだ!  
 
 日本には四季というものがある。一年を通じて春・夏・秋・冬と移り変わり、暑くなったり寒くなったり、また雨が降ったり乾いたりと様々な季候があって、日本に住む人々は昔から、この生活に密着しているとも言える四季をこよなく愛してきた。
 
 ガーデニングを楽しむ人にとっては花の咲く春が待ち遠しく、夏の青い海では小麦色の肌をした子供たちが走り回り、空気が澄んで涼しくなった秋にはハイキングやサイクリングに出かける人が増え、冬の季節風のなかでは白銀のゲレンデで若者たちが雪と戯れている。
 もちろん楽しいことばかりではない。春は紫外線と花粉に悩まされ、夏は突然の夕立に慌てふためき、秋は台風に日常生活を脅かされ、冬は風雪のなかで酷寒に耐えなければならない。
 
 さて、僕は昨年の春から、本格的とは言えないがサイクリングを楽しむようになった。自転車に乗っていると、野に咲く花や木々の緑を眺めながら季節の移り変わりを感じることができます。
 そして、サイクリング歴で初めての冬を迎え、多少は寒くても天気のいい休日には出かけていくのですが、いつもと違う何かを感じました。
 「すこし寂しい・・・」のである。
 
 なぜだろうと思い、公園のベンチに座って考えてみた。
 まず、冬の季節になると風景の色が薄くなっていますね。多くの木は葉っぱを落としてしまって幹や枝が丸見えの状態だし、芝や雑草も緑色を失って土の色と変わらなくなっている。遠くの山々もよく見えているのに霞んでいるような色だ。四季のなかで冬が最も色の少ない季節と言えるかもしれない。
 次に、太陽の光の違いがありますね。冬は日照時間が短く、しかも南の低い空を通過するので地上では陰の部分が多くなってしまう。つまり暗い場所が増えているのである。それに太陽自体も力強さが感じられない。
 
 最後に、これが最大の理由だと思うのですが、人が少ないのである。
 この日も穏やかな晴れだったが、たしかに気温は低かった。寒さを凌ぐために家の中で暖を取っているのだと思うが、とにかく通りにも庭先にもあまり人がいないのである。木も草も、そして人も同じなのだなと思いました。そう、冬はみんなが寒さに耐える季節なのだ。
 それにしても、木や草などの植物って強いんだなと思いました。人間のように暖を取ることも防寒具を着ることもなく、風雪に身を晒しながら我慢して耐えているのですから。野生の動物たちにも同じことが言えます。人間がいちばん弱い生き物かもしれないですねえ。
 
 その人間が地球でいちばん威張っているのか? これは考え物だなあ・・・
 
 
 
 
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